水晶の都
「和平交渉〜っ?」
アヤメの素っ頓狂な声が鹿目城に響き渡った。
ユイはそれに首肯で返す。それから信じたいような、信じがたいような、神妙な面持ちで言った。
「ええ……。先刻、龍首から使者が参りました。鹿角の奮戦ぶりに感じ入ったから、是非とも九龍へ招待したいと」
「罠じゃん! 罠だよそんなの! 絶対罠だね!」
アヤメの断定に、コサメやサクラ、ホムラ達重臣らが同意する。
「で、でも……。ヒイナちゃんも一緒にいましたけどね、そこに。なんたって護衛ですから☆」
「それはね、わかりましたから。続き続き」
ドヤって話が逸れそうになるところを、コサメが修正。続きを促す。ヒイナは「いけない、いけない☆」と軽くウインク。
「使者の人、優しそうでしたよ。なんかめっちゃ丁寧で……。ヒイナちゃんのこともすんごい褒めてくれましたし☆」
「お前は相手が罵倒してこようが、良い人だって言い切るだろ。そんな奴の人物評に信憑性はねぇな」
ヒイナの楽観をバッサリと切り捨てながらも、ホムラは「だが……」と、唸るように続けた。
「妙な話だ。初戦はどうにかこちらが取れたが、依然として地力は向こうが上なのは変わらん。……こうも早く講和を求めて来るものか?」
「あーしも同意見。差し向けられた兵、少な過ぎたし。……いくら獅子吼とやり合って消耗してるっていってもね。何か臭うよね。やな感じ」
ユイはまぶたを閉じて、思案する。ホムラとアヤメの言い分はもっともであったし、彼女自身、使者の柔らかな物腰には裏があるような気がしていた。
「サクラ、コサメ、アサヒはどう思いますか?」
「わたくしは、受けるべきと愚行いたしますわ。このまま戦を続けたとして、勝ちの芽はないでしょう。
実際がどうあれ、先の戦で勝ちを取ったのはこちら。そして、講和を持ち掛けてきたのは向こう。ならば主導権は今、こちらにあります」
サクラは一拍おくと、強く視線を巡らせた。
「……勝っている内に結ぶ和議と、追い詰められて結ぶ和議とでは意味合いが異なりますわ。──この機を逃せば、次はきっとないでしょう」
「私も母様に賛成します。今のところ、民達はよく堪えてくれていますが……戦が長引けば、どうなるかわかりません。悪ければ一揆が起こるかも」
コサメは身震いするように言った。
この場にいる誰もがそうだが、コサメは特に公平な性格だから、一揆の鎮圧という名目で、民に槍を向けるかもしれない未来を恐れているのだろう。
「あ、私は……抗戦すべきかなって。わ、私なんかにどこまでやれる……かはわかりません、けれど……。拾っていただいた、恩は……。全霊で返します……」
どもりながらも、アサヒは強く言い切った。
いつも通りに弱気な態度で、けれどもその瞳の輝きは決意で燃えている。
「……ヒイナは。ヒイナはどう思いますか?」
「えぇ……。ヒイナちゃんですか? うーん」
ユイの気持ちは、実はすでに決まっていた。
けれども、些細な迷いがあって、あと一押し、ほんの一押しだけ欲しかった。
水を向けられたヒイナは、自分は無関係だと思っていたので狼狽える。まさかヒイナちゃんが政治のお話をする日が来るなんて──。密かに戦慄。
「ヒイナちゃん難しいことは本当にわかんないですけど……。話し合いで解決できるのなら、行った方がいいかなって思います」
ヒイナは自分が甘いことを言っている自覚はあった。動乱の時代に飛ばされて、人間同士が本当に殺し合いをしているという現実を知った。
人が、きちんと生きている人の命を奪うということが、本当に起きうるのだと知った。それでも、その上で言い切る。
「だって言葉が通じるんですからっ。たくさんお話したら、きっとわかりあえますよ☆彡」
「ほぉ。で、どうしても分かり合えないなら?」
ホムラの冷たい声が飛ぶ。甘いことを言ってる場合じゃねぇぞと言外に伝えている。けれども、ヒイナの笑みは揺らがなかった。揺らがないまま、
「──逃げましょう。ヒイナちゃんが、ちゃんと護りますから、ワーッていって、みんなで帰ってきちゃいましょう」
あっけらかんと言い切った。
一同は、──ユイは、一瞬言葉を失った。そして、強く痛ましく思う。
この子が護ると言ったなら──いや、言わなくても。それは文字通り、自らを度外視して、肉盾となってでもやり遂げるのだろう。
ユイは以前、ヒイナに自分を粗末にするなと言った。戦うなとも言った。──届いていないわけではない。聞こえていないわけでもない。
けれども、どうしようもなく、救いがないほどに頑固で、どこまでも他者を優先する。
そういう在り方が尊いのだとは、口が裂けても言えはしない。言えはしないが──。
きっと、誰かの救いになってしまうのだろう。
ふぅ、と吐息を一つ落とす。
鹿角領主は強く目を見開くと、龍が待つ都へ向かうことを宣言した。
───
「うえぇ……悪趣味ぃ〜……」
「気持ちわりぃくらいに静かだな……」
龍首領・九龍。
そこは、どこもかしこも見渡す限りに蒼い色。
水晶めいた建材で築かれた楼閣も、舗石も、柵でさえ、すべてが支配するように蒼で染めあげられている。
美しい色合いではない。
陽光を受けても輝くことはなく、ただ鈍く、黒光りするように消沈している。
首都である。ならば人の営みがあって然るべきはずだったが、まったく音がない。
物売りの呼び込みも、童の騒ぐ声も、長屋、あばら家から漏れる生活音もない。
通りに立つのは兵士ばかり。整然と並び、瞬き一つ揃っているかのように静か。
街を見やれば必ずあるはずの看板や、落書きや、貼り紙さえない。──誰も、何も主張していない。
まるで、生という息遣いを削ぎ落とされたかのよう。
他国を悪しざまに言うつもりはない。
ないが──、あまりの静寂に、生気のなさに、鹿角勢は眉を顰めていた。
(……なんだろう。かすかにフォトン臭がする……)
ヒイナは不審がる仲間達を尻目に、首を傾げていた。
彼女の時代においては生活をしていて、フォトン臭を嗅ぎ取るというのは、なにも珍しいことではない。活性化した煌子が発する気配のようなモノだからだ。
この動乱時代では、鬼気使いの側ぐらいしかフォトン臭はしなかったが──。少しだけ引っかかりを覚えた。
今は和議を結びに来ているのだし、きっと考え過ぎなのだろう。
──けれど。
蒼く透き通った都市を見やる。
(……似てる)
それはどこか故郷を思い起こさせる佇まいだった。……見た目が、ではない。
蒼く整いすぎた街並みの、ずっとずっと奥底。
内側に潜んで、燻っているような虚無の気配に──結晶に侵され、飲み込まれ、滅び去った未来の姿を見た気がした。
嫌な予感がしていた。胸の内に重たいものが居座り、気分が沈みゆくのを、ヒイナは自覚していた。
「ヒイナ?」
「──ぁ。ユイ様……」
「……気分が優れませんか?」
「う、ううん! ヒイナちゃん元気ですっ☆ ここ、あんまり真っ青だからお空みたいだなって考えてたんですよっ。ヒイナちゃんポエマー☆」
大丈夫。──きっと、絶対に。
だってユイ様は歴史が語るような悪い人じゃなかったし……それならきっと、悪いことにはならない。
──けれどでも。
もし、万が一。大切な鹿角の皆がひどい目に合いそうなら……アタシが護るんだ。何を置いても。
決意をあらたにした。




