分岐点
「夏だ」
そうですね。
「海だ」
そうですね。
「交流祭だ」
嫌です。
「……まだ何も言っておらんではないか」
じゃあ聞きますけど、どうして僕は縄で手足を縛られてるんですか?
わざわざ“祝詞”で夏の太陽まで演出して……。
あと、ロアさん、近いです。ただでさえ暑いんだから、適切な距離を置きましょうよ。
「ねえ、ヴェルマー」
不覚にも、ときめいてしまいました。
ミミカ族に囲まれて育った僕は、個体の区別をツノで判断するのですが、残念ながら人類にツノはありません。
将来は生えるとかそういう問題ではないことに気が付いたのは、割と最近の出来事です。
その僕が。ツノも生えていないロアさんに心をざわめかせるとは。
たび重なる体罰と暴言で、眠れる被虐性が目覚めてしまったのか? そんなバカな……。
頬を上気させたロアさんの甘い吐息。
「踏んでいい?」
まず駄目です。
「愛されてるね」
ローウェルくん、貴方の愛はもう少し限りあるべきです。叱るべきときはきちんと叱らないと、ろくな大人になりません。
僕と同じく手足を縛られて、みのむしよろしく砂浜に転がっているローウェルくんは、爽やかに笑って、
「虐げられるのは慣れてるんだ」
笑っている場合じゃないでしょう。過去に何があったんです? まあ大方の想像は付きますが……僕はローウェルくんの味方ですよ。
「ありがとう。ヴェルマーは優しいね」
あ……。
(か、会話してしまった)
ど、どうしましょう。なれなれしい口を利いてしまいました。どぎまぎしている僕を尻目に、ロアさんがローウェルくんに食って掛かります。
「あっ、愛って何よ!?」
ロアさん……。
共働きのご両親に構って貰えず、寂しい幼年期を過ごしたロアさん。愛を知らずに育ったのですね……。
同じ過ちを繰り返すまいと心に決めます。
だから勇者さん、この首輪を外してくれませんか。なんだか心の奥底で眠っている尊厳を粉々に打ち砕かれている気がするんです。
ひもの先端を握っている勇者さんは、懇願する僕をチラリと一瞥して、
「気の所為よ」
冷たいお言葉です。しかもどこかで聞いたことがあるようなフレーズ……。
「タロくん、女の子だけじゃ満足できないの?」
ごめんなさい、言ってる意味が分からないんです。
そんな僕の窮地を救ってくれたのは、やはりこの人、輝く笑顔のローウェルくんでした。
「まあまあ、ドナさん。ヴェルマーの置かれた環境は特殊なんだよ。僕らにも責任はあるんだろうけど、ね」
感激です。どう特殊なのかは後日の案件に回すとして、ローウェルくんは理解を示してくれているようでした。好感度+3です。
一方、何がなんでもローウェルくんに賛同したくない級長さんは、吐き捨てるように言いました。
「ヴェルマーの置かれた環境は特殊だからな。もちろん私は別だが」
二番ぜんじです。何も思い浮かばなかったんですね。ペナルティですよ、級長さん。
「それは不当な評価ではないか? 今だから言うが、お前の正体が実はミミカ族の中の人であるという根も葉もない噂を流したのは何を隠そう私だぞ」
なんのフォローにもなってませんから、それ。
と申しますか、貴女そんなキャラじゃなかったでしょ? 何事にも動じず、騒がず、クールな一匹狼だったあの頃の級長さん(当時は級長ではありませんでしたが)はどこへ行ったんです?
すると級長さんは、珍しく赤面し、
「ばかもの。……さて、なんの話だったか。そう、年貢の件だが」
戻りすぎです。交流祭ですよ。あの忌々しい。
「そう、それだ。ヴェルマー、最初に言っておくが欠場は許さん」
嫌です。
「何故だ。理由を言え」
級長さん、分かりやすく言いますとですね、僕の身体はひとつしかないんです。分裂できるようには出来ていないんですよ。
「何故だ!」
え、そこに食い付くんですか? それはもう生物学上そうなっているとしか……。
「違う! もうミミカ族の替え玉はたくさんだと言っている! 二人三脚! 今年は騙されんぞ」
むしろ騙されてたんですか。その事実だけで僕を打ちのめすには十分ですよ。
……この際“付箋”と一緒に走ったらどうです? 誰も文句は言いませんよ。
「人間と、一緒に、走り、たい!!」
…………。
それは、級長さんの魂の慟哭でした。
僕は……。
首を、縦に振らざるを得なかったのです。
「交流祭って何?」
勇者さん、それはまた次の機会に。
第三十二話。前後編にしようかと思ったのですが、本番まで間があるので。
“祝詞”は“呪言”の一種です。神職者が直接人を呪うのは宗教的な問題が大きいため、開発された術式です。