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逆風ブレイブ

 天上に座する神造の太陽が、銀に輝く光のつぶてを降らせている。霊樹の合間を淡く舞う粒子は、まるで精霊が祝福を囁くよう。

 黄金に輝く湖を望む、荘厳なる白亜の宮殿。その足元には白雪のような花々が埋め尽くすように咲き、飾り付けている。

 宮殿の心臓部。そこには、世界の理を司る巨大な天柱──星命の系統樹が、静謐なる威容を湛えて聳えていた。


 少女──向道淡希(ムカイミチ・アワキ)はこの夢幻のような空間に圧倒されていたが、囁きかけるような声が頭の中に響いて、ハッとした。


『──危機が迫っています。英雄よ、運命(サダメ)に選ばれし時の子よ。

 魔王を打ち倒すのです。系統樹の葉を立ち枯れにせんとする、悪しき芽を摘みなさい』


 ──で、でもボク……。

 弱虫だし……力が弱いし……鬼気だって上手く使えない……。こんなボクに、ボクなんかに、本当に魔王が倒せるのでしょうか……。


『ソウザンへ向かいなさい。封じの塔へ行き、聖剣を得るのです。皇国を巡り歩き、志を同じくする仲間を増やしなさい──』



 ───



「……またあの夢だ」


 肩先ほどで切り揃えた黒髪が寝癖でわずかに跳ねている。

 冴えない光を宿した金色の瞳。あどけない顔立ちに気弱な困り顔を張り付けた少女が、のっそりと身を起こした。

 爽やかな起床とは言い難い。


 少女──アワキは、深いため息を吐いた。女神の託宣だなどと。──どうかしている。本当に、どうかしていた。……自分は。

 初めて夢を見た日。

 あの日の自分は逃げ出してしまいたい気持ちが大部分だった。けれども残ったほんの僅かな使命感に背中を押されて、震える足を皇都へ向けた。


 ──そして。

 門兵に鼻で笑われ、虫けらを払うように追い立てられたあの日。苦い思い出だった。

 「吐くならば、もう少しマシな嘘にしろ」。道理であろう。正論であろう。確かに自分は勇者という柄ではない。

 怒りの滲む正論は、アワキの背中を折り曲げた。

 きっと浮かれていたのだろう。冷静に考えてみれば自分ごときに託宣が来るはずがない。どこぞの野良犬のような自分に。剣も満足に振るえない、弱く臆病な自分に。


(なにも、そこまで言わなくたって……)


 そう思う気持ちはあった。腹立たしく思う気持ちはあった。けど、正しいのはあちらだ。

 彼らは道理に従っただけなのだから、恨むべきではない。何の理不尽も受けていないのだから、怒る道理がない。


 深いため息をもう一つ。

 ──勇者なんて。

 こんな自分に務まろうはずがないのだ。



 ───



 シオン皇国辺境、ジョウヒ。

 小さな集落が点在するのみの国の端っこ。皇国の片隅にも、ついに魔族の毒手が迫ろうとしていた。


 理性なき群れの足音が、大地を不吉に揺らしながら近付いてくる。どうにか生き残った者の話によれば、数は……数百はいるらしい。

 通り道の村や集落をめちゃくちゃにしながら、ある時は東を火の海に変え、ある時は北を瓦礫の山へ変える。気分で動き回るから、誰にも逃げ場がわからない。

 その魔族の勢が、今はアワキの故郷たるこの集落に向けて不揃いの軍靴を刻んでいるというのだ。


 村民は肩を寄せ合って震えている。

 男達は忙しくなく動いて武具を集め回る。けれども積み上がっていくのは、ほとんどがクワや鍋のようばかりで、剣や鎧などは数えるほどしかない。

 女達は子供をなだめ、食料を掻き集めて炊き出し──皆、やれることをやっている。

 国は軍を出してはくれないのだろう。すでにこっ酷くやられて、余力がないのだと聞く。それどころか、皇都ハクヨウは魔族の大軍勢に包囲されているという。


 ──どうにもならない。それは明白だった。

 それでも大人達は皆、歯を食いしばって恐れを噛み殺し、自分に出来ることをやっている。

 腹の内側をかき混ぜられるような気分だった。喉の奥底がひりついていた。

 

 滅びは、指折りに近付いている。

 託宣を受けた自分は、女神の声を聞いた自分は──何ができる? ……なにも、できない。

 女神は魔王を討てと言った。聖剣を得よと言った。──出来るわけがない。

 出来ないのだから、あんなのは夢だ。幻だ。現実ではない。

 だって、現実の自分はこんなにも弱い。魔族の話を聞いてから、どうしても身体の震えが止まらない。まだ、地平線の向こうに軍勢さえ見えていないというのに。


 ──逃げてしまおうか。

 ふと、そんな考えが浮かんだ。どこに? どうやって? 逃げ切れるわけがない。そんな理屈をも置き去りに、とてもとても甘美な思い付きに思えた。


「こんにちは☆ なんだか凄いことになってますね。ヒイナちゃんにもお手伝い出来ること、ありますか?」

「い、いや……。こっちは大丈夫だ。その……あんたは子供達の相手でもしててくれ」


 葛藤するアワキの耳に、場違いに明るい声が滑り込む。それはほんの数日前から村に滞在している旅人の声だった。

 答えた男の声には、戸惑いと、どこか呆れたような色。桜色の混じった白髪を揺らし、ニコニコ顔で話すのは場を和ませようとしているのか、それとも単に空気が読めないだけなのか。

 聞くところによると、ソウザンに向かう旅の途中らしいが──あそこはジョウヒの反対側だ。迷子にもほどがあった。

 

 ヒイナは大人へ「オッケーおまかせっ☆」と軽快に受け流すと、子供達へと歩み寄った。顔には陽だまりのようなにっこり笑顔。

 ゴソゴソと懐から取り出したのは、星の形をした小さな石ころ。どこにでもあるような安っぽいなオモチャだが、その形と鮮やかな染色は子供達の興味をひいたようだった。


「見て見てっ。これ、ヒイナちゃんの宝物。星の石だよ☆ 綺麗でしょ。いっぱい持ってるから、みんなにもわけてあげるね☆」

「わぁ……」

「ありがとう! お姉ちゃん!」

「やったねハッピー☆ どういたしまして☆」


 そこで一瞬、ニコニコ顔が真顔に戻るのをアワキは見逃さなかった。

 蒼と真紅のオッドアイは強すぎる感情をたたえ、燃え盛るようにギラついた。

 そこに見出すのは果たして決意なのか、修羅めいた殺意なのか……。あるいは希望か。気弱な村娘には判断がつかなかったが……。

 そしてヒイナは再び笑顔に戻ると、


「……きっと大丈夫だからね。怖いことにはなんないよっ☆」


  ……アタシがさせない、と。

 明るく言った。けれども最後の方は小さく、独白するように。

 運命さえも砕き潰してしまうように、強く、強く決意の込められた声だった。


(……あの人。どうしてあんな風に笑えるんだろう)


 逃げてしまえばいいのに。

 縁もゆかりも無い集落の子供達に、笑顔を振りまく義理なんか何にもないのに。ここに留まることはすなわち、命を縮めることに等しい。

 アワキ達にとっては故郷だ。

 心の底では死にたくないと思っても、郷土を護るためだと言って自分に言い訳ができる。けれど、彼女はそうじゃない。単なる旅人だ。


(──逃げるべきなのは、ボクじゃない。彼女だ)


 子供達へ手を振って、踵を返した背中を追いかける。

 何を言うべきかは決まっていた。

 だから、喉の奥に張り付いた震えを、無理やり言葉に変えて叩きつける。


「──逃げてください!」

「んぇ? ん? なんで?」

「それは……」


 言葉に詰まった。

 だって村の大人達がしていることは、心に決めた覚悟は、静かに首を差し出して待つことに等しい。軍隊の助けもなしに魔族に勝てるわけがない。

 言ってしまえば村を挙げての無理心中だ。それでも、その残酷な事実を口にすることは躊躇われた。

 魔族は必ず来るのだろう。襲い来て、蹂躙する。

 それが明日か、今日か──あるいは一時間後になるかはわからない。

 けれども確実に、この平穏は紙のように引き裂かれて、滅び去るだろうということ。

 そして、その滅びに義理のない人を付き合わせるのは道理が通らない。そんな不条理は許されてはならないことだった。


「それはっ! ……もう少しで、この村が滅ぶからです。何もかもみんな、みんな踏み潰されてしまうから……っ。

 貴女は……ヒイナさんは、旅人でしょう? ボク達に付き合って、一緒に死ぬ必要はないんです!」

「んー……。でもでも、もしかしたら何とかなっちゃうかもしんないし……」


 喉を潰す勢いで声を張り上げても、彼女は何処吹く風。困ったように首を傾げるだけだ。


「ならないですよ! 道理で考えてよっ!」


 ついに、アワキの理性が決壊した。

 震える拳を握りしめ、自分を縛り付けていた恐怖と、届かぬ託宣への怒りを、目の前の“楽天家”にぶちまける。


「──希望なんか、いったいどこにあるって言うの! ……ないよ! どこにもないっ!」


 あの魔族をどうにか出来るなら、本当の本当にそんな都合のいい力があるのなら、それは素晴らしいことだ。醜悪な鬼共を打ち祓い、人の世界へと平和をもたらす。甘く芳しい──夢物語だ。

 感情的に任せた大声がヒイナを貫いた。けれども白髪の少女は静かに微笑んで、たじろぎさえしなかった。


「あるよ」


 それは、道に迷った子供を抱擁するような、慈しみと思いやりに満ちた声だった。


「みんな持ってるよ、希望。おいしいご飯を食べたいな、とか。明日はもっといい日になりますように、とかね。……ぜんぶ、ぜんぶ綺麗で素敵な希望なんだよっ」


 そして、ヒイナはあの底抜けに能天気なニコニコ顔を浮かべた。夜闇に小さく光を放つ、星のような笑顔を。


「……だから、だからね。ヒイナちゃんは戦うんだよ。だってヒイナちゃんは、みんなの希望なんだものっ☆」

 

 彼女の言いようは、あまりに傲慢で──あまりにも純粋だった。道理を、理屈を知ったことではないと宣言するような。そして迫りくる絶望さえも、笑顔で抱きしめて抱え続けてしまうような。

 その笑みに、アワキは言葉を失うしかなかった。


 同時に、胸中に去来するのは、これまで“当たり前”すぎて見落としていた平穏の記憶。

 煮物の湯気、友人の笑い声、両親の掌の温もり。

 特別なものなんて何ひとつなかった。──何もかもがなんでも無くて、だからこそ尊いものだった。


 逃げることばかり考えていた。

 命を守ることばかり、保身ばかり考えていた。ソレは確かに道理で、根源的に正しいこと。断じて間違いではない。

 けれども滅びを目前にしてもなお、大切な“何か”を護るために命を投げ出す。それもまた、人間が持ちうる尊い道理の一つなのだろう。

 胸中に流れるのは、女神の朗々たる声音。


 アワキは垂れ目を吊り上げて、目の前のオッドアイを強く睨みつけた。

 この心の──胸の内側から溢れてくる衝動が、少しでも伝わるよう祈って。


「……ボクも連れてってください」

「ダメ」


 ヒイナは頷かなかった。

 主語のない、突拍子もない村娘の言葉に真っ向から向き合って、その上で切り捨てた。

 アワキは気が付いていた。……いや、今にして思い至ったといってもいい。

 子供達の前で見せた、あの強い瞳──“燃え盛るような眼差し”。その意味に。

 戦うつもりなのだ、彼女は。

 全ての絶望を、小さく華奢な背中で引き受けて、希望という名の傲慢な決意を胸に抱いて。

 迫りくる滅びも、血の涙も、何もかもをなかったことに、起きなかったことにするつもりなのだ──たった独りきりで。


「……それでも、ボクは勇者です。大土様から魔王を倒せと託宣を受けた、英雄なんです!」


 鼻で笑われるのだろうと思った。そんな嘘はよせと、また罵られるのだと思っていた。

 けれども、白髪の少女は驚くほど素直に頷いた。


「……そっか。

 でも、ごめんね。ヒイナちゃんは誰にも傷ついてほしくない。だから、そのお役目盗んじゃうね」


 少女の言葉には、声音には、瞳には、一切の疑いがなかった。アワキ自身さえ、半信半疑の荒唐無稽な“託宣”を、彼女は呼吸をするように肯定した。

 けれど──肯定した上で、「来てはいけない」と、続く道を塞いでみせた。


「大丈夫。大丈夫だからね。……なんにも起きないよ。

 ……だって、全部ヒイナちゃんがやっつけちゃうからね」


 柔らかな温もりがアワキを包んだ。

 耳元に甘やかな少女の声が優しく囁かれ、本能的な安堵を覚えてしまう。

 ──それじゃ、いけないのに。

 やっと、信じてくれる人が出来たのに……。


「ぁ……」

「じゃあ、行ってくるね☆」


 体を離すと、ちょっぴり背伸びして頭を一撫で。

 その手は温かくて、頼りないほどに小さい。

 止めに入る間もなく、彼女はひらひらと手を振りながら歩き出してしまう。伸ばした手のひらが、行き場を失って宙をさまよった。


(……無力だ。ボクは、無力だ。弱虫で、剣さえ満足に振れなくて──)


 でも。それでも。


(勇者だ。……たとえ、あの託宣が夢に過ぎなくったって、少なくとも一人、信じてくれる人がいる)


 それは門兵の嘲笑も、己の卑屈さも、すべてを吹き散らすほどに温かな“肯定”だった。

 勇者は、力があるから立つのではない。信じてくれる誰かがいるからこそ、泥を啜ってでも立ち上がるのだ。

 なら──ならば。

 その最初の理解者を、ここで失うわけにはいかない。失いたくはない。だからこの衝動に満ちた気持ちもきっと、道理なのだ。

 俯いた顔をゆっくりと、けれども確かに真っ直ぐに上げる。

 視線の先。彼女が消えていった村の入り口、その向こう側に広がるのは不吉な地平。

 

(追いかけよう。追いかけて、一緒に戦うんだ)


 膝の震えが止まったわけではない。

 いきなり強くなったわけでも、特別な何かに目覚めたわけでもなかった。

 ──怖い。死にたくない。

 けれども、勇者の卵は誰に命じられた訳でもなく、自らの足で一歩を踏み出した。

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