夏の祭り(その18)
(我は危機感を覚えているのである)
(さも当然のように僕の脳みそを使ってダイレクト念話に挑戦中の若頭、何か気になることでも?)
僕と若頭の絆は、前人未到の域に達しようとしています。
(あの女の我を見る目は尋常ではないのである。濡れ衣なのである)
あの女? 僕は、内心で首を傾げます。若頭は、級長さんをそういうふうには呼びません。理由はまったくの謎ですが、ある種の敬意を以って接するのです。
濡れ衣と言うと……。ああ、マルコーさんですか?
ふと、そんな気がした僕は、頭の中でマルコーさん(幼少時)の肖像をパネル化して掲げてみます。復讐に燃えていた当時の彼女は、悲しいかな今よりずっと真面目な女の子でした。世に拗ねた目付きが印象的です。
ぽん、と白煙を上げて登場した若頭(イメージ画像。羽付き)が、たいへんよくできました、はなまる! のパネルを掲げていることから見るに、どうやら正解のようです。
(きっと我の毛皮が狙いなのである。貞操の危機なのである)
どこからともなく、刷毛を取り出す若頭。ひと振りすると、あら不思議、パネルのマルコーさんがみるみる腑抜けていき、現在のマルコーさん(カメラ目線)に早変わりしました。マ国の英霊さんたち、見てますか。貴方がたの血を継ぐ魔女は、行ってくるぜの笑みが似合う女の子に成長しました。時の流れとは常に残酷です。
「おーい」
貴女は、まだミミカ族を疑っているのですか……?
「瞳孔が開ききっとる……。ダメだよ、スィズっち。これは使いものにならない」
第四世代は存在しない。“I”はそう言った……僕も同意見だった。マ国を滅ぼしたとされる第四世代型対人インターフェイス――つまり“人型の魔物”を、……僕は、見たことがない。
目の前で手をひらひらさせているクラスメイトと、目が合った。未来を夢見る黒檀の双眸……。瞳の奥に隠されているのが希望であればいいと思った。
――気圧されたように身を引く彼女を引き止めねばならない、そんな義務感に衝き動かされたのは、きっとその所為だ。
僕の手を振りほどこうとする少女の細腕が、あまりにも非力だったから、一度は飲み込んだ言葉を鎮めるのもままならない。
「いつまで過去に囚われてる」
「……離せ」
「あの子の魔法を見て綺麗だと思ったんだろ。友達だろ。悲しませるようなこと、するな」
目をそらすマルコーさんを見て、僕は確信しました。やはり諦めきれないのか……。共に過ごした五年間がひどく薄っぺらに思えて、例えようもなく悲しいです。
「…………」
マルコーさんは、重く沈黙している級友+1を振り返ります。
「実況のマルコーです。セクハラされてるんですが……ホントに何とかなりませんか、この悪魔憑き」
例えようもなく悲しいです。
我が家でひんぱんに見掛ける、仲良し三人組みが、透明な表情で僕を見ています。
最初に我を取り戻し、ふるふると総身をわななかせたのは、マルコーさんの直属の上司でもあるロアさんでした。彼女は、しばし僕とマルコーさんを交互に見比べ、やがてとうとう自らの許容量を超えたと言うように、
「にゃ〜〜〜っ!!」
…………鳴いた。
「…………鳴いた」
図らずも一致した呟きに、僕とマルコーさんの視線が絡み合います。
……何を動揺しているんですか。
「べっ、……別に何でもないぜ?」
怪しい……。
「猫耳とかっ、……ネコミミ!?」
語るに落ちましたね。
マルコーさん、貴女がロアさんに奇矯な格好をさせて喜ぶ人種であることは、調べがついてるんです。
「ば、馬鹿な!?」
どうやら自覚はなかったようですね。貴女は、自らのルーツに関して、驚くほど無知だ……。
新たな自分を開拓しようとしているマルコーさんを、しかし級長さんは冷たく切り捨てました。
「……いつまで、そのショートコントを続けている」
「ひどっ……!」
ひどいです。僕は、いつだって真面目ですよ、級長さん。
「なお性質が悪いわ、ばかもの。……いいから、さっさとドナの後ろから出て来んか」
嫌です。
「嫌がってるわ」
勇者さんの背中にしがみついて、かぶりを振る僕に、業を煮やした級長さんが実力行使に出ます。
「ドナ。甘やかしてはならん。その男は、クラスメイトたちに、とりわけ私に、もっと心を開くべきだ! さあ、ヴェルマー」
嫌ったら嫌です。特に貴女に心なんて開いたら最後、僕のプライベートはどうなるんです?
「…………」
黙らないで下さい。……本当にどうなるんだろう……。
「……ええいっ、往生際の悪い。このっ……! こら、変なトコ触るな!」
意地になる級長さんと、本気で嫌がる僕が、地面でばたばたと暴れ回ります。
「!」
繰り出された光の剣尖を、寸でのところで首をひねってかわせたのは、単なる偶然に過ぎませんでした。
直前まで僕の頭があった場所に、竜殺しの神剣を突き立てた勇者さんが、硬直した僕を冷たく見下ろし、淡々と言い放ちます。
「タロくんは、あたしの背中で甘えてたらいいのよ」
…………いえ、僕もそろそろ大人にならないと駄目ですよね。
すっかり観念した僕は、砂埃をはらって応援席の正面に立ちます。なんとなく恥ずかしくて顔を上げられない僕の肩を、級長さんが乱暴に叩きます。
彼女は、クラスメイトたちの前で高らかに宣言しました。
「ものども、喜べ! 午後からはヴェルマーが参戦する。詳しい経緯は分からんが……大人の都合というやつだ!」
級長さん、それオフレコです。と申しますか、れっきとした魔術寮生である僕が、寮内をうろついてて何が悪いんですか。書類上、僕を留学生扱いする意味が分かりません。
何か大きな陰謀を予感する僕をよそに、となりで級長さんがうむうむと頷いています。
何はともあれ……。僕はひそかに決意を固めます。二人三脚の“借り”は返す……必ずだ。
静かな闘志を燃やす僕に、何故か級長さんが自分の仕事ぶりを誇ります。
「心配するな。必要な書類は全て取り揃えてある」
? そうなんですか? よく分かりませんけど……ありがとうございます。
「ここにサインを……」
はあ……。うながされるまま、羽ペンを手にする僕。級長さんの笑顔が凍り付いたのは、そのときでした。
「ヴェルマー! 血まみれじゃないか? 怪我してるのか? 保健室に行かないと……」
ローウェルくんが席を立って、僕の手を取ったのです。
いえ、あの……。
今度は級長さんの背中に隠れて、僕は俯きます。午前の部で何も力になれなかったことが後ろめたかったのです。
「何をもじもじしてる」
ローウェルくんの真摯な視線にさらされて、級長さんの冷たい言葉も耳に入りません。
その……大丈夫です。これ、返り血ですし、いざというときには武器になりますから、そのままにしておいたんですけど……。ローウェルくんがそう言うなら、落とします……。
「そう……。本当に怪我はないんだね?」
ええ……。
こくこくと頷く僕。つっかえ、つっかえ“呪言”を唱えて、ローブに付着した命のしずくを水筒の中に回収します。ちゃぷん。
【ダロは、秘薬の生成に成功した】【“スフィンクスの問い”を手に入れた】
【呪言“影縫”のスキルがアップしたような気がした】
【魔導“錬金”のスキルは色々と限界だ。けれど明日もがんばろうと思った】
一方その頃、応援席では、女子の皆さんがひそひそと噂してます。
「ローウェルくんって、みょ〜にヴェルマーくんに優しくない?」
「意外とスパルタなのにね。この前だって、ネルさんとスペンサさんにマジ説教してたし」
「……あのときもヴェルマーくんが絡んでたよね?」
…………ロアさん、なんでそこではっとするんですか。勇者さんも、そんな目でローウェルくんを睨んじゃ駄目です。
“付箋”を召喚しはじめる級長さんを羽交い絞めにしながら、僕はお二人をなだめます。
しかしローウェルくんは、真剣でした。
「君たちは、ヴェルマーのことを誤解してるよ。彼は、僕が知る限り、最も優秀な魔術師の一人だ。それに、とても優しいんだ……」
お世辞でも嬉しいです。
まあ当然、女子の皆さんは反論します。
「騙されちゃ駄目、ローウェルくん」
「それがヴェルマーくんの手口なんだよ」
「ローウェルくんの“好き”とヴェルマーくんの“好き”は違うんだよ」
え、違うんですか? どう違うんです?
若頭謹製の対人マニュアルをめくってみますが、ひとしきり友情の素晴らしさを説いたあとは、正しいブラッシングの仕方しか載ってません。奥が深いです……。感心する僕。
ローウェルくんはがくりと項垂れ、
「いや……そういうことじゃなくてね。……ヴェルマー、君も何か言ってくれ。ドナさんの殺気が身に染みるよ……」
そうですね……。
僕は、女子の皆さんに向き直ります。
――ローウェルくんは僕のことを優しい魔術師だと言ってくれた。級長さんも僕を高く買ってくれているらしい。
今の僕があるのは、ザマ先生のおかげだ。ロアさんは、僕に生きる意味を教えてくれた気がする。
モーゲンくんの評価は少し重いけど、僕は勇者さんのパートナーなんだから、少しでも支えになれたらいいと思う。
彼らの期待に応えたい……。
「僕の“魔法”は、あなたたちの笑顔です」
「…………」
…………。
誰も何も言ってくれませんでした。
第六十五話です。
劇中に何度か出てきた“錬金術”とは、魔導の一分野です。“霊薬(永遠の水)”は、錬金術の到達点のひとつとされており、決まった材料がなく、生涯で一度しか生成できないと言われる、至高の秘薬です。