夏の祭り(その19)
来賓席に戻った僕は、上の空で巨大仮想窓を見詰めます。
《……へえ、どこの学校にも問題児って居るんだな。うちの副長も最近、小さな女の子を連れ歩いていてな。正直あれはどうかと……え、マイク入ってる? すまん、あとで編集しといてくれ。よし、カウント行くぞ。3、2、1……》
《ハイ! 会場の皆さん、お待たせしました。交流祭もいよいよ半分のスケジュールを消化しました。解説のマルコーです》
《解説の人です。午後の部、最初のプログラムは応援合戦となっております。……応援合戦? マルコー、これ何するんだ? こんなの去年までなかっただろ》
《歌って踊るんよ。いやね、ドナの故郷ではこういうのがあるらしいよ。意味が分からなかったから却下される筈だったんだけど、とあるセクハラ魔王が裏でこそこそと推し進めて実現しやがった》
《人生を見詰め直すべきですね。……提供のデコ隊というのは?》
《とある悪魔憑きの率いる小隊ですな。なんでか知らんけど、あんにゃろめは一部の下級生に慕われてんだよな……さっさと逮捕されればいいのに》
本来、仮想窓とは、符号化した術式を解析し、処理する目的で開発されたものです。
時代が下るにつれて多目的化し、現在に至る訳ですが、あれほどのものは魔術師長にだって作れないでしょう。
(…………)
のこのこと着いてきたアーチスさんが、丁寧に説明してくれます。
「ああ、あれね。小さな“窓”をつないで、画質を上げてるんですって。好評だから、このまま中継に使うそうよ。……ヴェルマーくん、あなた、きちんと映る? やめてよね、ホラー映像とか」
そりゃあ映りますよ。僕を何だと思ってるんですか。
「そう? 子スペンサが嘆いてたわよ。うまくメモリーに焼けないし、たまにうまくいっても今度は虫食いだらけで編集しにくいって」
僕の肖像権を侵害して、何が楽しいのかは知りませんが、ロアさんにはあとできつく言っておきます。
ふと会話が途切れます。
僕とアーチスさんは、並んで上空を見上げます。画面の中で、怪鳥のように飛び上がったネル家の令嬢が、ぶら下がっているパンを一人で独占して、そのまま逃走します。僕とモーゲンくんが、“再生”したニャンコに“問い”をぶつけられて絶体絶命の危機に陥っていたときに、あれほど駄目と言った間食を……なるほど。
ほう、とアーチスさんが吐息を漏らします。
「ネルさん、本当に綺麗よね。何をしてても様になるわ……」
あれはアングルとカット割りが上手いんですよ。画質もそうですが、マルコーさんの成長には目を見張るものがあります。
彼女の目に映る世界は、きっと僕らとは違うんでしょうね……。
「……大丈夫よ。あの子は、たしかに少し頭オカシイところがあるけれど、素晴らしい才能を持ってる。みんな、それを知ってるもの」
魔術連にスカウトされた子供たちは、まず徹底的に魔素制御の基本を学びます。高い魔力を持ち、正規の教育を受けなかった人間の魔素制御は“いびつ”で、最悪の場合、死に至るからです。
アーチスさんは、そんな子供の一人でした。身内から魔女が出ることを嫌ったアーチス商会の会長――すなわちアーチスさんのお父さんが、幼い実子の魔術的な資質を認めようとしなかったためです。
アーチスさんが先祖返りの魔女だったことも要因の一つですが、何より最大の過失は魔術連の怠慢であり、魔術に付き物の危険をひた隠しにしようとする体制です。
……実の父に座敷牢に閉じ込められ、正気と引き換えに“予言”を施し、アーチス商会の躍進に一役買っていた当の本人が、どう思っているかは分かりませんが。
かつて神童と謳われた少女も、今では立派なミーハーです。
「……ね、ヴェルマーくん。巫女さまと知り合いなの? さ、サイン貰えないかしら……」
はあ……。あいまいに頷いた僕は、となりでたまのオフを満喫しているエミールさん家の姫に、声を掛けます。
巫女さん、巫女さん。
「はい?」
おっとりと小首を傾げた巫女さんが、さらさらの金髪を揺らしてこちらを振り返ります。その淡い瞳でちらりと見られて、アーチスさんが息を飲みました。
じゃきっと抜剣した神殿騎士さん達が、手入れの行き届いた剣を携えて僕を包囲します。剣呑な眼差しで見詰められて、僕は人生の悲哀を噛み締めました。
素早く迂回行動を取ったアーチスさんが、緊張した面持ちで巫女さんにおねだりします。
「あのっ、サイン貰えませんか? できっ、出来ればっ、ここんとこに“ミィちゃんへ”って……!」
「あらあら、困りましたわね」
国内外を問わず、ファンが多い巫女さん。贔屓は出来ません。一人のファンの暴走を許せば、会場がパニックになってしまうことも考えられます。
それでも微笑みを絶やさない巫女さんは、しっとりと頬に手を当てて、ふと僕を一瞥します。
「彼女は、たしかネルさまのご学友でしたね?」
暗殺指令でも出すのでしょうか。祝福を帯びた剣で串刺しにされたらさすがに死ねる僕は、慎重に二人の遣り取りを見守ります。
「そうですわね。ヴェルマーさまには良くして貰ってますし……。皆さんには内緒にして頂けますか?」
「も、もちろんです。家宝にします!」
ネル家の姫のクラスメイトにまでファン層を拡大した巫女さんは、気前良く応じてあげました。
子々孫々まで受け継がれるアーチス家の家宝をうっかり入手したアーチスさんが、るんるん気分で応援席に戻っていきます。
彼女と入れ違いにやって来たのは、ローウェルくんとカルメルくんでした。
アーチスさんがスルーした僕の窮状に、司祭補のローウェルくんがまなじりを吊り上げます。
「何をしてるんだ、あなた達は! 誉れ高い王国の騎士が、たった一人を取り囲むなど……!」
彼は素晴らしい人です。
巫女さんに勝るとも劣らぬ美貌の若き神官に人の道を説かれて、神殿騎士さん達もたじたじです。
「し、しかし」
「この少年は危険だ……分からないのか?」
「見れば、ネル家の息女は骨抜きにされている様子。この上、ノイエさまにまで累が及んではならぬと……!」
…………。
「…………」
ローウェルくん、どうして目をそらすんですか。
……カルメルくん。カルメルくんは、分かってくれますよね。
「そういえば、ヴェルマーは殿下とも仲が良かったよな。非カテ民族キラーだよ」
あれ、状況が悪化してます。
級友の迂闊な発言に、焦ったローウェルくんが気を取り直して言いました。
「と、とにかく! 剣を下げてください。巫女どのの前で血を流すおつもりですか? 天の原はお嘆きですよ」
それを言われてはおしまいです。神殿騎士さん達はしぶしぶと剣を収めました。ちなみに、“天の原”とは神界を意味し、ひいては星の精霊さん達を示す専門用語です。
きりりと柳眉を逆立てるローウェルくんに、ついつい平伏する僕を、カルメルくんが何とも言えない表情で見ています。
「ヴェルマー、あのさ、」
彼は、ちらりと巫女さんを一瞥して、言葉に詰まります。
「……また今度にしとく。ああ、ネルさんに言われて、来たんだ。お前、綱引きって何か知ってる? なんだ、この質問……」
…………。
「え、なんで黙るの? う……凄い真剣な眼差しだ……。わ、分かった。一応な、一応。綱引きってのは……」
なるほど。
「な、簡単だろ?」
ええ。イージーですね。ひどくイージー……つまり、こういうことですね。
「モーゲンは僕が抑える」
「おれの話、聞いてない! そんなキーワード一回も出てこなかったよ!? おかしいだろ。おかしいだろ!」
何がいけなかったのでしょう。悲鳴を上げたカルメルくんが、僕の肩をがくがくと揺さぶってきます。意外と強引なんですね。
ぴっ、ぴっ、ぴ〜。
おや、級長さん。黒幕の登場です。彼女は、くわえた笛を吹きながら、たったったっと軽快なリズムで駆け寄ってきて、カルメルくんをびしっと指差します。胸の前で交差した腕を、くるくると回して……?
《おおっと、警告だ! 後半早々のイエローカード、これは痛い! 逆転を狙う魔術寮にとって、手厳しいジャッジですが……? ワンダさん、カルメルくんは死ぬべきですよね?》
《手厳しすぎるだろ。……まあ、スィズさまのジャッジは常に公正だよ。カルメルだったか? シエラに近付きすぎだ》
《そのシエラというのが今イチよく分からんのだが……。お、カルメル選手が異議を申し立ててますね。文句あるのかと言わんばかりの審判の表情。小芸が光ります》
級長さんの、カルメルくんを見据える眼差しが徐々に温度を下げます。それを見取ったローウェルくんが、カルメルくんを押しとどめました。
「カルメル、よさないか!」
「アリスさん……でも……」
よく分かりませんけど、彼女は頑固ですからね。こうと決めたらテコでも動きませんよ。
無駄に偉そうな級長さんは、うむ、と頷き、
「カルメル、最近のお前は少し調子に乗りすぎている……。私より目立つな。私が言いたいことは、それだけだ」
本当に自由ですよね、貴女は。
第六十六話です。
魔素制御の発展はマ国を抜きには語れません。現代の洗練された制御法、メニューなどですが、これはマ国が開発し、大衆に流布したものです。