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夏の祭りの裏(約束)

 窓を突き破って教室に転がり込んできたのは、魔術寮きっての問題児、ダロ=ヴェルマーくん(当時三年生)だった。


 手足の裂傷が、彼の苦戦を物語る。


 そのあとを追って、滑るように教室に舞い降りた魔獣を、ヴェルマーくんはキッと見据える。


 猛禽類の目と翼、獲物を捕える鋭いくちばし、大型肉食獣の強靭な肉体を併せ持つ、強力な魔物だ。


 頬に付着した血を手の甲で乱暴にぬぐって、ヴェルマーくんが身構えた。常の無表情を、焦燥と困惑が彩る。


「魔物を、操れるのか……?」


 ぐるるる……。


「……!」


 飛びかかってきた魔物を、ヴェルマーくんが間一髪のところでかわした。大きく跳躍し、空中でとんぼを切る。


 着地と同時に両手をぎっと交差させると、魔物の全身に絡み付いた“糸”がきつく引き絞られた。


「……よせ。勝ち目はないぞ」


 変質者もびっくりの技の冴えである。その実力は、密閉された空間ではじめて真価を発揮する。


 停戦を申し出るヴェルマーくんをあざ笑うかのように、魔獣は身を低くし、両の翼をぴんと立てた。魔性の気配が濃厚に立ち昇り、羽の一枚一枚が刃の鋭さを帯びる。


「くっ、やるしかないのか……」


 ヴェルマーくんが、悔しげに奥歯をぎりっと噛み締める。


「…………」


 そんな彼を、私たちは冷めた目で見ている。


 着替え中の教室に乱入してきて、魔法生物に緊縛プレイを強要するクラスメイト(仮)に、下着姿の私たちはどう接すれば良いのだろうか……?




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「まぁ〜、ネルさんは美人だわ」


「スタイルもいいし」


「ヴェルマーくんのまわりをちょろちょろしてるときは、愛嬌もあるよね」


 よほど気に入ったのか、ぱたぱたと旗を振りながら実況席に駆け込むネルさんは、小さな子供のようで微笑ましい。


《のわっ、スィズっち、危ねぇって。テントん中でハタ振り回しなさんな。そんなに気に入ったんか、それ?》


《うむ。何か、こう、最近、腰周りが寂しくてな。欠けたものを取り戻したような……》


《スィズさま、カッコイイです!》


《ふっ、惚れるなよ?》


 スペンサさんが、溜息を吐いた。ネルさんとじゃれているワンダさんが気になるようで、ちらちらと見ている。


《……こぉ〜ら、スィズ。エリスの仕事の邪魔しないの!》


《スペンサ、お前は意外と口うるさいな。……めってするな。お前、だんだんヴェルマーに似てきたぞ》


《ちょっ、お二人さん!? お前さんたち、いつの間にそんな仲良しに……これじゃ私は立つ瀬ないっしょう!?》


《……どんな立つ瀬だよ。落ち着いて、マルコー。冷静に。仕事、仕事》


 士官学校の制服はきらびやかだ。白を基調としているところは魔術寮のローブと同じだが、ところどころに銀の刺繍が施され、その上から仕立ての良いマントを羽織っている。貴族然とした印象(あまり好ましいものではない)を受けるものの、凛々しい雰囲気のワンダさんには良く似合っている。


 おおっ、と会場が沸く。


 今年の棒倒しは、例年にない盛り上がりを見せている。六年生不在のまま競技に臨むこととなった男子たちが、数の不利を補うために奇策に打って出たのである。


 棒を担いで、森の中へ逃げたのだ。


 この時点で彼らの反則負けは確定、魔術寮の逆転の目は潰えた。発案者は誰だ。


 しかし棒倒しに参加している男どもは本気だった。


《いたぞ! ルトヴィヒだ!》


《“杖”は?》


《持ってる。ヴェルマーの家の前で何を……》


 私たちの宴会場の別名である。


 魔術寮は、敷地内に魔素の通り道を常設しているので、遠く離れていても言葉の遣り取りができる。考えてみれば、これは異常なことだ。


 誰が話しているかは、おもに声で判断する。私の場合は、マルコーさんに魔素を調整してもらって発言者の顔が視界の端に出るようにしている。デフォルメされていて可愛らしい。


 ぽん、と音を立てて現れたのは、しかし人間ではなかった。羊だ。


《っ、地下迷宮(ログポート)か!?》


 わ、びっくりした。ヴェルマーくんの声は心臓に悪い。


 対照的なのが、聖歌隊出身のローウェルくん。美声だ。


《ヴェルマー? どうしたんだ?》


《……今はマズイ。とても》


《今すぐ止めろ! 呪言解禁だ、僕が責任を持つ!》


 ローウェルくんは、ヴェルマーくんに甘いところがある。


「タロくん、男の子にモテるの」


 あ、ドナちゃん。こっそりと森を抜け出してきたらしい。3レトくらいある棒を軽々と抱えている。彼女が最後の砦というわけだ。


 赤くて大きな目が、ひたと私を見据えた。少しどきりとする。


「こ、こんなところに居ていいの?」


「……いいわ、あんた地味だから相談してあげる」


 良くない。ヴェルマーくんは、一体どういう育て方をしてるんだろう。


 ……士官学校の人たちは、うちの馬鹿どもを追って森の中だ。少しくらいなら構わないか。


「なぁに?」


「……あのひと、男の子と仲良すぎる気がするの。これって、どういうこと? ねえ、あたしはどうしたらいいの?」


 “あのひと”というのは、ヴェルマーくんのことだろう。


 ……重すぎる質問だ。しかも微妙に否定できない。


 グラウンド上空のマルコー掲示板では、今まさに話題のあのひとが士官学校の男子とよろしくやっている。


 たしか、士官学校の生徒副長さんだ。モーゲンくんだったかな。ヴェルマーくんが発行している、この顔にぴんときたらマニュアルに名を連ねている。


 ヴェルマーくんいわく“年下の女の子に財布を握られている”モーゲンくん(お前もだろ)が、配下の生徒たちを手振りで制して言う。


〈こいつは、オレがやる。お前らは勇者を探せ〉


〈ですが……〉


〈対人戦闘の経験は無いに等しい。頭を使え。あれを持っている限り、人間の手に負えない相手ではない〉


〈……黙って行かせると思っているのか?〉


 ヴェルマーくんが言った。ゆらりと片手を上げて、幾重もの仮想窓を並列展開する。それは“本”のようにも見えた。


 突き詰めて考えれば、あらゆる術式は魔法に還元できる。例えば呪言は、魔法陣を崩したものだ。ワーグナさんの“魔律”にしても、そう。“術”と“式”を結ぶ媒体が異なるだけだ。


 しかしヴェルマーくんのあれは……。


(魔素との直接交渉……魔素制御の延長? 普通に禁術指定なんですけど)


 ヴェルマーくんは器用な子で、複数の術式を自在に操る。しかし悲しいかな、どれもしょぼいのだ。


 それを補うために彼は、とうとう禁術に手を出したらしい。嘆かわしいことだ。


〈行け!〉


 モーゲンくんが叫ぶのと、ヴェルマーくんが駆け出すのは同時だった。


 モーゲンくんが腰に佩いた長剣を抜くのと、ヴェルマーくんが“本”の綴りを解き放ったのも、また同時。


 しかし先んじたのは、モーゲンくんの方だった。


〈――……〉


 協定なんて関係ねえとばかりに繰り出された“魔術師殺し”の聖句が、ヴェルマーくんの“本”を破砕したのだ。


〈っ、モーゲン……!〉


〈お前の相手はオレだと言った!〉


 ヴェルマーくんは応戦せざるを得なかった。謎の材質で出来ている“糸”を巧みに操り、モーゲンくんを牽制する。何度か見たことあるけど、器用とかそういうレベルを通り越して変質者的ですらある宴会芸だ。


 モーゲンくんはひるまない。お豆腐を賽の目に切り裂くヴェルマーくんの“糸”を完全に見切っている。


 しかし森の中は、ヴェルマーくんの領域(テリトリー)だ。


 木と木を結ぶ“糸”の上に飛び乗ったヴェルマーくんが、左右に一本ずつ、両手に短刀を装着する。袖の中から凶器が出てくること自体、どうかしてる。


 宴会芸その二。狙った獲物は逃さない投擲術を披露すると共に、“糸”を蹴った反動で頭上から襲いかかるヴェルマーくん。呪言も唱えてみた。


〈――……!〉


〈――……!〉


 当然、相殺される。放り投げたリンゴを串刺しにできるヴェルマーくんのナイフ投げも、モーゲンくんの前では形無しだ。


 包丁の代わりにもなる万能ナイフを叩き落したモーゲンくんが、騎士の証とも言える長剣を振り上げながら、マントを翻して飛び上がった。


 交錯する両者。


 空中で切り結び、着地したヴェルマーくんの手元で、短刀が根元からポキリと折れた。


 ……魔術寮随一の武闘派と囁かれるヴェルマーくんが押されている。さすがは士官学校の副長だ。


 ヴェルマーくんは、柄だけになった短刀を袖の中に仕舞い込んだ。


 遅れて着地したモーゲンくんが、肩越しに不敵に笑う。ぱっと振り返って、ひゅんと剣で虚空を撫でる。ぷつりと糸が切れる音。


〈ミミカ族の“交差法”というやつか?〉


 日も傾き始め、夕闇が忍び寄る森の中、磨き抜かれた刀身が冴え冴えとした光を放つ。


 ヴェルマーくんは、常の無表情を崩さない。


〈……モーゲン。ニンゲンは脆い〉


 のそりと肩をせり出し、やや猫背になった彼は、囁くようにもう一度、繰り返した。


〈脆弱だ〉


 指の骨をゴキゴキ鳴らしつつ、だらりと両腕を垂らす。


〈僕の手にかかれば、おまえらなど一瞬でスクラップにできる……〉


 問題発言だ。対するモーゲンくんは、何を思ったか、地面に剣を突き刺し、そのまま動かない。


〈能書きはいい。来い〉


 なんとなく奥義が飛び出そうな雰囲気ではある。


 普段より口数の多いヴェルマーくんが、狙い済ましたかのように言った。


〈抜き打ちか。笑止……〉


 …………。


《……なんかルール無用の別世界に突入してる二人がいるんですが。……マルコー?》


《知りません。知らないひとです。つか、おたくの生徒長は半端なく強ぇね。呪言、ぜんぜん効いてねぇし》


《ルトヴィヒ先輩は、うちの首席だからね。でも、シエラを嫁にするって息巻いてた頃は可愛かったよ》


〈聞こえてるぞ、ワンダ! あれは違うって言ってるだろ。あんな堂々と潜入してきて、俺に一体どうしろっていうんだ、あいつ……!〉


《おおっと、現地からツッコミが入りました。むきになるところが、ますます怪しいですね〜》


《ルトヴィヒ、お前もか……》


〈スィズさま! 誤解で――〉


 ぶつっと映像が途切れる。……マルコーさんが制御を奪われた? そんなことが出来る魔術師は、一人しか居ない。


《“祝詞”ですね。どうやら、ローウェル選手が現地に到着したようです》


《マルコー、音だけでも拾えないのか?》


《んー、無理だね。ローウェルくんが本気を出したら、私でも干渉できないよ》


 そのとき、ドナちゃんが呟いた。


「あれ、誰?」


 指差したほうを目線で追うと、グラウンド上空に何かいる。ふわふわと空中に浮かんだ“それ”は、マルコー掲示板を眺めてしきりに頷く。感心しているようだ。


 ……誰かは知らないが、空を飛ぶ変人はヴェルマーくん関係と相場が決まっている。


 すると案の定、モーゲンくんと睨み合っていたヴェルマーくんが、はっとした。……どういう原理なんだろう。ドナちゃんへの愛だろうか。変態もここまで来れば立派だ。


〈“I”……違う? 誰だ?〉


 モーゲンくんが眉根をひそめる。しかし、すぐに納得する。


〈……そうか、“影”に悪魔を仕込んだな? 校庭か。軽率な……、聞いたな?〉


〈モーゲン、きみは……?〉


〈“魔女”に聞け。悪いが、ヴェルマー、お前と遊んでる暇はなさそうだ〉


 言うが早いか、森に異変が起こった。


「森が、光ってる……?」


 私と同じ疑問を、カルメルくんも抱いたようだ。早々にルトヴィヒくんにのされて大の字に寝転んでいた筈だが、まさかの死んだ振りである。


《なんだ、これ。魔素の……川? 三途の川じゃないよな? ああ痛ぇ……》


 ヴェルマーくんとモーゲンくんが、同時に駆け出した。互いに、まったく逆方向へ向けて。


《違う! “魔法陣”だ!》


 今や、森の中は光の洪水であふれている。魔術師にとっては見慣れた、魔素の放つ輝きだ。


《“転移”……違う。逆手順……“遁甲”か? この規模……!》


 ヴェルマーくんの分析を、ローウェルくんが継いだ。


《“召喚術”……生産限定(リミテッド)モデル!?》


 となりで、ドナちゃんがはっとする。ふわりと燐光に包まれた掌を水平に振りぬいたとき、その手には勇者の剣が握られていた。


「タロくん、あとで少しお話があるの」


 幾千もの星の瞬きを束ねたような剣を振りかぶり、そのまま私の影に――。




 ……と、そこでリンクが途切れる。尊い犠牲でした。


(小賢しいメス犬なのである)


 若頭、前から思っていたのですが、もしかして勇者さんのこと嫌いなんですか?


(目付きが気に入らないのである)


 容赦ありませんね。


 ……それはそうと、カルメルくん、逃げますよ。


 彼の手を引いて、我先にと逃げ出したクラスメイトたちを追います。気絶していた筈なのに……。


 もちろんローウェルくんは別です。


「ヴェルマー、いいのか? 君の家の地下には……」


 ルトヴィヒくんのことですね。まあ、そんなことを言っている場合じゃないと申しますか――。


「あ、ありっ、アリスさん、あれ! あれ!」


 カルメルくん、うるさいです。わざわざ言わなくても分かってますよ。だから一目散に逃げてるんです。


(一度、召喚を阻害する動きがあった。……“杖”か? 無謀な真似をする)


 召喚されたそれ。


 翼はない。巨大な四肢で大地を踏みしめ、眼下の樹海を見下ろしている。剥き出しの頭蓋骨の中、一対の魔眼が灯る。


 最古にして最大。第一の生産限定モデル――。


 老骨の巨竜が、人類史上に再び姿を現した記念すべき日でした。

第七十五話です。

ミミカ族の“魔力”は、認識したものを破壊することができます。非常に強力な反面、消耗が激しく、基本的には相手の力を利用するか、弱点を突く形で使われます。上位端末メリーは特殊な例です。

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