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引きこもり少女、御子になる~お世話係は過保護な王子様~  作者: 浅海 景


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1/7

砕け散った日常

群青の空が少しずつ薄まって、朝が近づいてくるのが分かる。

このまま夜が明けなければいいのに。



階下から聞こえる生活音を聞きながら、透花(とうか)はベッドの中に潜り込んでいた。


(今日は大丈夫な日だと思うけど……)


気まぐれな姉の菜々花(ななか)は透花が油断した時に限って、予想外の行動を取る。軽やかに階段を駆け上がる音がして身を固くするが、そのまま隣の部屋へと入っていく。ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、ノックもなく乱暴に扉が開いて驚きと不安に声が漏れそうになるのを必死で抑えた。


「ちょっと、私のお気に入りのハンカチはどこにやったのよ!」


最近の菜々花のお気に入りはどれだっただろうか。気分によってお気に入りが変わるため必死に思い出していると、お腹の辺りに鈍い衝撃が走る。

布団越しなのでそこまで痛みを感じなかったが、両腕で頭をカバーしていて無防備な状態になっていたせいで、息が詰まり咳き込んでしまう。


「もう、遅れちゃうじゃない。本当にグズなんだから」


本当に時間がなかったようで、菜々花はさっさと部屋から出て行った。それでも家の中から人の気配が完全になくなるのを、透花はそのままの状態で待ち続けた。



手早く身体を洗い、洗濯機を回す。僅かに残った朝食の残りを食べて、後片付けと部屋の掃除を終えれば、もう正午に近い。

夕食の支度を終えれば、あとは洗濯物を取り込むだけだ。その間の時間は透花にとって誰にも邪魔されない自由時間で、タブレットで本を読むことが透花の楽しみになっている。


キッチンを片付けて部屋に戻ろうとする前に、玄関の鍵を開ける音がして透花はその場に固まってしまった。

聞こえてくる声から菜々花だと分かったが、どうやら他にも人がいるようで、いつもなら部屋に直行するのに何故かこちらに向かってきた。


「……何でいるのよ」


低い呟き声に菜々花が苛立っているのが分かる。それでもいつものように不平不満が続かないのは、リビングに菜々花の知人がいるからだろう。


「菜々、どしたの?」


伏せた視界に、菜々花の背後から現れた人物の足が見える。その声からも分かったが、菜々花の友人は男性だった。


「何でもないよ。先に部屋に行ってて」

「了解。その子、奈々の妹?何か目が悪いんだっけ?」


他意のなさそうな口調だが、それでも気にしているところを口にされて透花は肩を震わせてしまった。好奇の視線が注がれているのが分かり、顔を上げることも逃げ出すことも出来ない。


「気にしなくていいから。ほら、部屋に行こ?」


甘えるような口調はどこか媚びるような響きがあり、二人は身体をくっつけるようにしてリビングから出て行った。


菜々花の部屋の扉が閉まる音がして、ようやく透花は顔を上げた。久しぶりに他人に会ったせいか背中に嫌な汗が伝い、胸が締め付けられるように苦しい。


(部屋に、戻らなきゃ)


音を立てないよう慎重に階段を上り静かに扉を閉めると、安堵のため息が漏れた。

後で菜々花から怒られるのは確定だが、これ以上機嫌を損ねないよう大人しくしておこう。


(洗濯物どうしよう……。お母さんが帰ってくる前に取り込めるかな)


ふと悲鳴のような声が聞こえた気がした。

透花は壁に近づき耳をすませて、すぐにひっくり返りそうな勢いで後退することになる。


(……あの人、菜々花の彼氏だったんだ)


甲高い嬌声やベッドの軋む音が生々しく、その手の知識に疎い透花でも何が行われているのか察した。

反対側の壁に背中を付けて距離を置いても時折響く物音やなまめかしい声に、透花は耳を塞いで時が過ぎるのを待つことしか出来なかった。



「盗み聞きしてたんでしょう、この変態」


相手が帰った途端に菜々花は透花の部屋を訪れ、どこか勝ち誇ったように言った。聞くつもりはなくても聞いてしまったのは事実だからと、透花は否定も出来ずに目を伏せる。


「誰にも愛されないあんたには一生縁がないことよね」


嬉しそうに告げる言葉に傷つかなくなったのはいつからだろうか。そんなことをぼんやり考えて気づくのが一瞬遅れてしまった。

ネイルを施した爪が頬に食い込み鋭い痛みが走る。顔を上向きに持ち上げられると、嫌悪に満ちた菜々花の瞳と目が合った。


「本当に気持ち悪い目。血が繋がっているだけでも嫌なのに、双子の妹だなんて最悪だわ」


嫌なら見なければいいのに、菜々花は時折こういうことをする。改めて言われなくても分かっているし、透花だってこの目が嫌いだった。


赤みがかった茶色と薄い青色は両親とも双子の姉とも異なる色だ。左右で色が違うことも奇異の目で見られる要因で、両親は物心ついたときには姉の菜々花ばかり可愛がっていた記憶がある。


幼い頃から注目されることで、他人の視線が怖くなった透花には友人もいない。前髪を伸ばしても隙間から見える瞳の色は隠しようもなく、透花は中学二年生の途中で不登校になり、中学校を何とか卒業した後は、働きもせず部屋に引き篭もっている。


(いつまでもこのままではいられない……)


それでも成人するまではこのままでいられるのではないかと甘い希望を抱いていた透花だったが、そんな生活が終わりを告げたのは十日後のことだった。



「へえ、本当に目の色が違うんだな」


突然部屋に入ってきたのは菜々花の彼氏で、透花は文字通り固まってしまった。

じろじろと全身を確認するかのような視線が嫌で、そばにあったクッションを抱きしめ俯いたまま身体を丸めた。


「菜々と双子ってことは十七歳なんだよな。ちょっと芋っぽいけど、まあ悪くないか。やってる時にはその目がどんな風に見えるのか興味あるし」


言葉を完全に理解する前にぞわりと肌が粟立つ。逃げようにもドアの方に男が立っていて、すり抜ける前に捕まってしまうだろう。


「菜々は今シャワー浴びてるから、大丈夫。抵抗しないなら優しくしてあげるけど」


優しくても好きでもない人に、ましてや菜々花の彼氏に抱かれたいとは思わない。震えそうな足に力を入れて、どうやったら逃げられるか必死に考えようとするが、距離を詰めてきた男に腕を取られ、ベッドに転がされる。


「や、やめてくださいっ」

「はは、やべえ。何か逆に興奮するな」


恐怖を押し殺して何とか言葉にしたが、男はにやにやとした笑いを浮かべるばかりだ。

握りしめていたはずのクッションもあっさりと引き剥がされ放りだされると、男がのしかかってくる。

トレーナーの裾を持ちあげられそうになった時、冷ややかな声が落ちた。


「――何、やってんの」

「あ、いや、これは違くて」


狼狽したように起き上がった男は、菜々花の鋭く嫌悪のこもった目つきに言葉を失ったようだ。


「出てってくれる?今すぐに」


男は慌てて部屋から出て行き、菜々花もその後に続く。非難されることを覚悟していた透花は拍子抜けした気分になりながらも、菜々花が来てくれたことに感謝していた。

だが荒々しい音を立てて扉が開いたのは、それから二時間後のことだった。


痛みよりも熱さと痺れに頬がじんじんする。久しぶりに会った父は鬼のような形相で、透花を殴っている。身体を丸めて咄嗟に頭やお腹を守るのは本能的なものだろう。

痛みに慣れると父の言葉もだんだん理解できるようになった。


「この恥知らずがっ!菜々花に、悪いと思わないのか!」


きっと菜々花から、彼氏を奪われたとでも泣きつかれたのだろう。父は透花を自分の子だと信じておらず、不貞を疑われた母は幼い頃は庇ってくれたものの、いつの間にか透花の存在を疎むようになった。

今も透花が殴られているのを知っていても、見て見ぬふりをしている。


「――っ!」


首に強い力が掛かり、思わず目を開けると忌々しいとばかりに舌打ちされた。力が緩み酸素を吸い込もうとするのに、上手くいかずに噎せながら喘ぐ透花に父が何か言っているようだが聞こえない。

息が整った頃には父は気が済んだのか透花の部屋から消えていた。


「あんなに泣いて訴えたのに、これぐらいで済ませちゃうのね」


痛みに耐えながら起き上がりかけた透花の耳に、ひどく残念そうな菜々花の声が響いた。


「引きこもりの役立たずが私の彼氏を寝取ったって言ったのに、お父さんったら意外と透花に甘いのかしら?」


息を吸うだけでも身体が痛むのに、これで甘いと思える菜々花の基準が分からない。でも確かに首を絞められた時は殺されるかと思ったが、幸か不幸か透花は生きている。


そんな透花の内心を読み取ったかのように、菜々花が静かに言った。


「どうしてまだいるの?あんたがいることで皆が不幸になるのに」


ふと菜々花の視線が窓際のスノードームに止まり、透花は息を呑んだ。十年前、最後のクリスマスプレゼントとしてもらった夜空のスノードームを出しっぱなしにしていたことを後悔したがもう遅い。


(お願いだから、それだけは手を出さないで)


小さなスノードームを手の中で転がすたびに、落とさないかとひやりとしながら見守っていると、菜々花は透花に視線を向けてスノードームを放り投げた。


受け止めようと手を伸ばすが、菜々花に思い切り突き飛ばされて為すすべもなく透花は後ろに倒れていく。

がつん、と鈍い音が聞こえたと同時に頭に衝撃が走る。


痛みとともに生温かいものが頬を伝っていく。恐らくベッドのヘッドボードの角で頭をぶつけたのだろう。先ほどの鈍い音はそのせいなのか、スノードームが床にぶつかった音だったのか。


大切な宝物が無事か確かめたかったのに、透花の意識は引きずられるように闇へと落ちていった。

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