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時の天秤

「──なるほど。ええ……ンー。少しばかり……とんでもないことになりましたね……」


 困り果てたユイの声が、九龍天守閣に小さくとけゆく。半結晶人を倒した後、仲間達はちゃんと目を覚ましてくれた。

 ──よかった。失わずにすんだ。胸の奥で重く張り詰めていたものがようやく緩んで、ヒイナは小さく吐息を漏らす。


 目を覚ましたのはユイ達だけではない。龍首の兵達も続々と目を覚ましていた。

 彼らもどうやら、蛇人の結界に取り込まれていたらしい。先ほどまでは眠っていたが、今では憑き物が落ちたような顔をしている。

 ケダモノ同然の狂気はなくなり、猟犬めいた従順さもなくなって、ただ呆然と瓦礫の山を見つめるばかり。

 消し飛ばしてしまった天井から、夜空が覗く。一等星がヒイナ達を見下ろしている。

 

 三氏という大勢力の一角。その当主を討ち果たしたことは、本当にとんでもないことだったらしい。しかも和議の席でやってしまったものだから、外聞も悪い。最悪の場合、鹿角が龍首を謀殺したと受け取られてもおかしくはない。


 ヒイナに政治はわからない。

 わからないけれど……なんかマズいことになってそうなことはわかった。──結晶人を倒したことに後悔はない。けれども、余計なことをしちゃったのかも、と気まずくなって身じろぎしてしまう。


「だーいじょうぶだって、ヒナっち! 大丈夫、大丈夫っ。なんとかなるって!」


 そこへかかるのはアヤメの明るい声。横ピースをしながら、ウインクをしている。軽くて優しい、いつもの彼女だ。


「聞いたけど、なんかあの女、とんでもない妖怪だったんでしょ? 半人半蛇って。魔族の生き残りって居たんだねぇ」

「魔族に魅入られたか、成り代わられたか……どちらにしても、気の毒なことです」


 コサメは手を合わせて拝みながら、はにゃほにゃとなんだかうろ覚えっぽい経を唱えている。

 それを尻目にして、ユイは考え込むように顎へ指を当てた。その視線は、龍首領主が座っていた上座へと向けられている。


「……しかし、妙ですね。この結晶片……これが彼女の身体を構成していたのでしょう? とても生き物のモノとは思えませんが……」


 消し飛ばされずに残った結晶片を手に取って、まじまじと見る。光に透かしてみたり、指先でいじくり回してみたり。


「まるで鉱物です。……こんなものが身体を構成しているというのでしょう? いったい、どういう種族なのか……」


 ため息と共に吐き出された困惑に、ヒイナは答えを持っていた。……というよりも、彼女にとっては常識以外の何物でもなかった。


(まさか……。ユイ様達……結晶人を知らないの? なんで? あいつらに世界は滅ぼされてるのに)


 疑問がグルグルと頭の中を回る。少し考えて、思い至る。──そういえばここは過去だった。

 朽ちた街並みも、結晶塗れの大地も、悪趣味極まりない結晶ヤモリの侵略も。

 何もかもが起きていないことなのだ、ここでは。


 ──けれど。

 一滴の違和感がヒイナの胸中に落ちて波紋を広げた。


(水精教……。イノリさんも、龍首様も明らかに結晶人だった)


 結晶に侵食された身体。けれども自我を持っていて、策さえ弄していた。


(うーん。これ、どういうことなんだろ)


 ヒイナと同じで、未来から飛ばされてきたのか。

 最初からこの時代にも存在していたのか。

 もっと違う何かが理由で存在しているのか。


 うんうん唸って考えてみたが、答えは出ない。難しいことを考えるのは苦手だ。それでも、なんとか頑張って考えて、結局。


(なんだかすごく不思議)


 この辺りがヒイナの知能の限界であった。

 何はともあれ、気が付いた以上は結晶人の事をユイ達に話しておくべきだろう。


「─────」

「……?」


 そう結論したヒイナが口を開こうとした時、奇妙な耳鳴りがした。──酷く聞き覚えがある音だ。

 それは、砂が流れるような、時計が針を刻むような、風が渦を巻くような──。音が何層にも積み重なって不協和音になっている、あの──。


「──ッ。逃げて!」

「藪から棒に……いったいどうしたと言うのです、ヒイナ?」

「時間がないの! アタシじゃアイツからみんなを護りきれない! 早く逃げて! 一刻も早く、ここからっ!」


 思考するよりも早く煌子纏鎧を纏う。巨大剣を生成し、魂を励起する。

 ヒイナは必死の形相で避難を促すが、ユイ達は何がなんだか分かっていない。──当然だ。


「お願いだからっ! 逃げてってば!」


 理不尽を言っている。けれども、今は言葉を選んでいられる気持ちの余裕がない。


「──■──■」


 あの不協和音が、アイツの咆哮が近付いてくる。

 ──時間がない。


 空間が軋みを上げる。

 歪みが津波のように押し寄せて、その場にいる者達の平衡感覚を奪う。何にもないはずの虚空へ亀裂が走った。


 キチ、キチ、と耳障りな音がする。


 ヒビ割れの向こうには、極彩色が広がっている。内臓をひっくり返したような、生々しくて、肉々しい亜空間が広がっている。


「■■■■■■■!!!」



 来てしまった。

 ヒイナにとっては自身の時代に帰るため、会いたくて会いたくて仕方なかった敵。けれども、今この状況においては、絶対に会いたくなかった敵。


 マントのような結晶体。天秤の先に繋がった砂時計が左右に一つずつ。黄金の仮面の向こうに隠されたのっぺらぼうの結晶顔が、ヒイナを見つめていた。


 ──狙われている。奴は明確にヒイナへ狙いを定めている。

 けれども、ヒイナを狙ってくるのなら、それはそれで好都合だった。できる限りの力を巨大剣へと流し込み、大きく振りかぶる。


「──目立ちたがりのあーしを無視するなんて、悲しいことするじゃん……っ!」

「……あえて誰何は問わず。ただ斬り伏せるのみ」


 一触即発の刹那、天秤の結晶人の左右から氷と雷が襲いかかった。アヤメが放つ氷の飛槍とアサヒの雷光の斬撃だ。

 鬼気使い二人による挟み撃ちは、けれども空間の捻れにも似たバリアによって容易く防がれてしまう。

 すかさず、そこへ更に追撃が入った。


「砕き潰す……ッ!」

「止まってもらいますよ!」


 ホムラとコサメであった。

 唸りをあげる大斧と、冷気をまとった十字槍が繰り出されるも、やはり通らない。


 天秤は、彼女達を見もしない。

 アレの周りだけ、空間の色が違う。切り取って、別のナニかに置き換えたみたいにモノクロだった。きっとソレこそが、天秤の絶対性の故なのだろう。


「逃げてください! アレはアタシが倒します!」

「ハッ、お断りだね。敵に背を向けるのは趣味じゃねぇ」

「同意です。剣士が相手でないのは残念ですが──こんな面白い敵、戦わぬだけ損というモノ」


 もう一度声を張った。

 ホムラ、アサヒから返ってきた答えに、頬が引きつる。見渡せば、アヤメもコサメも、それどころか非戦闘員のユイ、サクラさえ、一歩たりと退く気は無さそうだった。


 気持ちは、理解できた。

 ヒイナが彼女達の立場なら、きっと同じ事をしただろうから。


(……言っても、ムダみたい)


 ……大丈夫。やることはなんにも変わってない。あの天秤をやっつけて、わからせて、元の時代へ戻させる。ただそれだけのこと。


(……きっと、無理だ)


 不可能に近い挑戦だ。──戦士としての冷静な部分はそう判断している。けれども、やらねばならない。意地でもやってやるのだ。


「結晶粉砕……ッ!」


 祈るような気持で、ヒイナは天秤へと踏み込んだ。

 バリアがなんだ。空間のゆがみがなんだ。そんなもの、真っ向から叩き割ってやる!

 ──持ってけ煌子! ありったけ!


「デストロイヤー!!」


 力任せの真っ向唐竹割りが、空を引き千切りながら、天秤の結晶人へと炸裂──しなかった。音さえさせず、ただ滑り落ちた。

 その時。バリアに触れた瞬間、ヒイナ自身の馬鹿力が跳ね返って、自らを傷付ける。弾き返されて、ヒイナは床を転がった。

 恐ろしい力だ。拮抗さえさせてくれない。


 のっぺらぼうは、相変わらずヒイナを見ている。──推し量る視線だろうか? それとも別のナニかだろうか。熱量がなさ過ぎて、判然としない。


「■■■■■■!!!」


 耳をつんざく咆哮。

 天秤は煌子を吸収し始めた。砂時計が奇妙な光を放ち、プラズマにも似た球体が、奴の頭上に形成される。──狙いは、やはりヒイナのようだった。


「させるものか!」


 コサメが、アヤメが、仲間達が阻止しようと動くが、全く相手にもされていない。


 ──大丈夫、まだ戦える。


(……アイツのこと、やっつけて……。鹿角のみんなとお別れの会をして。それでスイちゃんとセイラちゃんのところに帰るんだ。

 ……だから、こんな痛みくらい、どうってことない)


 ヒイナは血反吐混じりの咳をしながら起き上がると、巨大剣を強く握り直した。


「ダメ! ヒイナ!」


 ユイの悲鳴が響く。

 煌子を圧縮した球体が発射され、紫めいたピンクの波動がヒイナへ迫る。

 回避は……難しい。円環状に放たれるソレは、ヒイナを追尾する力があるようだった。身代わりでもいなければ、逃げ切れるものではない。

 それでも、と回避を試みるが──やがて。まともにそれを受けてしまう。


 赤、青、黄、緑、紫、ピンク。

 色とりどりの激しいフラッシュが発生する。


 意識を、身体を引き千切られてしまいそうな感覚を味わいながら、ヒイナはどこか遠くへと飛ばされそうになっていることを察知した。


 酷く目眩がする。

 どうにか抜け出そうと思うが、ズルリと身体が堕ちていく。

 底のない、時の廻廊へと。

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