勇者転入(後編)
東棟と西棟のちょうど真ん中に存在する仮想空間。Bチャンネルに建造された“主塔”の内部で、いい歳した大人の襲撃を受ける気分は筆舌に尽くし難いものがあります。
「六歳の頃だったかな? 家族三人で海水浴に出掛けてね? 砂のお城を作ったんだよー。妻は呆れてたけど、なにぶん僕って、ほら、そういうのに縁がなかったでしょ?」
知りませんよ。
延々と娘自慢を続ける一児の父と空中で火花を散らします。比喩表現ではありません。鋼糸の摩擦でとろ火がスパークしているのです。
大根を輪切りにするのに役立つと言われて仕込まれた技術なのですが、包丁の存在を知った今となっては、殺人以外の用途が思い付かない無駄スキルです。
魔術寮に入寮して以来、僕の人生は目の前の親馬鹿の所為で大きな遠回りをしているように感じられて仕方ありません。
「そしたらね? トンネル開通したの見て、にぱーって笑うんだよー。どうする? ねえ、どうする?」
どうもしませんよ。
「正直、僕としては“こんにちはー”しちゃった人の“どすこいっ”を思い出しちゃって鬱だったんだけどね?」
そんな歪んだ人生観を僕に押し付けるのはやめてください。
このままではジリ貧です。一瞬の隙を突いて“主塔”を脱出し、普段は存在しない螺旋階段に身をひねって着地しますが、自らの領域では他を圧倒する“魔法使い”。たちまち追い付かれてしまいます。
一帯に張り巡らされている魔法陣を叩かないことには、どうにもなりません。
こんなことをしている場合ではないのに……。
飛び降りるべきか否か。ちらりと眼下を一瞥します。高さにして三階ぶん……なんとかならないこともないのですが……。
あ、と思ったときには、スペンサ教授の大根切りが空気をスライスして僕に迫っています。なんて大人げのない……。
“どすこいっ”を覚悟する僕でしたが、次の瞬間、一筋の黒い矢が鞭のようにしなって鋼糸を弾き返しました。一瞬の出来事です。
ぎょっとして足元を見ると、にょきっと石段から生えている矢印の……。
しっぽ。
「我らの友情は不滅なのである」
僕の影から、鬱蒼と現れる見慣れた猫背。
「若頭……!」
貴重な睡眠時間を削ってまで……。
ちょっとでも彼を疑った自分が恥ずかしいです。
「タロくん。ここは我に任せるのである」
「そ、そうだよね。この前は、たまたまスケジュールが合わなかったんだよね?」
「ここは我に任せるのである」
何故、同じことを二度言う……わずかに疑問を覚えましたが、他ならぬ若頭の言葉です。後顧の憂いを託して先を急ぎます。
睨み合う大人と羊さん。
「ベリアル……」
スペンサ教授の苦虫を噛み潰したような顔を観賞できなかったことが唯一の心残りです。
「『査問会のザマ=スペンサ。今はベルザ=ベルの飼い犬か? 忙しないことだな』」
「『娘の為なら組織も捨てる。俺の人生だ、好きにさせて貰うさ。退職金は貰えなかったがな』」
勇者さん、今、行きます……!
――以上、前振りでした。
という訳で、若頭との友情を再確認した僕は、B経路に潜んで三年生の授業風景を見守っている次第なのです。
表向きは四民平等を謳っているパラメ先生が、貴族の端くれである僕には決して向けてくれない優しい笑顔をバラ売りしています。必死ですね。
「それでは、みなさん。本日は圧縮言語の基礎分解をお勉強しましょうね。基礎分解というのは……ハイ、分かる子〜?」
三年生と言えば、授業の裏に何かしらドス黒い陰謀が見え隠れし始める時期です。
“楽しい魔術”が“戦争の道具”に成り下がるきな臭さを、子供達は敏感に嗅ぎ取ったのか、きょとんとしています。
勇者さん、クラスに溶け込むチャンスですよ! 僕の経験上、対抗魔術は生きる上で必須ですから。きちんと教えたとおりに答えれば大丈夫です!
「…………」
勇者さんは、無言で隣の席の女の子の髪を引っ張ってます。
「痛っ……先生〜ドナちゃんが」
「……ドナドナさん。授業に参加しなさい」
パラメ先生の声は疲れ切っていました。
勇者さんは我が道を行きます。
「綺麗な髪ね。この髪でオトコをたぶらかすんでしょ? あのひとも金髪が好きみたい。どうして男の子ってそうなのかしら」
…………個人差もありますが、カテ民族の髪の色は十歳〜十二歳で色素が定着し、栗色になります。
「ドナドナさん!」
ああ……。
勇者さんは両腕を突き出し、可愛らしく伸びをして、
「寂しがってると思うから、帰るわ。そろそろ駆け付けてくる頃だし、年上のひとの泣き顔とか、教育上あんまり良くないでしょ?」
…………。
「…………」
教室を出て行く勇者さんを、僕らは黙って見送りました。
誰も何も言えませんでした。
教育って難しいですね……。
第二十三話です。
魔術寮の出身者が優秀とされるのは、ひとえに魔術の解析に秀でているからです。