夏の祭り(その11)
級長さん、お待たせしました……。
感覚の失せた半身を引きずって、よろよろと来賓席を目指します。
……この五年間、彼女とは色々ありました。意地悪な女の子というのが最初の印象。一人で生きていくんだと息巻いていた彼女は、どこか憎めない存在でした。
あれは四年前になりますか。若頭と一緒にネル家へと乗り込んだ僕を、貴女は余計なお世話だとなじりましたね。……僕は間違ってませんでしたよ。
こちらに気付いたロアさんが、級長さんの袖を引っ張って注意を促します。身分の差をものともしない遣り取りを目にして、僕は確信を深めます。……そう、間違っていなかった。
級長さん。実家から戻ってきた貴女が、級長になると言ったとき、僕は本当に嬉しかったんです。だから……。
「きみが望むなら、僕はきみと共に歩もう」
級長さんは、うむ、と厳かに頷いて、
「……ヴェルマーが二人!?」
僕のモノローグを台無しにしてくれました。
地面に突っ伏して泣き崩れる僕。返してください。あの頃の感動を返して……。
すると、級長さんは、僕と若頭を交互に振り返ります。むう……と唸って、
「甲乙付け難いな……」
誰かこの人をどうにかしてくれませんかね。
……ロアさん? ロアさんなら、分かってくれますよね。前々から疑問だったんですけど、貴女はどうやって僕と若頭を区別してるんです?
そう尋ねると、不意にロアさんの目が泳ぎます。さっと頬を赤くして、
「な、なんとなく……」
…………僕に何をしたんですか?
欺瞞に満ちた世の中で、僕らは何を信じて、何のために戦うのか……。
そうだ、勇者さん、勇者さんはどこへ……?
探すまでもありませんでした。勇者さんは、テントの日陰で涼んでいます。
《いや〜、大活躍でしたね、ドナ=ドナさん。仕官学校の脳筋どもを、まるで寄せ付けない走りでした。わたくし、胸の透く思いです》
《……あれは反則だろ。どう考えても人間の限界を超越してたぞ。まさか秘薬の類でも使ったんじゃないだろうな……。君、嫌だったら言わなきゃ駄目だぞ? 魔術師なんてろくな連中じゃないからな》
マルコーさんとワンダさん……もとい解説の人に挟まれて、ヒーローインタビューらしきものを受ける勇者さん。
《ノラがうるさいのよ。クラスメイトだからって、あたしに意見するなんて生意気だと思わない? あと、暑苦しいから喧嘩すんな!》
《ドナや……分かってないね。魔術寮と士官学校は犬猿の仲。喧嘩上等! 貴族なんてららら。悔しかったメイドの一人でも連れて来いっての》
《うわ、ムカツく。あのな〜、魔術寮にだって貴族の一人や二人はいるだろ? スィズさまはともかくとして、意外と普通なんだぞ。メイドは関係ない》
ちなみに、お忘れの方も多いかもしれませんが、僕も貴族の端くれです。
《メイドの一人も連れてこれんのか!》
《メイドは関係ねえっつってんだろ!》
白熱する実況席。メイドに執着するマルコーさんと、メイドを擁護するワンダさんが、席上で取っ組み合いを始めます。
素早く避難した勇者さんが、マイクに向かってポツリと一言。
《以上、実況席でした》
…………。
僕の存在をスルーされました。わ、若頭……僕はどうしたら……?
僕は、我が家の羊さんの肩をゆさゆさと揺すって教えを請います。
びくっと寝返り(?)を打つ若頭。閉じられた目蓋が、きろ、と開きます。
草食動物にあるまじき発達した犬歯が覗きます。獰猛な唸り声を上げながら、若頭は異国の言葉で囁きました。
「『……“蛇”が……』」
黄金の瞳を縦に走る瞳孔が、スゥ、と収縮します。……若頭? ぽんぽん痛いんですか?
心配する僕を、しかし若頭は押しとどめ、
「『俺の獲物に手を出すとは――身の程を知れッ!』」
一喝すると共にひづめを一閃します。不可視の“力”が刃となって、僕の尻尾を根元から切断しました。不思議と痛みはありませんでしたが、一抹の寂しさが胸を過ぎります。
フゥーッと唸り声を上げている若頭を、僕はよしよしと宥めます。お揃いの尻尾をちょん切られたことはショックですが、彼は常に僕を正しい道へと導いてくれる存在。疑うよしもありません。
どうどう……。逆立った毛並みを手ぐしで整えてあげます。
「…………」
気を鎮めた若頭は、怒りを押し隠した声で問うてきます。
「タロくん、誰に苛められたか言うのである」
…………。
――っ……モーゲン! 殺すな!
――ヴェルマー、地下迷宮を封鎖しろ。未練を断て……それしかない。
……若頭、もしもの話ですけど、実家に二度と戻れなくなったら……どう思います?
「タロくん、まさか……?」
違うんです。違うんですけど……ちょっと難しくなりました。考えが変わりまして、ひと目だけでも、と思ってたんですが……。
コソコソと話し合う僕ら。ふと、視線を感じて振り返ると、神殿騎士の方々が完全武装で巫女さんを保護し、僕らを取り囲んでいます。何事ですか?
あの……祝福された剣を僕に向けるのはやめて貰えません? 昔はそうでもなかったんですけど、近頃は聖性を帯びたものに敏感になってきましてですね……。
「教会の犬どもめ」
のそっと立ち上がり、ファイティングポーズを取る若頭。シャドーに余念がありません。
……悪気はないんです。話し合いましょう。争いは何も生み出しません。
堂に入ったジャブを繰り出している羊さんの横で、平和解決の道を提示する僕でした。
第五十八話です。
公にはなっていませんが、ネル家の人間は“亡霊の囁き”という、言わば読心術を生まれながらにして備えています。これは“解呪”の一種であり、本人の意思で制御することはとても困難です。