勇者失踪(後編)
やはり級長さんに頼ったのは間違いでした。
「いいか! 子供だと言って侮るな!」
しょせん子供だと自信満々に言い放って差し向けた第二、第三の“付箋”を殲滅された彼女の言葉にはリアリティがあります。
ばんばんと黒板を叩きながら熱弁を振るう級長さん。
「ヴェルマー! ターゲットの資料を」
「嫌です」
なんで僕の秘蔵のメモリーを開陳しなくてはならないんですか。
「……ターゲットの資料を」
仕方ありませんね。これも全て勇者さんのためです。妥協しましょう。だから、喉元に魔剣の切っ先をあてがうのはやめてくれませんか。
メニューを開き、勇者さんの成長を記録したプライベートコンテンツを起動します。パスワードは“希望”です。
お味噌汁をすすってご満悦な勇者さんの画像をダウンロードして各自に配信します。
「……明らかに盗み撮りなんだけど」
ロアさん、僕は被写体の自然な姿をですね。こう……。ね? 分かるでしょう?
「ヴェルマーの処分は追って通達する。被害に遭った女児はドナドナちゃん(12)だ。体格は小柄、髪は黒い、シルク製のリボンで結わえている。瞳が赤い。服装は黒のワンピース。サンダル。精霊の宝剣を所持している。勇者だ」
「あのー、ネルさん。白熱してるとこ悪いんだけど、僕の授業――」
「本日の課題は魔導器丙類の捕獲とする。腕の一本や二本は構わん。生け捕りにして連行しろ」
ザマ先生……。
ちなみに魔導器の丙類とは国際法で禁止されている人工生命体のことです。分類で言うと存在自体が法に触れるのですが、勇者さんの場合は特例です。
「あ、級長さん」
「なんだ? ヴェルマー」
「勇者さんに傷ひとつでも付けたら、生皮剥いで吊るしますよ?」
「……訂正する。無傷で連行しろ」
級長さんの横暴にクラスメイト達からブーイングが飛びますが、それも一瞬のことでした。
「ヴェルマー、落ち着け。落ち着かんか」
級長さん、僕は冷静ですよ。
「そうは言うが、お前の影がまたぞろ人間を辞めてるぞ」
何の話です? ……普通じゃないですか。最近ナイーブになってるんですから、心臓に悪い冗談はよしてくださいよ。まったくもう……。
「……目標は寮内に潜伏している。回線は五番を開けておけ。コードは規定のものとする。最後に……死ぬな。以上だ」
大袈裟ですね。勇者さんは心の優しい子ですから、人を傷付けたりはしませんよ。
級長さんの散開の命に従って、クラスメイト達がぞろぞろと教室をあとにします。こうしてはいられません。級長さん、僕らも行きましょう。
「ばかもの。指揮官が前線に出てどうする。お前は私の副官だろうが」
ようは怠けるつもりなんですね。
“対策本部”と大きく書かれている黒板を見上げて、僕は溜息を吐きました。
それから五分後の出来事です。第一報は意外なところからもたらされました。
《ヴェルマーくん! あなた何してるの!? あなたのところの小さい子が私のクラスまで来て――あ、こら、仲良くしなさい! 髪を引っ張るなと……一体どういう教育を……ヴェルマーくん!?》
苦情はあとで聞きます。スペンサ教授の愚痴を聞き流していた僕は、級長さんと頷き合って意思の疎通を図ります。
《“墓荒らし”より“宿屋”班へ。三年生の教室だ。急行しろ》
「級長さん……!?」
ロアさんのご実家は王都で宿屋を営んでいるのです。
「最大の戦力を以って事に当たる。出し惜しみはなしだ」
「でも……」
ロアさんは魔法に特化した魔術師です。極めて汎用性に優れる反面、物理法則に干渉するため、周囲への被害が大きいことは否めません。
《こちら“宿屋”。目標を肉眼で確認。踏み込むわよ》
《駄目だ! ロア! お父さんは認めないぞ!》
担任教師から最優先コードが発令されますが、ロアさんは拒否対象にフィルターを掛けているため、届きません。親の心子知らずです。なんとなく他人事とは思えません。
《ドナっ! あんたアタシの外部メモリ持ち逃げしたでしょ! 返しなさいよ! ……なんですって!? この……!》
《きゃあっ! スペンサさん!? あなた何を……正気ですか!? みんな、避難して!》
怒号と悲鳴が階下で炸裂しています。惨憺たる光景を想像して、僕は背筋を震わせました。
《ちっ! 取り逃がしたわ! 目標は三階廊下を階段方向へ疾走中! てか速っ!》
《“墓荒らし”より各位へ。“宿屋”班は引き続き目標を追跡しろ。“神父”班は西棟三階階段付近の封鎖に当たれ。挟撃するぞ》
《こちら“神父”。“羊飼い”を増援に回せないかな? なんとなくだけど、僕らが出しゃばる問題ではないような……》
“神父”ことローウェルくんは肩身が狭い男子にとって期待の星。容姿端麗、成績優秀と非の打ち所がありません。まさしくスター。あやかりたいです。
そんな彼の提案を内心で応援する僕ですが……。
《復唱はどうした? “神父”。西棟の封鎖だ》
《……西棟の封鎖。了解》
級長さんは、けんもほろろです。この二人はあまり仲が良くありません。級長さんが一方的に敵視しているのです。
「ローウェル、小賢しい奴め。級長の座は譲らんぞ」
それ、たぶん誤解ですから。
級長さんが権力闘争に明け暮れている頃、僕は教室に怒鳴り込んできた教師陣の皆様方に平謝りしています。
「ヴェルマー! またお前か!?」
また僕です。ごめんなさい。裏で糸を引いているのは級長さんですが、僕が矢面に立てば何事も丸く収まります。
「あまり度が過ぎるようだと、退寮処分もまぬがれんぞ!?」
「先生、退寮も何もヴェルマーは……」
え? 僕がどうしたんですか?
「あ、いや、まあ、その、なんだ、……がんばれ」
最終的に励まされる意味が分かりません。
先生? 僕はここにいていいんですよね? ……なんで目を逸らすんですか。
一方、勇者さんの快進撃は止まりません。ローウェル班の布陣を食い破って、階段を駆け登ります。
《マズイ……! このルートは……本部を襲撃するつもりだ!》
「これまでか……」
級長さんが静かに瞑目します。今度は何を企んでるんですか?
「最悪の場合、“塔”の支柱を破壊できるよう“付箋”を配置してある」
何をしてるんですか、貴女は。どうしてそういうことをするんです?
「ネル家の歴史に敗北の二文字はない」
……本気なんですね。
「私を止める気か? ヴェルマー。私はお前を高く買っているが、小手先の技では絶対的な魔力の差を埋めることはできんぞ」
魔力の低さは僕のチャームポイントです。ステータス欄に表示されている値は“座布団一枚”。
とらんすれーしょんぽーたる? が誤作動を起こしている所為だと若頭は言ってました。それでも――。
「いつかこうなる気がしてました……」
「ほう……」
対峙する僕と級長さん。宿命の対決です。
「タロくん」
勇者さん、危ないから下がっててください。ここは戦場になります。
「タロくん、あたしお腹すいた」
それはいけませんね。
「もう怒ってないから。お家帰ろ……?」
「はい……」
勇者さんにローブの袖を引っ張られて、僕は帰途に着きます。
「ヴェルマー、お前……」
級長さん、哀れみの視線で僕を見るのはやめてください。
「……犬ね」
ロアさん、その言い草はあんまりですよ。
「……犬だ」
「……ご主人さまと犬だよ」
唱和するクラスメイト達に見送られて、とぼとぼと廊下を歩きます。世界なんて滅んでしまえばいいと思いました。
とりあえず勇者さんのごはんを作ってきます……。
第十七話です。
魔力の定義はあやふやです。魔素伝導率とも言われますが、はっきりしたことは分かっていません。