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宵月を待つ

 大鹿近郊。

 森林を背後にした平野に、精緻な装備に身を包んだ蒼い軍勢と、質の良し悪し様々な具足を身に着けた混成軍が対峙している。水晶の龍戴く戦旗に、丸に鹿の戦旗。吼え猛る獅子の戦旗が所狭しと並んでいる。

 龍首方の兵数はおよそ1500。鹿角方の兵は500ほどであった。


(まさか馬喰田が400も兵を出してくれるとは……。ちょっとした縁があるって言ってたけど、カグラ殿って何者なんだろ)


 戦直前、睨み合う両軍。

 高まる緊張感の中でコサメの脳裏にふとそんな疑問が湧いた。けれども、慌てて頭を振って追い出す。──いけない、今は目の前に集中しなくては。


 後方の本陣に控えるユイへ、傍らで護衛をするヒイナへ……決して敵を近づけさせてなるものか。でなくばきっと、あの能天気な少女は、また自分を削ってしまうにきまっていた。そしてヒイナが傷付けば、それを見た主も心を痛める。


(──護るんだ。私が、この槍で)


 愛用の十字槍を強く握りしめ、固く誓った。

 ややあって、陣太鼓を打ち鳴らす音が雷のように轟く。鬨の声が大地を震わせ、戦笛が鳴り響く。


 決戦が始まる。

 先手を取ったのは、龍首勢だった。無数の矢や、鬼気の弾が放たれる。コサメは置楯に隠れるよう味方に指示を出し、自らも矢弾を叩き落としながら身を隠す。混乱した兵が応射してしまわないよう、十人大将らにくれぐれも言い含めて。

 何せ、この戦におけるコサメの役割は、囮であるから。兵も矢も温存しなくてはならない。だが、演技をやり過ぎてもいけない。

 無抵抗はさすがに企みがあると喧伝しているようなものであるから、頃合いを見て散発的に射返すのだ。塩梅が難しい。


 矢を放ち尽くすと、次は礫が飛んでくる。

 はじき落とし、砕き、投げ返すが、数の差はやはりいかんともしがたい。数で劣るからこそ、乱戦に持ち込む必要があった。もちろん、自殺志願ではない。

 破れかぶれを装って一当てし、適当なところで退却する。それが大事なのだ。ゆえに、ここが正念場であった。


「続いてください!」


 槍を掲げ、吶喊する。

 十字槍を頭上で回転させ、近場の輩へ突き出す。鋭鋒が蒼いケダモノを貫き、込められた莫大な鬼気の余波が周囲を凍てつかせた。──まだだ、まだ足りない。


 薙ぎ払い、叩きつけ、石突で喉仏を突き潰す。時に鬼気を放って氷漬けにし、コサメのあんまりの暴れぶりに腰の退けた臆病者の顔面をしたたかに打ち据える。

 そうやって幾人も突き殺していくと、さすがの蒼備え達にも警戒が滲んだ。──そろそろ頃合いか。


「……くっ、兵の損耗が予想よりも多い! 退却です!」


 真っ赤な嘘である。

 もちろん、数の利は向こうにあるわけだから、損耗自体はしてしまう。けれども、コサメの奮戦によって、敵兵の視線が彼女へ向かったため、被害は予想よりも少ないくらいだった。

 だが、これは武略であるわけだから、本当かどうかは関係がない。


 混成軍が踵を返すと、龍首兵は反射的に追いかけてきた。鼻先に吊り下がったそれが地獄への道案内だとも気が付くこともなく。



 ───



 釣り上げた魚に、針が刺さっていると気が付かれないように、度々足を止めては応戦する。食らいついてくる蒼備えを薙ぎ払い、突き殺し。そしてまた、白々しく弱音を吐いて逃げ出す。

 そんな事を何度か繰り返すと、やがて平野を抜けて森林に入る。──目的地が近付いている。


 さらに進むと、周囲の気温が下がってくる。アヤメの鬼気だ。着実に準備を進めている様子。

 

 (……見えた!)


 目的地とは川であった。大鹿郡と白鹿郡を隔てる、鹿緒川(ししおがわ)である。

 さあ、勝つか負けるか、分水嶺の時だ。


 コサメと混成軍はできる限りに行軍速度を上げて、板橋を渡り始めた。

 流石にここはスムーズにとはいかなかったが、少人数であること、地の利のあるものが多かったことで、どうにか龍首軍に追いつかれる前に渡り切ることに成功する。


 少しすると、おぞましいような鬨の声が迫りくる。

 コサメは振り返って敵を見た。兵らの顔つきには、獲物を前にしたケダモノの獰猛さと、主人の命を遵守する猟犬の冷徹な従順さが、ないまぜに同居している。


(彼らは……どんな風にして生きてきたのだろう)


 ほんの少しの憐憫が胸に浮かぶ。しかし、まだ終わってない。

 取り敢えずの役割を果たしたとはいえ、まだ戦争の最中だ。


 敵軍は板橋の前で足を止めた。

 流石に敵の目の前で、のんきに橋を渡り始めるつもりはないらしい。けれども、もう遅い。彼らはすでに、袋のネズミであった。


「追い立てよ!」


 蒼備え兵の背後から鬨の声が上がる。

 そこには、アヤメ、アサヒに率いられた別働隊300が、立ち並んでいる。

 コサメはここで、「放て!」と射撃の指示を出した。


 狭苦しい戦場で、千を超える兵が300人に追い立てられる。

 アヤメは目につく端から敵兵を氷漬けにしていくし、アサヒは雷混じりの斬撃をめちゃくちゃに放って次々と斬り伏せていく。鹿角屈指の猛将らの大立ち回りに、兵らは大きく励まされ、勢いづく。一方の龍首兵は士気が瓦解し、助けを求めるようにして橋を渡るしかなくなっている。

 ──先ほどまで追い回してた奴らだ。あいつらならどうにかるだろう。後ろから追ってくる奴らを相手にするよりは助かるかもしれないと、そんな望みにもならない望みに縋って、板橋を渡ってくる。


(……カグラ殿は恐ろしい方だ。彼女の策で、兵数の差がひっくり返るところを、私は今見ている)


 殺到する兵。軋みをあげる板橋。


(……今だ!)


 頃合いを見計らって、コサメは槍を振り下ろした。砕け散る板。誰一人逃がさぬよう、鬼気まで使って、念入りに破壊した。

 蒼備えは、一人残らず宙へ落ち、川へ沈む。溺れ死にそうな兵らへ、矢の追撃が入って、針鼠にしていく。


「コサメ!」

「はい!」


 姉の声が飛ぶ。

 コサメはつとめて感情を押し殺しながら、さらに鬼気を練り上げ──阿鼻叫喚となったそこへと投げ込んだ。

 コサメから放たれた青い光と、アヤメから放たれた青い光。透き通るような輝きが彼らの元へとゆっくり落ちていく。

 光が水面に触れると、川はたちまちの内に凍りついて、ケダモノ達の叫び声は氷の中へと閉じ込められた。


 あまりにもあっさりとした、物悲しい幕切れ。

 コサメは「やったー!」と抱きついてくる姉を受け止めながら空を見た。木々の隙間からは、月が顔を覗かせていた。

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