爪を立てる
九龍城の内郭は、いっそ清々しいほどに悪趣味を極めていた。
水晶の柱、結晶を削り出した壺、宝石を散りばめた床板──襖が金で作られているのを見た時には、さしものヒイナでさえ言葉を失ったほどだ。
富や力を示威する安っぽさを、しかし熱量を、輝きを吸い上げるばかりの蒼が、静かに包み込む。だからこそ、異様だった。まるで、城主の内面をまるっきり映し出してるかのようで。
そんな良く言っても成金趣味──妥当なところで悪趣味とも呼ぶべき城郭の最上階。天守閣で待ち受けていた女の姿は、いっそうに異様であった。
「フフフ……ようこそ。ご来訪……心より歓迎いたしますわ。勇敢なお客様方……」
蛇のような蒼い瞳がユイを──ヒイナを、鹿角の者達をゆっくりと撫でつけた。懐に手を差し込まれた時のような、生温かい声が甘く響く。
まるで、柔らかく、牙の通りが良い場所を探るような視線。それを不快に思いながらも、ユイは優雅に一礼した。
「お招きをいただいて、ありがとう。……此度は互いにとって、有意義な話し合いになることを願っています」
「そう固くならず。……友人にするよう、接していただけたら嬉しいわ」
女は、童女のように胸の前で手を合わせ、無邪気に言った。その声音は寒気がするほどわざとらしく、怖気が走るほど白々しい。
表情ばかりは笑みの形に固定されているのに、目が笑っていない。縦割れの瞳孔が、冷ややかにギラついている。
恐ろしい瞳だ。ユイは無意識に裾を握り込んだ。
傍に控えるアヤメ達も、応援するように鹿角領主へと目配せをする。
「……名乗りが遅れてしまいましたね。失念していた不調法をお許しください。
……鹿角領主、唯姫と申します。以後、見知りおきを願います」
「フフ。……龍首領主、凶華よ」
言いようのない緊張感が場を支配する。
「こう言っては失礼となりましょうが……意外でした」
「ン?」
「龍首殿が、和議を持ちかけてくれたことです。──てっきり、鹿角のごとき小国、力押しに揉み潰すものかと思っておりましたので」
先手を取ったのはユイだった。穏やかな笑みで、温かな声で、言葉を刃にして放った。けれども、龍首領主は動じない。「私、気まぐれなものだから」と受け流す。
そして、いかにも今思いついたというよう、白々しく手を打った。
「そうだわ。お聞きしたいことがあったの」
「……お答えできることであれば」
「フフ。……私ね、鹿角へ戦を仕掛けた時、貴女ならば……お優しい鹿角領主様ならば、理想に殉じて降伏を選ぶのではないかと思っていたの」
「……けれど、そうはならなかった」。龍首領主は童女のように、ゆっくりと首を傾げた。
「──どういう心境の変化があったのかしら?」
声音は相変わらず甘やかで穏やかだ。けれども隠しきれない嘲りが滲み出している。
隠す気もないソレに、家臣達がいきり立つのを手で制して、できる限りに余裕のある笑みを浮かべてみせる。
「心境の変化というほど大層なものではありません。……ただ、鏡映しの自分を見た気がする……それだけです」
そこで、ヒイナへ視線をやる。
キョウカの視線もわずかに遅れて重なった。
「──そう。その子が」
「……?」
「……お名前を教えて? 小さな小さなお嬢さん」
「ぇ、あっ」
ヒイナは戸惑って、思わずユイを見た。ゆっくりと返される首肯。
(……いいのかな? ヒイナちゃん、場違いじゃないかな……)
深呼吸を一つ。それから、いつも通りの笑顔を浮かべた。
「こんにちは☆ はじめまして☆ ヒイナちゃんは明星ヒイナっていいます! ぇえーと……お会いできてコーエーです☆彡」
「フフ……若いわね。まるで無知蒙昧。……それともあえて頓狂に振る舞ってるのかしら?」
「?? ……ん? むち……?」
ヒイナは首を傾げた。そこへ、穏やかながらも、冷ややかなユイの声が割り込む。
「……龍首殿。いい加減、本題に入りませんか。……まさか、小国の田舎侍を嘲るためにここへ呼んだというわけじゃないのでしょう?」
気遣うようなユイの目配せに、曖昧に笑って返す。ちょっと何を言われたのか理解できなかったからだ。何となく馬鹿にされているというのは察せていたが……とりたてて怒るほどのことでもない。
「ごめんなさいね、鹿角殿。私、一度気になったことは深掘りせずにはいられない性質なの。
聞いてみたいわ、是非ともお嬢さんに。……そうね。幸福とは何か……貴女はどう考える?」
「え。んー……」
急な質問に、ヒイナは真面目に考えてみる。けれども、これだ! というような答えは出ない。だから、正直な考えを伝えることにする。
「……よくわかんないです!
よくわかんないけど……なんかみんな、笑ってたらいいなって思いました。
そしたら胸の奥のところ、くすぐったくなるから。ヒイナちゃんもニコニコ顔になれちゃうんですよ☆彡」
「──そう。素敵ね……」
龍首領主は顔をうつむかせた。
一拍の間。そして、
「けれどね……けれど」
顔を上げた。顔を上げて、大仰に頭を振った。
蒼い長髪が振り乱され、瞳は異様な光を放って、尾を引くような軌跡を描く。
魔的な輝きを放つ蛇眼が、千里先まで見通すような鋭さを持って、ヒイナを射抜いた。
「フフ。……お嬢さん。貴女のこと、よぉく見えるわ」
「何を──ッ」
明らかな様子の変化に、鹿角勢は色めき立つ。けれども、周りを見やれば、龍首兵士に動揺はなかった。──まさかこれは⋯⋯キョウカの日常なのだろうか?
「無責任だわね。責任がないわ。ねぇ、お嬢さん。ヒイナちゃんとやら⋯⋯。
あなた、自分が痛い思いさえすれば、何もかも、みんな、みぃんな丸く収まると勘違いをしているでしょう?」
「⋯⋯っ」
「傷を負って、痛みを堪えて、顔も知らない他人の生き死にまで胸に掻き抱いて──。フフフ⋯⋯まるっきりいびつな献身。壊れた全肯定。フフフ……」
違う、とは言い切れなかった。
ヒイナは別に、ものを考えて行動しているわけではなかった。奉仕も献身もしているつもりはない。
その時その時、自分が正しいと思うことをやっているだけのつもりだった。
ヒイナには難しいことがわからない。
世界の情勢とか、勢力の均衡とか、思想の正誤とか。ぜんぶ全部わからない。
だからこそ、自分が正しいと思うことに正直でいれる。他人がどうであるかは関係がない。──なるほど確かに無責任かもしれない。ヒイナはちょっぴり反省した。治す気はないが。
ズタズタに殺されそうになったって、今こうして心に爪を立てられたって、揺らがずにいられる。
ほんの一瞬、笑顔を消して真面目な顔をする。それを見たキョウカは笑みを深めるが──。
ヒイナはそれよりもずっと深く、とびっきりのスマイルをプレゼントしてあげた。
「ありがとうございます、龍首さま」
「? 何を──」
「ヒイナちゃんのこと、心配してくれて。ヒイナちゃんのこと、怒ってくれて」
そこで一つ区切る。能天気そうないつもの笑みから、柔らかな微笑みへと変えた。
「──アタシも、自分なりに信じてる正しさがあってやってることだから、聞き入れるわけじゃないけど……でも、ありがとうございます」
「そう──そうなのね。そう……」
再び、キョウカは顔をうつむかせた。悪いこと言っちゃったかな? とちょっぴり不安になったヒイナは仲間達に目配せ。肩をすくめられる。
戸惑っていると、クツクツと含み笑う声。──肩を震わせながら、不穏に笑っている。
「──見たくなっちゃった。あなたの言うその──ちっぽけな正しさとやらが、爛れ落ちて、腐ってしまうところ」
「!」
龍首領主はバッと手を振り上げた。するとソコへときらめかしい光が集まっていく。天守閣を光が満たす中、ヒイナは見た。瞬きすらしないまま、自身に固定された蒼い瞳が、昏い喜悦と、暴力的なまでの憤怒に彩られているのを。
「──いってらっしゃい。向かう先はきっと、天国だわ」




