迫り来るもの
教会でお祈りを捧げていると、不意にローブの袖を引っ張られます。
なんです?
「ねえ、タロくん。いつまでこんな生活を続けるの」
生々しい言い方をしないでください。
僕は無神論者ですが、星の女神さまへの信仰を捨て去った訳ではないのです。この微妙なさじ加減が、勇者さんには今ひとつぴんと来ないようです。
「女なら誰でもいいんでしょ」
勇者さん……貴女は僕をどうしたいんです? 指名手配されてる時点で僕の人生は崖っぷちなんですよ? 似顔絵の下に箇条書きで“特にこれといった特徴がない”なんて書かれた僕の気持ち、考えてくれたことあります?
「うまく描けてたでしょ?」
……モンタージュの作成に一枚噛んでたことは百歩譲って良しとしましょう。ただ、ひとつだけ聞かせてください。
どうして僕の家庭菜園を土足で踏み荒らしたりしたんです?
「部屋でサボテンを育ててることも知ってるわ」
……答えになってませんよ、勇者さん。
「冷たいのね。最近のタロくんって、いつもそう」
僕のどこが変わったって言うんです? 昨日だって絵本を読んであげたじゃないですか。
「うわの空だった」
周囲を警戒してたんです。
「添い寝もしてくれなかったし」
結界の点検で忙しかったんです。かれこれ七十二時間ほど眠っていません。
「朝、起こしてくれなかった」
ぐったりしてました。昼夜の区別すら付きかねる今日この頃です。
「ごはん、一緒に食べてくれなかった」
食べる気力も湧きません。窓越しに日の光を浴びながら塩と水を摂取してました。
「手も繋いでくれない」
禁断症状による硬直が指先まで及んでるんです。肘から先の感覚がありません。
「あたしのことなんか、どうでもいいって思ってるんでしょ」
勇者さんのためなら死ねます。そろそろお迎えが近いかもしれません。
「…………まあ、そこまで言うなら」
勇者さんは、機嫌を直してくれました。
で、話を戻しますけど、どうして僕の家庭菜園を壊滅させたんです?
「むしゃくしゃしてやった。後悔はしてない」
してください。
あれ、趣味と実益を兼ねた結界の要だったんですよ。神秘の枝が刺さってたの気付きませんでした?
「さあ? タロくんを殺してあたしも死のうかなって、それしか頭になかった」
…………あらゆる意味で間一髪でした。
「つまりですね」
僕は、今にも蝶番が吹っ飛びそうな勢いで軋んでいる扉を振り返ります。
「僕らが袋の鼠と化しているのは、そういう訳です」
窓ガラスを突き破って差し込まれた、鉤爪の生えた真っ白な腕を見遣って、嘆息します。突破されるのも時間の問題ですね……。
「魔物?」
「似て非なるものです」
星の剣を抜き放たんとする勇者さんを諌めて、
「あれは“付箋”と言います。魔物を再構成し、意のままに操る“反魂”の法……僕が知る限りで唯一の“死霊術師”――」
束の間の自由をぼんやり過ごそうと思います。
「彼女の名はスィズ=ネル。三大貴族の生まれにして、僕らの偉大なる級長さんです」
朝日が眩しいですね。
「遅刻にうるさいんですよ、あの人」
王都に戻ってきて三日後の朝。こうして僕らの逃亡生活は終わりを告げたのです。
第十一話。舞台は王都に移ります。
魔術とは、魔物の不完全な再現であると言えます。ネル家の“反魂”が魔術の最高峰のひとつとされるのは、そうした理由からです。