遥かなる旅路(後編)
生産限定モデル。最高位の魔物さん達の総称で、一種一体のみの存在、強固な自我を有することで知られています。
はっきり言って、人間がどうこうできるレベルの存在ではありません。したがって――。
「いや……これは無理だろ……」
あまたの困難を退け、人として一回りも二回りも逞しく成長したローウェル班のみなさんがさじを投げるのも致し方のないことでした。
なんだかんだ言ってもロアさんも女の子です。貴族の暮らしに憧れているふしがある彼女のために編まれたワンダーランド。
――いえ、僕は無実ですよ。
とにかく、王宮の大広間を模した広大な空間で、窮屈そうに巨躯を屈めている魔物さんと赤の他人の振りをできたら、どんなに素敵なことでしょう。
《…………》
いけるかもしれません。
なんだか見覚えのある魔物さんは、胡乱な瞳で僕を見詰めたあと、不意に視線を逸らしてあらぬ方向を見上げます。
とっさに僕を盾にしようとしたマルコーさんが、震える声で呟きます。
「教授の怨念を感じるわ」
……どういうことです?
「級長っちの“反魂”をアレンジしたものね、きっと。伝導率の不足を何かで補って……たぶんオリジナルには遠く及ばないだろうけど……どうする?」
もう言ってしまいますけど、呪霊王さまのシリアルコードは078。現存する魔物さん達の中で、ほとんど最古の部類に属します。残念ながら、マ国の滅亡に少なからず関わっていることでしょう。
「どうするって、」
戦って倒すしかありません。
(アレは勇者さんの負担になる。生かしておくことはできない……。しかし、どう説明する?)
悩める僕を、しかし呪霊王さま(仮)は待ってくれません。枯れ木のような片腕を振り上げたかと思えば、無造作に一閃します。今にもポキリと折れそうな腕ですが、例えるならば――魔術寮の壁を粉砕し、級長さんの座席を瓦礫で押し潰すほどの膂力を秘めています。
横殴りの突風が吹き荒れ、クラスメイト達が木の葉のように舞います。
勇者さん、しっかりとつかまっていて下さいね。
「わっ」
おっと。
吹き飛ばされそうになるマルコーさんとワーグナさんを、僕は腕に一人ずつ抱えて事なきを得ます。
「……お前さんはホントに見境なしだねぇ」
感謝の言葉ひとつありません。マルコーさんの冷たい視線に僕は泣きたくなります。
……級長さん、腰にしがみつくのはやめてくれませんか。貴女には“付箋”が付いてるでしょう?
「ばかもの。あれは“呪い”だと言っておろう。迂闊に近寄るものではない。それに……不公平ではないか」
そうだそうだ不公平だ、と貴族社会の恩恵に最大限、与っているネル家の令嬢が連呼します。
「ところでヴェルマー、二人三脚の練習の件だが……」
「撤退しますよ!」
僕は、死んだ振りをして自分だけは助かろうとしているクラスメイト達に向かって声を張り上げます。
肩の上の勇者さんから、お馴染みの冷気が立ちのぼります。
「タロくん、二人三脚の練習って何。二人きりで何してたの」
勇者さん、今はそれどころでは……。
「誤魔化しても駄目よ。あの出来損ないなら、あたしが――」
駄目です。勇者さんの手から星の剣をやんわりと取り上げて、僕は言います。
「勇者さん、貴女の身体には駆逐し切れなかった“トロイの木馬”が潜伏してるんです。今後、魔物と関わるのはよしなさい。瞳の色に関しては、ローウェルくんに言って隠しておけば大丈夫」
「タロくん? 何を……」
「遺言ですよ」
僕は彼女をそっと降ろして、級長さんに預けます。“撤退”と聞いてわらわらと集まってきたクラスメイト達ともども、結界で隔離します。
「タロくん、おしおきされたいの?」
さて……?
僕は、勇者さんの詰問をはぐらかすと、すっかり冷め切ったパンをアイテム欄でチョイスします。
「今からゲートを開きます」
「タロくんは、どうするの」
誰かが残ってゲートを閉じなければなりません。が、あえて僕はそれを告げませんでした。
「……級長さん、あとを頼みます。僕の両親に充てた手紙を、ザマ先生に渡して貰えれば、きっと分かってくれる筈です」
高度な暗号文ですが、ザマ先生ならきっと……。
「待て。ベリアルは。若頭はどうした? アレはミミカ族の中でも別格だ。生産限定モデルとも互角以上に渡り合える。……どうして喚ばない?」
級長さんの疑問に答えたのは勇者さんでした。
「いない……」
「なんだと?」
「いないの。タロくんに内緒で、ベルザ=ベルと決着を付けに行くって。あたしは奴に“名”を握られてるから……だから……」
若頭にも困ったものです。
(まあ……)
僕は、襤褸の奥で魔眼を明滅させている呪霊王さま(仮)に向き直ります。
「……僕も人のことは言えないか」
「タロくん!」
ばんばんと不可視の壁を叩いている勇者さんに、僕はお別れを告げます。
「勇者さん、生きてください」
神秘の枝を抜き放ち、絶望的な戦いに身を投じようとする僕。
(刺し違えても、アレを討つ)
【魔導書を解凍します】
【使用許諾違反。“魔術師の使い方”は不正なデータです。作業を続行しますか?】
一方、マルコーさんは白けた雰囲気で、
「盛り上がってるところ悪いんだけど、なんか致命的なエラーが生じてますよ? と言ってみる」
そんなばかな。慌てて振り返ると、あっさりと“解呪”で結界を突破してきた級長さんが、平手を振り上げて、
「ばかもの」
少し悩んだ挙句に僕の手からパンを奪取して、もぐもぐと食べました。
…………どうしてそういうことをするんです?
霧散した“門”を呆然と眺めていると、今度は勇者さんが無言でてくてくと歩み寄ってきて、僕の手から星の剣を奪還すると、流れるような剣さばきで僕の喉元に光の刃を突き付けて、
「先に逝ってて。すぐにあとを追うから」
無理心中の決意を淡々と述べます。
命の大切さを懇々と説く僕でした……。
――そして現在。
「“魔法”ってぇのは、高度であればあるほど複雑になンだから、崩すのは簡単なのよ」
呪霊王さま(仮)を一蹴したロアさんは、誇るでもなく、つまらなそうに仕掛けを披露しました。
お風呂にでも向かう途中だったのか、寝癖で髪があちこちに跳ねてます。何やらポチと良く似た人形の腕をずるずると引っ張って、僕の傍らを通り過ぎようとします。
目下お説教を受けている僕と目が合ったのは、そんなときです。
何故か慌てた様子で人形を隠して、ふと人前であることを意識したのか、手ぐしで寝癖を直しながら、ロアさんは憤然と僕に物申します。
「あっ、謝ったって許してあげないんだかんね!」
…………どのような責任転嫁が彼女の中で働いたのかは定かではありません。
が、とりあえず謝っておけば全て丸く収まる気がした僕は、素直に頭を下げます。
ごめんなさい。
「そう。分かればいいのよ。分かれば!」
シンプルに生きているロアさんは、上辺だけの謝罪に心を動かされたようで、満足げに首肯を繰り返しました。赤子の手をひねるようなものです。
……さ、ロアさん、カルメルくんと仲直りの握手をしましょうね。
「は? なんで?」
素直じゃないですね……。
……カルメルくん、彼女に悪気はなかったんです。殺意はあったのかもしれませんけど。ここは勇者さんの癒し効果に免じて許してやってくれませんか?
「……まあ、おれも悪かったし、なかったことになってるみたいだし、癒し効果とか良く分かんないけど、うん」
天晴れな心意気ですよ。あめ、あげます。
「ええと、うん」
ころころ。飴玉を舌の上で転がすカルメルくん。
一方、
「ロアっち〜。明日から学校、来いよ?」
「エリス。……まあ、考えとく」
旧交を温めているロアさんを見て、思わず頬が綻んでしまいます。これにて一件落着ですね。
甘かったと言わざるを得ません。
「――で、だから、……タロくん! 聞いてるの!?」
ごめんなさい。
勇者さんと二人、延長戦に突入する僕でした……。
第四十話です。
第一次侵攻の主翼たる老骨の巨竜を討ち漏らしたことで、ネル家は生産限定モデルに対抗するために魔物を量産化する計画を立てました。現在で言うところの呪霊騎士の誕生です。