闇に蠢くもの
世間一般では知られていませんが、魔王というのは実は架空の存在です。
魔物さん達を統べる王様なんてものは実在しないのです。
と言いますか、そのような輩が実在したら人類はとうに滅んでいることでしょう。
そんな、おとぎ話の登場人物を追って旅を続ける集団……それが勇者一行です。不本意ながら僕もその一員なんだと、この期に及んで自覚しました。
つまり僕が何を言いたいのかというと、安定した収入は必要不可欠なものであるということ。
ひとことで言うなら、路銀が尽きました。現実って厳しいですね。
「って、そんな筈ないでしょう!」
僕は声を大にして叫びました。勇者さんが命を粗末に扱っても怒ることのない僕ですが、こと家計簿が関わってくると話は別です。赤字はもう見飽きました。
世界有数の規模を誇るこの港町で、一旗あげようと画策した僕が浅はかだったのでしょうか? あえてなかったことにしてますが、漂着した無人島でのサバイバル生活は、僕をたくましく成長させたのです。具体的に言うと、ちょっと日焼けしました。
「だって実際にナイし」
勇者さんは淡々と言いました。魔物さんを解体することに懸けては世界一を自負する少女ですが、こと魚の切り身となると話は別のようです。見ていられません。
勇者さん愛用のハシを奪い取り、身をほぐしてやりながら僕は猛然と抗議します。
「ない訳がない! 森のくまさんの懸賞金はどこへ行ったんですか!?」
冒険者、つまり住所不特定な方々のために、大陸の国々は賞金首制度を導入しています。もちろん有力な魔物さんは高額配当の常連です。
「タロくんも見てたでしょ。神父さまに寄付したの」
あのときは、感動のあまり涙が邪魔して良く見えなかったのです。あーんと口を開ける勇者さんの小さなお口にそろそろと切り身を移しながら、僕は声を荒げます。
「彼か! 彼は僕の健康状態をひどく気にしていたな! あれが胴元なのか!?」
神は死にました。とはいえ、元より実在しない神さまの安否を気遣ったところで腐りきった世の中を正せる道理などありません。勇者さん愛用のユノミにお茶を注ぎながら、僕は怒鳴りつけました。
「どうするんですか! これから!?」
「ずずず……。いいじゃん、べつに」
無責任にも程があります。勇者さんの金銭感覚が崩壊しているのは知っていましたが、まさかこれほどとは。……いえ、ある意味では“将来を見据えた選択”と言えるのかもしれませんが。満腹になって、おねむになってきた勇者さんをおんぶしながら、憤りをぶつけます。
「ただでさえ借金がかさんでるのに……! 寮の弁償代なんて踏み倒したままじゃないですか!」
「あんなの……自業自得」
勇者さんは夢見心地で囁きました。
「だいじょうぶ。腎臓ひとつくらいなら。ね?」
僕の腎臓は、とっくのとうに差し押さえられてます。勇者さんはバレてないと思っているようでした。
「角膜は、あたしのもの。ずっとそばに置いたげる」
事態は僕の予想を遥かに上回っているようです。
勇者さんお気に入りの絵本を朗読しながらも、僕の焦燥は募るばかりです。
「むかしむかし、あるところに……」
自分で言うのも何ですが、僕は辺境貴族のぼんぼんです。実家に送金してもらうというのはどうでしょう。悪い案ではないような気がします。
勇者さんが寝入ったのを確認して、さっそく手紙をしたためます。
……駄目です。お父上とお母上には、勇者さんのお人柄を一部改変した上でお伝えしてありますので、転落ストーリーを考えるだけでひと苦労です。
清廉潔白を地で行く救国の英雄が、相棒の臓器を闇ブローカーに提供しようとする、その裏には、果たしてどのような真意が隠されているのでしょうか? 適切な事情が思い浮かびません。国家の陰謀ですら役不足です。
そこで僕は発想の転換を試みました。すやすやと寝息を立てる勇者さんを起こさないよう、そっと部屋を抜け出して、カウンターで帳簿を睨んでいる宿屋のおじさんに尋ねます。
「このへんで一番でっかいお屋敷ってご存知ですか?」
なんとなく知っておきたかったのです。
ええ、なんとなく。
第三話。書き溜めておいたぶんの連続投稿になります。
世間一般で、魔王は実体を持たないものと認識されています。けれど魔術師の認識は異なるようです。