偽りの仮面
本日は待ちに待った登校日。
大抵の場合、課題の期限日から中二日を挟んで新たな課題の発表日を迎える訳ですが、今回はモノがモノだけに三日の審査を要したようです。
どういう訳か連絡網が回ってこなかった僕は、無人の教室で勇者さんと一緒に日が暮れるまでみんなを待ってました。連絡網の断線は今に始まったことではないので、泣いたりはしませんでしたよ。
柔らかな陽光の差し込む教室。久しぶりに会う友人の肩を叩いて「どうだった?」と課題の可否を問う微笑ましい光景があちこちで展開されていますが、全てフェイクです。あれらは有力な威力偵察の一種であり、にこやかな笑顔の裏には眼前の敵から情報を根こそぎ奪ってやるという貪欲さが渦巻いているのです。
朝から嫌なものを見てしまいました。
ちなみに僕はというと、お題の品を不慮の事故で紛失してしまったため、単位を取れませんでした。比較的、得意とする分野だったのですが……残念です。犯罪の片棒を担がずに済んだと安堵するべきでしょうか? 胸中は複雑です。
あらかた敵情視察を終えたクラスメイト達が、派閥ごとに固まってひそひそと情報交換を始めます。僕らのクラスに友情とか団結の二文字はありません。うむうむと頷いている級長さんは、そこのところがさっぱり分かっていないようです。なまじ人の心を読めるだけに、感情の機微に疎い面があります。将来が危ぶまれる一人です。
スペンサ教授、遅いですね……。
どうせ昨夜も人目を忍んでこそこそと裏でろくでもないことをしていたのでしょう。ろくでもないことに加担していた僕が言うのだから間違いありません。人生って紙一重ですよね。
教室の扉を、僕は緊張の面持ちで見詰めます。どうしてかと申しますと……
「ただいま」
ああ、恐れていた瞬間が。もはや説明している暇もありません。
引き戸をスライドして現れた勇者さんに、僕はぱたぱたと駆け寄って、
「お、おかえりなさい。お疲れでしょう。……ごはんにします? それともお風呂?」
「うん」
勇者さんは、手提げ袋を僕に渡して、無愛想に僕の脇を通り過ぎます。
……教室の沈黙が痛いです。誰も事態に着いて来れてません。
たぶん、僕の顔は真っ赤です。平気な顔をしている勇者さんが信じられません。
勇者さんは、てくてくと教室の中央まで歩いていってから、不意に立ち止まって振り返ります。
「お酒の匂いがする。タロくん、また飲んだの?」
ぎょっとする者、多数。無理もありません。王国で成人と見なされるのは満十六歳以上です。
「の、飲んでませんよ」
手提げ袋を胸の前で抱き締めて否定する僕。この小道具に一体なんの意味が……? 今更ながら疑問が湧きます。
一方、勇者さんの追求は厳しさを増します。
「嘘。あたしに黙って、また家のお金に手を出したのね。……女ね。どこの馬の骨とも知れない女に貢いできたんでしょ。あたしというものがありながら……」
どろどろです。
「う、嘘じゃありません。信じてください。確かにお金を持ち出しちゃったのは……そのぉ……ごめんなさいですけど。とにかく、ええと、僕には勇者さんだけです!」
「その台詞、聞き飽きたわ。これで何度目だと思ってるの」
……お分かりの方も多いでしょう。そろそろ種明かしをします。
これは、勇者さん発案の“おままごと”です。いわく「あたしを放っておいてお酒なんて飲んで朝帰りした罰よ」だそうです。僕は泣く泣く受け入れるしかありませんでした……。
設定は、僕が勇者さんと結婚して養ってもらっているというもの……。実家に帰りたいです。
台本まで作る勇者さんの徹底ぶり。誰に似たんでしょうか……。
「ななっ、何言ってんの、っていうか何したっ、ヴェルマー!?」
ロアさんの飛び入りがあることさえ予測済みです。まさに予定調和……勇者さん恐るべしです。
「そう。この女なのね。やっぱり……前々から怪しいと思ってたのよ」
「……良く分からんが、ヴェルマー。責任は取るべきだ」
級長さんは黙っててください。
「あ、あやっ、怪しいって……」
ロアさんは前後不覚に陥ってしまいました。ご不満な点も多々あるでしょうが、そういう役振りなんです。許してとは言いません。命ばかりはご勘弁を。
僕は、流れる雲を目で追いながら必死に訴えます。
「彼女とは……何でもないんです。たまたまそこで会って……」
そんな偶然がある訳ありません。僕の実家は国境線上に位置しているのです。
「そんな偶然、ある訳ないでしょ!」
ごもっともです。
「真面目に答える気がないなら……もういい。実家に帰らせてもらうわ」
勇者さんの実家に至ってはこの世に存在しません。
彼女に養ってもらっている設定の僕は大慌てです。
「ま、待って! 君なしじゃ僕は生きられないよ!」
……未来の僕の身に、何が起こったんでしょうか? 素朴な疑問が脳裏をかすめます。
「離して。……いいの。二人で強く生きてくから」
え? そんな台詞、台本にありました? 説得の末、よりを戻して二人で教室を出て行く筈では……。そして僕は闇に乗じて夜逃げする予定だったのですが。
勇者さんは、ご自分のお腹をさも愛しげにさすります。
「……ね?」
僕は戦慄しました。
アドリブです……! 彼女は僕を社会的に抹殺するつもりです! これが真の目的だったんですね!?
「……ヴェルマー、覚悟は出来てるんでしょうね……?」
ロアさん、おしおきはあとにしてくれませんか? ちょっと今、人生の岐路に立たされてるんです。
「そうじゃないかとは思ってたのよ……小っちゃい頃はもっと優しかったし」
逆です。小さい頃の貴女は僕に不幸の手紙を送ったりしなかったでしょ。季節の変わり目ごとに裏庭に呼び出して放置するのは本気でやめてください。あと看病と称して僕の生への執着心を砕きに掛かるのは感心しませんよ?
「う、うるさいわね」
これですよ。昔のロアさんは、それはそれは愛らしかったのです。ふわふわの金髪をなびかせて、ちょこまかと僕のあとを着いて回ったものです。あの頃が懐かしいですね。
「そんなに金髪が好きなら、あの女のところにでも行けばいいじゃない!」
…………いつの間にかロアさんは勇者さんの味方になってしまったようです。
このままでは登校拒否に陥ってしまいそうです。ご指名もあったことですし、なんとかしてください、級長さん。
どさくさに紛れて僕の心の引き出しを漁っている級長さんに、まばたきで救難信号を送信します。
「……照れるではないか」
誰が十二ページの六行目にアタックしろと言いましたか。高度なボケはやめてください。長年の付き合いになる僕でさえやっとでしたよ。
三時のおやつを抜きにしますよ?
「それは困るな。ただでさえ私は食が細いんだ」
面白い冗談ですね、それ。交流祭・秋の陣で催された食い倒れツアーでタイトルを総なめした方のお言葉とは思えません。
ご自分のイメージを大事にする級長さんは、いつものように僕を罵倒して誤魔化します。
「ばかもの。……そうだな。ここはひとつ、ヴェルマーに委ねるとしよう。単刀直入に言う。――どちらが遊びなんだ?」
二度と彼女には頼るまいと心に決めます。
「SOS返しっ」
してやったりの笑顔で言い切られても。……子供ですか貴女は。
「第三回、正妻争奪杯〜」
音頭を取り始める級長さんに割と日常的な殺意を抱きます。
……第三回ってなんですか。中途半端なようでいて妙に具体的な数字ですね……。
「みっみかっ族!」
「みっみかっ族!」
無責任に囃し立てるクラスメイトの皆さん。言っておきますけど僕、人間ですから。ミミカ族じゃありませんから。
勇者さん、目で脅すのはやめてください。尾てい骨がむずむずするんです。
ロアさん、恥ずかしいならやめればいいじゃないですか。変に律儀なんだから……。
あとB経路(天井裏です)で吹き矢を構えているスペンサ教授、僕に毒殺は通用しませんよ。そういう体質なんです。
「さあ、ヴェルマー」
正妻って……我が家に嫁いだ人間は必ず不幸になるっていうジンクス知らないんですか?
「…………じゃあ級長さんで」
“砂漠の魔人”と恐れられるミミカ族の方々のバイタリティに追随できるとしたら、それは“蝿の王”と称されるネル家の人々くらいでしょう。
「…………うむ。お前が私のことを憎からず思っていたのは薄々と察していた」
そうですか? どちらかと言えば怨恨の線が濃厚ですけど。
「ちょっと! スィズ=ネル! 何を満更でもないって顔してんのよ!?」
「いや、まあ、なんだ。こればかりはな……仕方あるまい? 美しさは罪と言うし……」
「あんた……やっぱり自分のこと美人だと思ってんのね」
「ば、ばかもの。今のは例えだ。私はだな、常に級長として謙虚な姿勢を……」
「謙虚って言った! 認めたわね!? ちょっと偉いからって調子に乗って……!」
「ええいっ、黙れ! 私を誰だと……!」
……さ、勇者さん、そろそろ帰りましょうか。
「もうお酒飲まないって約束できる?」
うんうん。
「口では何とでも言えるわ」
勇者さんは日に日に成長しています……。
第二十話です。
交流祭とは体育祭とか文化祭のようなものです。元を正せば、魔物を誘き寄せて一網打尽にする作戦の一環でした。