心のありか
さて。
王都名物と問えば、大抵の方は“エミールの奇跡”と答えるでしょう。
星の女神さまに仕える“巫女”を代々輩出するエミール家。当然のことながら、ネル家にとっては面白くありません。目の上のたんこぶ。
そんなエミール家の野望をふとしたことがきっかけで打ち砕いてしまったことがある僕。多額のお布施を用意できる訳もなく、地道に自宅療養に励みます。
最近、妙に怪我の治りが早い。ダロ=ヴェルマーです。
「タロくん、痛いところあったら言うのよ」
上機嫌な勇者さんに車椅子を押されて、定期健診のため保健室へと向かいます。
保健室の先生は「いいから病院へ行け」と仰いますが、スペンサ教授が倒れた今、魔術寮を離れる訳には参りません。
(……ロアさんの実力は、予想以上だ。ゆくゆくは歴史に名を残す大魔術師になるだろう)
冴え渡る家庭内暴力。将来、彼女のお婿さんになる人への同情を禁じえません。
(逃した魚は大きいということか……。エミール派の執着も頷ける。聖騎士の投入といい、内部から情報が漏れているのは間違いない)
内通者の存在に関して考えを巡らしているうちに、目的地へと到着したようです。
「勇者さん、」
ありがとうございます、と言おうとしたところで、頭の横に浮かぶ王冠を縁取ったような記号に気付きます。なんですか、これ? 新種の病気でしょうか。いいえ、違います。どうやら僕の驚きを表現しているようでした。
「実況のマルコーです」
じゃかじゃん。
魔物さん達に滅ぼされたマ国の生き残りと、スペンサ班の対抗勢力の筆頭が、知らぬ間に同行していたのです。
マルコーさんとワーグナさん。世にも珍しいツーショットです。
いつまでも驚いていられません。王冠マークを回収しながら、尋ねます。
「……何を企んでるんですか?」
誰とは言いませんが、クラスメイトの某に問答のすえ殴る蹴るの暴行を加えられた僕は、疑心暗鬼に駆られていました。全身をぐるぐる巻きにしている包帯が僕に訴えるのです。“許すな”と。
ちょうど目の前にある勇者さんのリボンの位置を調整しつつ、真意を問い質します。
マ国の秘術とされる魔素制御の極意を現代に伝える魔女は、波打つ黒髪を揺らして、悪意に満ちた笑みを浮かべます。
「お見舞いだよ。いけなかったかな、悪魔憑きのヴェルマーくん」
普段は本性を隠していますが、実のところロアさん至上主義である彼女は、何故か僕を危険視しています。
……お見舞い? 一体どういう風の吹き回しですか?
「つれないことを言いなさんな。こうしてリッツも心配して来てくれてるんだからさ……」
嘘です。思い切り眠そうじゃないですか。
酒場の娘さんというだけで反ロア派のお神輿に担ぎ上げられているワーグナさんは、寝惚け眼で僕を一瞥したあと、静かに瞑目します。
「…………」
寝ました。
保健室のドアが内側から開くのと、ふらふらともたれかかってきたワーグナさんをとっさに支えた僕の傷口が開いたのは、まったく同時でした。
「こら、保健室の前でぎゃあぎゃあ騒がないの。……あら、きみ。どうしたの?」
悶絶する僕を、何かとお世話になっている保健室の先生が、その場に屈んで覗き込みます。
じわりと朱に染まる包帯を間近で目にして、
「ぎゃーっ!」
彼女は絶叫しました。
卒倒した先生を保健室のベッドまで運んで、いよいよ予断が許さない状況になってきた腕の裂傷を真新しい包帯で巻き直します。
気の所為でしょうか、ここを訪れるたびに症状が悪化しているような気がします。
肩口をきつく縛って止血していると、カーテンで遮られた奥の方のベッドから何やらうめき声が聞こえてきます。
「う……ロア……ロア……おとーさんは認めないぞ……ロア……」
僕は、何も聞かなかったことにしました。
しかし殺意に敏感な中間管理職は、ナイフの点検をする僕の挙動に日常生活を送る上で邪魔にしかならない勘を働かせたようで、
「――誰だ?」
無意味に鋭い誰何をカーテン越しに浴びせてきます。
「この感じ……査問会のエージェントか? 何度来ても答えは同じだ。娘は渡さんぞ……」
“査問会”って何ですか? 僕ですよ、ザマ先生……。
「ダロくん?」
カーテンがさっと引かれました。
包帯で全身をぐるぐる巻きにしているスペンサ教授は、身を起こすことさえ難儀な様子で、横たわったままこちらを確認します。
「哀れですね……」
僕は嘲笑しました。人畜無害とか言われる僕だって人の子です。理由なき殺意に晒されて、のほほんとしていられるほど、この世に未練がない訳ではないのです。
それでも、憎みきれないのは何故なのか。大根切りをマスターしたとき、大きな手で頭を撫でられた記憶が脳裏をかすめます。
――凄いじゃないか、ダロくん!
――うん! これでごはん三杯は軽いよ!
――うんうん、こうなったら夕日に向かって走るしかないね? 競争だ!
――あ、ずるいよ、ザマ先生!
――ははは。魔術師の切り札は己の肉体だからね? 走れ、走れ、走れ――。
ぽろろん。
不意に目を覚ましたワーグナさんが、まるで取り憑かれたかのようにペキ(弦楽器の一種です)を掻き鳴らします。切ない音色が室内を木霊しました。
「ダロくん……」
「ザマ先生……」
スペンサ教授が、ふっと肩の力を抜きます。
「……ロアは、元気かな?」
「え、ええ。クラスメイトを撲殺しかねないほど、いや、その、元気なお嬢さんで」
「ふふ……迷惑を掛けたみたいだね? ごめん」
「いえ……」
ぎくしゃくとしながらも、仲直りの兆しです。
「無理もないのかな」
え?
「ん、ロアのこと。女のカンって怖いよね……」
良く分かりませんが、スペンサ教授は子離れしようとしているようでした。
「義理の息子と酒を酌み交わすのも、そう悪くないかな?」
はあ……どうなんでしょうね。少なくとも僕は、勇者さんをたぶらかすような輩とお酒を酌み交わす気にはなれませんけど。
……なんです、勇者さん? あの、ひざの上に乗るのはちょっと……さすがに今は勘弁してくれませんか。余所さまのお宅の将来を左右するお話の真っ最中ですし。
勇者さんは熱い吐息を漏らすと、真紅の瞳で僕をじっと見詰めて、
「タロくんは、あたしに依存してればいいの。潤んだ瞳でお願いするのよ」
はふはふと息を荒げます。ひょっとして風邪でしょうか? 心配です。
「今日はタロくんがあ〜んするのよ。絵本も読んだげる」
絵本ですか……。
「だから、あんな泥棒猫のことなんて忘れて」
……マルコーさん、メモッてないで、助けてくれませんか。
「私はドナの味方だな〜。断然」
そうですか。参考までに理由など伺ってもよろしいでしょうか? 実況のマルコーさん。
「教授は諦めたようですが、わたくしどもは納得できませんね。彼は頼りないですし、ふらふらしてますし、あまり良い噂を聞きません。スペンサ嬢の愚痴を聞かされる身にもなれと言いたいですね。あと声が怖い」
最後の一言で十分です。ありがとうございました。
演奏中のワーグナさんはどうでしょう?
「…………」
失礼しました。どうぞ、そのままトランスし続けてくださって結構です。
スペンサ教授は笑顔です。
「ダロくん? うちの娘に何したの?」
いえ、同じ墓に入るよう要求されたので、死ぬのは僕だけであろうと客観に基づく判断をお伝えしたまでです。
「いい気味だわ」
勇者さん、少し真剣なお話をしますよ。心の準備はいいですか?
「……うん。言ってみ」
僕、そろそろ気絶します。
「なっ、」
おやすみなさい。
第三十一話です。
エミールの奇跡は、星の女神への信仰心が成否に関わるとされています。もちろんそればかりではありませんが、基本的にはお布施の金額を目安にせざるを得ないようです。