夏の祭り(その16)
モーゲンくんは問題児らしい。
成績は文句なし。剣士としても騎手としても群を抜くほど優秀で、その実力は生徒長のルトヴィヒくんを差し置いて、士官学校で一等賞に輝くそうな。
戦術指揮官としては賛否両論。人心掌握を疎かにするきらいがあり、短期的な戦果に目を囚われすぎる……というのが教官達の評価なのだとか。
僕の評価は少し異なるのですが……。
「余は、モーゲンに嫌われておるのかのう……?」
しゅんとする王子さまに、僕は気休めを口にします。
……彼は素直じゃないんですよ。そう、勇者さんふうに言えば“ツンデレ”なのです。王子さまのことを意識しすぎて、感情表現をうまく出来ないんです。たぶん。
「そ、それは少し困るの……」
さほど仕事熱心に見えない護衛の、ありもしない心境を吐露されて、王子さまは戸惑っているようです。
(……! 何をしているんだ、僕は)
純情な王子さまを騙して悦に浸るなんて、最低だ……。勇者さんの冷たい眼差しに、危ういところで踏みとどまった僕は、猜疑心の凝り固まった視線を寄越している取り巻きの女の子に再度、問います。
「……あの男はどこにいる?」
「そんなに気になるの」
勇者さん……。モーゲンくんの考えも理解できるんですよ。
三大貴族の二家が介入している時点で、王子さまの安全は保障されたようなものです。この状況下で王子さまを襲撃などしようものなら、それはもう王国に対する宣戦布告と等しい。
口実を得たネル家は容赦しないでしょうし、それはエミール家も同様です。たくさんの人が死にます。
そして何より……。僕は、傍らの勇者さんに目を遣ります。……彼女がいる。単独で生産限定モデルと互角に渡り合う勇者さんを、人間ごときがどうこう出来るものか……。
「そうやって真面目な顔しても駄目よ。本当に大切なことは口に出してお願いするの。タロくんは、まずあたしに許しを請う癖を付けるべきだわ」
…………お願いします。
「はじめてにしては、まあまあね。……いいわ、あんた、案内しなさい」
腰に手を当てて指図する勇者さんに、士官学校の女の子は逆らいませんでした。僕のときと態度がまったく違う……。
寮を出て、一行は西へ。午前の部のハイライトで盛り上がっている校庭を横目に、魔術寮をぐるりと囲う森に足を踏み入れます。
獣の鳴き声ひとつしない静寂な森は、心霊スポットとして有名で、たまに猫が遊びに来る。若頭がいるから動物は飼えないけれど、たくましく育った黒猫が、野垂れ死ぬことは野生の“誇り”だと教えてくれるから、それでいいのだと思った。
森の中、僕と勇者さんの通学路で対峙している二人が、猫でないことが悔やまれます。
「……モーゲン、どうしても口を割る気はないんだな?」
剣の柄に手を掛けたルトヴィヒくんが、苦渋に満ちた声で説得を試みます。それは聞くものによって、自問とも自嘲ともとれたでしょう。
「同じ国に生まれ、暮らすものが、こうしていがみ合って何になる……」
対するモーゲンくんは、木の幹にもたれかかり、腕を組んでいます。
「甘いな、ルトヴィヒ。お前は甘い、ネル派に共通する甘さだ、だからオレに負ける。……どうした、掛かってこないのか。アレが何なのか、気になるんだろう?」
彼は、その口元に笑みを湛えたまま、ルトヴィヒくんの優しさを甘さと断じました。
「気が付いていないようだから、言ってやる。お前が本当に求めているのは“そんなこと”じゃない。オレにエミールの情報を売れというのは、お前の“甘え”なんだよ」
モーゲンくんの指摘は鋭く、ルトヴィヒくんの“弱さ”や“脆さ”に苛立っているようでもありました。
そのとき、僕はふと思ったのです。もしもルトヴィヒくんがモーゲンくんの同期だったなら、二人は良いライバルで居られたのかもしれないと。
しかし事実としてルトヴィヒくんはモーゲンくんより一つ年長で、それは些細なことだけれど、今年でルトヴィヒくんは士官学校を巣立って騎士になる。彼のあとを継いで、モーゲンくんは生徒長になる。それはきっと、埋められない溝なのだと、隊長を見送る立場の僕には分かる気がしました。
「……そうかもしれない。でも、本当にそうか?」
ルトヴィヒくんは言います。“弱さ”も、また“強さ”になりうるのだと。
「人は、臆病なんだ。モーゲン、誰も彼もが君のように強く在れる訳じゃない。……臆病だから、迷い、傷付け合うのを恐れて、歩み寄れることだってあるんじゃないか?」
その理屈が、モーゲンくんには通じません。人は“弱さ”を克服できるのだと、彼は心のどこかで信じているからです。
ルトヴィヒくんは言葉を重ねます。残される後輩に、自分が何をしてやれるのかと模索するように。
「……俺の剣は、ネル家に捧げた。ネル家の遣り方が正しいとは思わない。しかし、誰かがやらねばならないことだ。だから俺は、この手を血で汚すことも厭わない。それが俺の“弱さ”なんだろう。……モーゲン。君は違うのか? 君は、何のために戦う? 強さを得るためか?」
「真っ直ぐだな、お前は」
そう言って、モーゲンくんは苦笑しました。彼なりに真面目に答えようという気になったのか、表情を消すと、腕組みをといて前に出ます。
「強さは手段の一つだ。目的ではない」
「……ますます分からなくなったな。君は、エミールを妄信しているようには見えない。なのに、どうしてエミールに従うんだ?」
「そうだな……」
悩む素振りを見せたモーゲンくんが、ちらりと僕を一瞥します。釣られてこちらを見たルトヴィヒくんの間隙を突いて、モーゲンくんは瞬時に間合いを詰めました。
抜き放たれた神速の一刀を、ルトヴィヒくんは反射的に引き上げた鞘で防ぐのが精一杯でした。並の技量だったなら、口論のすえ殺人事件に発展する現場を僕らは目の当たりにしたことでしょう。
しかし不幸にもルトヴィヒくんは優秀な騎士候補生で、士官学校で唯一モーゲンくんに対抗できる人材だったのです。
息がかかるほど肉薄し、鍔迫り合いをするルトヴィヒくんに、モーゲンくんはとっておきの秘密を打ち明けるように囁きます。
「オレに命令できる人間が一人くらいは居てもいい。そして、それはベルザ=ベルではない、ということだ」
と、ルトヴィヒくんの体勢が崩れます。不意に足元をすくわれたような違和感――。
「“迷宮”……!」
会話の端々に圧縮言語を織り込んでいたようです。周囲の魔素を支配下に置き、制御を奪う“魔術師殺し”の真髄です。
魔術に慣れすぎた現代人にとり、魔素の補助をなくした瞬間に訪れるものは、無明の“闇”です。神殿騎士の真骨頂とも言える“五感潰し”に、しかしルトヴィヒくんは騎士特有の耐魔力を発揮して均衡します。
己の内にあるものに問いを託し、五感を取り戻したルトヴィヒくんが、キィと剣を鞘走りさせました。その反動で弾き返されたモーゲンくんが、ニヤリと唇の端を吊り上げます。
「やはりな。士官学校のボンクラどもは、お前に“祝詞”潰しを仕込んでいたか。そうこなくてはな」
普段は感情の豊かなルトヴィヒくんですが、追い詰められ、心の波を抑制した彼は、無慈悲な瞳をモーゲンくんに向けます。今ここにあるものこそ、士官学校の抱える“闇”でした。
「モーゲン、君は騎馬の遠隔操作が出来る筈だな。手加減は要らないぞ」
「それは無粋というものだろう?」
ますます笑みを深めたモーゲンくんが、祝福された剣の先端で土が削れるのも構わず、突進します。
「…………」
…………。
教育によろしくない光景です。無言で佇む少年少女を抱き寄せて、僕は彼らの視界を塞ぎました。……王子さま、見ちゃ駄目です。
はふ。勇者さんが溜息を吐きました。
「どうして男の子って、みんな、ああなのかしら」
“ああ”とは?
「…………」
勇者さんは、つ、と無言で僕を見詰めます。血溜りに沈んだ宝石のような瞳が、何かを雄弁に物語っています。
…………戦って勝ち取れるものなんて、ほんのわずかだ。けれど、大切なものはいつだって驚くほど身近にあるから、いつか“本当に大切なこと”を見失うんじゃないかと人は臆病になる。
僕は、背後で一進一退の攻防を繰り広げている二人を、なんとなく他人事と割り切ることが出来ませんでした。
とあるモーゲン家の跡継ぎの職務放棄に巻き込まれた男の子ふたりが、ささやかながら僕に同意してくれます。
「女にはわからないんだよ。男は戦わなくちゃいけないときがあるんだ。な?」
「うん。よくわかんないけど、なにかを守ろうとするのはタイヘンだって先生も言ってたもん!」
「……だからって、よそで喧嘩するのは何か違うだろ」
女の子は、現実と向き合う絶妙なバランス感覚を誰から学ぶのでしょうか。男女で意見が真っ二つに割れ、僕らの視線は自ずと王子さまに集中しました。
「平和が一番なのじゃ」
大陸の覇権を争う軍事大国の第一王位継承者は、迷わず言い切りました。僕の腕をするりと抜け出した王子さまは、駆け出そうとして、何もないところでつまずいてしまいます。
ああ……!
大の字に倒れた王子さまに駆け寄って、僕はおろおろします。い、……痛いの痛いの飛んでけ〜。
おまじないが功を奏したのか、ひとりで起き上がった王子さまは、強い子ですね。涙目ですけど。
「これ! 喧嘩をやめんかっ、このっ、ばかものーっ!」
ですよね。喧嘩はいけません。
即座に意見を翻した僕は、すかさず追随しました。
「だよな、ケンカはよくない」
「うん。ケンカすると殿下が泣くもん」
「……コイツら」
僕らの心はひとつになった筈なのに、男女の溝はひたすら深く、埋めがたく、それがとても大事なことのように感じたから、大切にしようと思った。
「タロくん、午前中はどこ行ってたの」
だから、まさかモーゲンくんを追いかけて地下迷宮に潜ってました、なんて言い出せる勇気は僕にはなかった。
第六十三話。王族はドジっ子。
ゴーレムの遠隔操作は、剣士であり魔術師でもある神殿騎士なら例外なく修める技術ですが、あまり歓迎されません。最悪“輪廻炉”の凍結による呪霊化(暴走)も起こりうるためです。