祭りの支度(前編)
申の月 045“階”(謎の単位) 気だるい午後
タロくんがいない。
目を離すとすぐこれだ。
半ば諦めつつ、作り置きの朝食に手をつける。パンを千切ってポチにあげようとすると、妙に真剣な様子で明後日の方向を睨んでいる。
やっぱり、あのひとの子ね……。
朝の支度を済ませて、家を出る。するとポチが、はっとして私の肩に飛び乗る。「もういいの?」と聞くと、らが〜と一声、鳴いた。「そう」と頷き、家の鍵を閉めた。
現在、私は王都の外れにある魔術寮というところで魔術を学んでいる。
正直なところ、魔術なんて興味はないし、おそらく異世界人の私にとっては意味がない。
なんでも、魔術を使うにはある一定以上の魔素(とある羊は“翻訳機”と呼んでいた)が必要不可欠であるらしい。
魔素というのは、魔物の血肉を構成する最小単位のようなもの。彼らとの戦争を繰り返した結果、この世は魔素に満ちている。
もちろん、人体にとっては異物に他ならない。たくさん食べれば魔術師になれるかと言うと、そうでもないようだ。
このあたり、マルコーというタロくんと仲の悪い女(つまり私にとっては都合の良い女)は、元々魔素は人間に使えるよう調整されていたのではないかと睨んでいる。もしくは人間が作ったか、だ。
まあ、私にとってはどうでもいい。元の世界に未練はないし、勇者なんて肩書きはうざったいが、この世界には私の居場所がある。
そういう訳で、今日も学校へ行く。
あのひとによれば、私たちの担任のパラメ先生は信頼できる人らしい。実のところメエと鳴く生き物にしか心を許していない彼が言うのだから、よほどのお人好しなのだろう。
案の定だった。
「おはよう、ドナドナさん」
自慢じゃないが問題児だ。土壌が違うと育つ人間も違うのか、当然と言えば当然の理屈である。テレビの中にしか存在しなかった熱血教師の現物を目にした。
私は腐ったみかんじゃない。そんなフレーズを思い出して、ここ最近は大人しくしている。
退屈な授業が始まる。……かと思えば、今日から三日間を運動会(この世界では“交流祭”と言うらしい)の準備期間に充てるらしい。
造花の製作に始まり、本日のメインイベントは仮設テントの設置とのこと。しかも、上級生と組んでラクをできる一年生、二年生と違って、三年生は自力で組み立てる、だと。
ひたすらダルかったので、ツテを頼って五年生の教室に行く。もちろん狙いは“付箋”という名の労働力を天から授かったあの女だ。
そして私は、日頃からタロくんが嘆いている学級崩壊の現場を目の当たりにした。
「いい気味ね、スペンサ! この際だから言っておくけど、あんたオトコの趣味サイアクなのよ!」
「……人が下手に出てれば調子に乗って〜! アーチス! この成金ムスメっ!」
「や〜〜〜アっちゃんの言うことにも一理あると思うぞぉ? あんな男のことなんて忘れてしまえよ……」
有象無象どもが騒ぎ立てている。
「……その情報は確かなのか?」
「だよな。なんで士官学校が絡んでくるんだ? ネル派の巣窟だろ、あそこって」
「……目的は別にあると思う。同じ三大貴族ならともかく……ネル家に逆らうなんて自殺行為だよ」
……あの女は何をしているのか。仮にも学級委員長だろうに。
「…………」
「…………」
無言で教卓に置かれた果物ナイフ。
あの女の視線に硬直しているのは、誰だったか、そう、カルメル坊やだ。
「あの……ネルさん? これは一体……」
「未確定ではあるが……今年の交流祭を、あの忌々しいエミールの“巫女”がお忍びで観戦するという噂がある」
「そ、そう……」
「三日後だ。分かるな?」
「え……」
「お前には期待している」
私は、何も聞かなかったことにした。
タロくんの前では猫を被っているようだが、あの女は平気で他人の将来を棒に振ることができる。血は争えないということだろう。
やはり人間、何事も他人を頼っては良くない。そう考えを改めて、三年生の教室に戻る。
しかし造花を三つ作ったところで飽きた。どうしたものか……。
ところで現在、王都では魔物が断続的に出没して大変なことになってるらしい。が、むろん私の知ったことではない。
「でも、でも、ドナちゃんは勇者さまなんでしょ?」
クラスメイトのノラなんたらは言い募るが、正義の味方と勘違いしてもらっても困る。
「この際だから言っとくけど。あのね、ボランティアじゃないの。お国の都合であたしを喚んだんだから、国王じきじきに頭を下げるのがスジってもんでしょ」
正確には、あのくそじじいと三大貴族が絡んでいるらしいが、分かりやすくそう言った。踊らされるなんて真っ平だ。
「そうね。魔物の退治は騎士団のお仕事。ドナドナさんは私の生徒。さて、生徒のお仕事はなんでしょう?」
くっ……この女。造花を両手に掲げてニコニコと笑うパラメ先生は、たしかに教師の鑑ではあった。人としてどうかとは思うが。
結局この日、タロくんは帰ってこなかった。
タロくんの馬鹿。
…………。
以上、勇者さんの日記より。
「……寂しい思いをさせてしまいましたね」
「そういう問題ではないと思うのである」
あ、若頭。きちんとひづめを拭かないと駄目ですよ。返り血って落ちないんですよ?
馴染みの八百屋さんを迫り来る魔の手から救ってきた帰りです。
ひづめを布巾でふきふきしていると、不意に若頭が言いました。
「タロくん、いつまでこんなままごとを続ける気なのである」
彼に隠し事はできません。
「……うん、分かってる。分かってはいるんだ」
そう、僕には分かっていました。
健やかな寝息を立てる勇者さんを見詰める僕の目は、きっと悲壮な覚悟で満ちていたことでしょう。
「カルメルくんは僕が守る……!」
「タロくん……」
級長さん、許すまじです。
第四十五話。勇者の日記ふう。
元来、勇者とは“欠落者”を人工的に再現したものです。また、人工的な“欠落者”を“二人目”と称するのですが、これはイコール勇者という訳ではありません。




