遥かなる旅路(中編)
人と人は、どうして分かり合えないのでしょうか……。
「だから何度も言ってるでしょ。世界は丸いの。球体。分かる?」
ええ、何度も聞きました。……でも、それだと下にいる人は落っこちちゃいますよ。
「“下”ってドコ」
うーん……今は亡きマ国とか。
魔物さん達の第二次侵攻を忠実に再現した“マ国滅亡”は、演目でたびたび目にする屈指の悲劇です。
勇者さんを肩車して歩く僕は、先行するローウェル班にフューチャーされてるマルコーさんに目を留めます。
「っ……魔法陣だ! 囲まれてる!」
「くっ……僕が出る! 下がって! ……マルコーさん、気付いてたね? どうして――」
「ふふふ……このマルコー、腐ってもスペンサ班の副官……見くびってもらっては困る!」
魔物さん達への憎しみを糧に生きてきた少女の面影は、そこにありません。
入寮当時、ご先祖さまの無念を晴らすことで頭が一杯だったマルコーさんは、クラスで孤立した存在でした。
今でこそ面白おかしく内部分裂している僕らのクラスですが、これでもあの頃と比べれば随分とましになったのです。
かつてはクラスの和を乱していた筆頭株の一人に挙げられる級長さんが、「ちっ」と舌打ちしました。
「ローウェルめ……露払いも満足にこなせんのか。この調子では日が暮れるぞ」
生きて帰れるかどうかも分かりませんけどね。
「その割には冷静だな」
当てにしてますよ、級長さん。
いざというときに備えてパンを千切りつつ、何やらもぐもぐと口を動かしている級長さんと見詰め合います。
食べ歩きは感心しませんよ? すると彼女は、口の中のものを嚥下してから、
「分かった。結婚してやる」
誰がプロポーズしましたか。
悪戦苦闘するローウェル班をよそに、後続の面々は呑気なものです。
おそらく、この場にいる誰よりも危機感を抱いている僕は、頬を引っ張ってくる勇者さんをあやしながら、掌に滲む汗を拭いました。
(……大丈夫、種は撒いてある。もしものときは、みんなだけでも……)
こんなこともあろうかと、早起きして焼いたパンに願いを託します。食べ物を粗末に扱うのは心苦しいのですが、日常に魔術の足跡を刻み付ける“遁甲”は、“焚書”と並ぶ僕の切り札です。
そんな僕の只ならぬ決意を察したか、肩の上で勇者さんがボソリと呟きました。
「まだるっこしいわね」
あらゆる魔物を退ける聖なる刃は、当然ながら魔術を無力化することが可能です。
実際、過去にロアさんのお部屋に辿り着いた実績を誇る勇者さん。
「こうなったら、あたしが――」
いけません。僕は勇者さんの足首を掴む手に力を込めます。
「タロくん、駄目よ。こんなところで……」
何か誤解があるようですが、僕は断固として手をゆるめません。
……先月の出来事です。お風邪を召した勇者さんを巫女さんに診て貰ったところ、治療費として級長さんの首を要求されるなどまあ色々とありましたが、勇者さんの身体を構成する大事な回線に寄生する“トロイの木馬”なる潜伏型のウィルスが発見されました。
不幸中の幸いと申しますか、世界樹のアレ的なパワーを持つ神秘の枝からワクチンを抽出することに成功し、一命を取り留めた勇者さん。
あんな思いは二度とごめんです。
僕は、勇者さんに普通の女の子として暮らして貰いたいんです。
「男のひとって勝手ね」
…………。
ところで級長さん、このままだと全滅ですよ。
少し目を離した隙にお悩み相談など始めてしまった級長さんを振り返ります。
「スペンサと仲良くしたいならそう言えば良かろう」
「……なんで私がスペンサなんかと仲良くしなきゃいけないのよ!」
「まあまあ……ヴェルマーくんじゃないけど、クラスメイトなんだからさ……」
ワーグナ班にも色々とあるみたいです。
一方、阿鼻叫喚の坩堝と化しているローウェル班。
「マズイっ……強制転移だ! 跳ばされる……!」
「掴まれっ! アリスさん……! あとを頼みます!」
「……カルメル!? カルメル! 死ぬなっ!」
…………。
勇者さん、そろそろお昼ごはんにしましょうか。僕、お弁当を作ってきたんです。
「タコさんウィンナー、入ってる?」
もちろんです。
……ワーグナさんも一緒にどうです?
「…………」
琥珀色の瞳でじっと僕を見詰めていたワーグナさんは、無言でコクリと頷きます。
(……ロアさん、お友達が心配してますよ?)
育て方を間違ったかな、と内心で涙する僕でした。
第三十九話。見事にバラバラな五年生の人々。
第二次侵攻で言わば“目”と“耳”を失った王国は、続く第三次侵攻で窮地に立たされます。戦火は王都にも及び、魔物の中継地点である“門”の展開を許してしまいます。