今日のオレは不退転
──陣触れが回った。
鹿角領主が戦を決意したという知らせは、またたく間に領内へと伝わった。
ユイを慕う領民や、故郷を守りたい力自慢。この機に一旗揚げようという食いつめ者達が集まってくる。
寄せ集めの烏合の衆が、二百そこそこ。それが鹿角軍のすべてだった。
(……勝てんな、これは)
ホムラはそう評した。
兵糧は、無くはない。金も──まぁ、底を尽いちゃいない。だが、人だ。何よりも不足しているのは、明らかに人。
龍首は大国だ。
獅子吼との戦で大敗し、いくらかは消耗していようが、それでもなお強大。安く見積もったとして、千くらいの兵は出してくるだろう。下手をすれば倍出してくることさえあり得る。
単純に比較して、五倍の兵力差。……それも、こちらの兵は大半が戦を知らない。
アヤメが獅子吼へと援兵を頼みに行ったが……難しいだろう。なにせ、向こうにとって得がないのだから。
──鹿角領・大鹿。
国境沿いの集落は、家財を積んだ荷車の軋みと、土を踏む重たい足音が支配している。住民達は、血なまぐさい戦の気配を感じ取って、誰も彼も不安に揺れていた。
……無理もない。ここはじきに戦場となる。今回のところは小競り合いで済むだろうとは思うが──。この世に絶対もない。
避難を急ぐ群衆の中で、わけもわからず泣き叫ぶ童。諦念を貼り付けた顔で土間に座り込む老人。一心不乱に数珠を握る若者。──ああ、胸糞が悪い。
日々を穏やかに過ごしていただけの人々が、どこぞの誰かの号令一つで、踏みつけにされて地獄に落っこちる。
(──いや、オレも踏み潰してきた者の一人か)
ホムラは自嘲の笑みを掻き消すと、怒鳴るように避難を促した。
できることならば、今は小競り合いすらしたくはない。何せ、手勢は三十ほどしか連れて来られてはいないのだから。準備も何もかも足りていない。
「急ぐんじゃねぇぞ! お前らの尻はオレ達がきっちり護ってやる! キリキリ逃げろ!」
住民達は肩をすくめながらも、小さく目礼して去っていく。──お人好しどもめ。
その背中を見やって、舌打ちを一つ。気を張り替えるように頬を張る。
今度の仕事も、どうせ楽には終わらない。
───
日が落ちようという頃。
馬蹄が、軍靴が、地ならしをする音が響き渡った。
ひどく統率された、淀みない地鳴り。
─その時。
国境の向こうから、蒼備えの群れが現れた。
数はおよそ百ほど。斥候か、先鋒か……。鬼気使いが見当たらない辺り、斥候の可能性が高そうだ。
しかし兵らは長短様々な槍を携え、瞳は暴力への渇望で怪しい光を放っている。──練度が高ぇな。ホムラは即座に見抜いた。
随分と足並みが揃っているし、何よりも規格品の槍を使っていない。
彼らの中央──いっそう蒼く染められた具足を身にまとった男が、短槍をきわめて無造作に振り下ろした。
──瞬間。凄まじい鬨の声が爆ぜ飛んだ。
手なずけられていたケダモノたちが、獣性を解放した。獣性を保ったまま、統率されている。
その足並みには一切の乱れがない。吐き気がするほど“美しく”、ホムラ達を、大鹿を、鹿角を──。
一つ残らず喰らい尽くそうと、駆け出した。
領民は──逃げ切れたとは言い難い。
集落からは離れたが、彼らがいるところは、ここからさほど離れてはいない。──時間稼ぎに徹するか、いっそ追い払うか。できるかどうかは置いておいても、一戦交える必要があった。幸い、敵方に鬼気使いは見当たらない。居たとしたら、すでにこちらは大打撃を受けていただろう。
騎馬武者が土煙を上げて迫っている。その下卑たケモノ面をにらみ据えてやった。
……一兵たりと、通してやるものかよ。
ホムラは決意を爆発力に変えて、相棒を大きく蹴り上げる。そして、大きく振りかぶると──、
「ぎゃぺっ」
「おぐっ」
一番槍を買って出たマヌケに向かって、大斧を全力で振り上げた。飛び散る脳漿。砕け散る具足。肉と鉄を叩き潰す不快感に眉をしかめながら、次の一人へも、大斧を叩き落とす。
戦況は芳しくはなかった。
ホムラはしのいだが、騎兵の突破力で農兵達はかなり消耗していた。
(……チッ。良くねぇな。……オレにも鬼気が使えりゃあな)
所詮は無いものねだりだ。
──とにかく今は、騎馬武者を潰さねば。
あれが動き回るほど、こちらの損耗が増える。勝ちの目も薄れていく。
彼女は奮戦した。
騎兵をかち割り、投石を叩き落とし、弓兵へ敵の死骸を投げ返す。鬼のような奮戦をした。そしてそれは農兵達に勇気を与え、戦況を五分に引き戻そうとしていた。
農兵たちの怒号が、戦笛の音をかき消す。
「あ、荒鬼さまが騎兵を倒してくださったど! オラ達も続けーッ!」
「オオーッ!」
「──ふん。それなりの武者がいるか……」
後方で戦場を睥睨していた男は、ホムラ達の奮戦を鼻で笑った。
二振りの短槍をクルクルと両掌で弄びながら、顎で指図する。
「……疲れさせろ」
蒼い群狼が、いっそう勢いを増す。
「チィッ! うぞうぞと……ッ」
背後から突き出された槍を引っつかみ、持ち主もろとも振り回す。──そして、味方を狙っていた奴へと叩きつける。
背後から。射程の外から。あるいは農兵を狙って──。
彼らはホムラを動き回らせた。
──特に、味方を庇うために動くと確信してからは、積極的に農兵を狙うようになった。
ホムラは苛立たしげに歯噛みするが、なるほど確かにいい作戦だと感心もした。
彼女が敵の立場だとして、正面で削りきれない相手には同じような手段を使うだろう。
農兵を救うために地を蹴るたびにホムラは消耗を重ねていく。けれども、ホムラは止まらない。止まるわけがない。
脳裏をかすめるは二つの銀色。
護れず、死ねず、生き恥ばかりを積み上げてきた。──だからこそ。
桜色がフラッシュバックした。
──恩は返す。
ホムラの太ももを槍が貫いた。
傷口から血が噴き出し、体勢が崩れる。
しかし、女傑は獰猛な笑みを浮かべると、痛みもろとも地面を踏み抜いて留まった。……お礼とばかり、下手人を脳天から叩き潰してやる。
──そうだ。今日のオレは……。
傷を負ったことで与し易しと判断した龍首兵が攻勢に出る。しかし、それでも。
ホムラは崩れなかった。
──一歩たりと退かねぇぞ……ッ!
───
ホムラは肩を怒らせ、荒く息を吐く。
敵の数は依然としてこちらよりも多い。
農兵達の数も随分と減って、今や十人といない。
それでもホムラの瞳からは意志の輝きが失われてはいなかった。
霧が張る視界を頭を振って吹き散らし、よろける足を一層に強く踏みしめる。
「──悪くない戦いぶりだったな。……褒美に、俺の手柄としてやる」
「……はっ。もう勝ったつもりかよ……。舐められたもんだぜ……」
「ふん。……ハッ!」
短槍が突き出される。
大したことのない攻撃だ。普段のホムラならば鼻で笑って弾くソレは、けれど今、右腕を抉った。
「グッ……。つまらねぇ……太刀筋だ。まるで才を……ッ。感じねぇな……」
「ッ!! ……しかし貴様は今から、その非才に殺されるのだ。どんな気分だ?」
「……はっ、……最高だね。最高にいい気分だよ」
ホムラは歯を見せて笑った。
その笑みに諦めは一欠片も含まれてはいなかった。
傷ついてるからなんだ? 痛いからなんだ? 疲れてるから?
どこぞの能天気な突撃娘は、腹に風穴を空けられながら、敵に礼を言ったっていうじゃないか。それはつまり、気合があれば、肉体だって超えられるってことだ。
血の滴る指で、相棒を強く握りしめる。
「──ッッ。……軽いんだよ」
「……? 私の何が軽いと?」
「教えてやる義理はねぇな……。地獄に行って……ゆっくり考えたらいい……」
「……フゥー。いいだろう……。
──送ってやるよ! 貴様を地獄になァ!!」
かかった。ホムラは冷徹に判断すると、残りの力を振り絞って大斧を構える。
傲りと怒りに飲まれ、視野狭窄となったマヌケが放つ穂先が急所を抉らぬよう、身体の位置をずらしながら、横薙ぎで返してやった。
敵の首はその一撃で断ち切られ、喚き声は濁った水音と変わって大地に吸い込まれていった。
「敵将! 荒鬼ホムラが討ち取ったぞ!」
満身創痍の身体に鞭打って、宣言する。
──お前らの頭は引き千切ってやったぞ、さぁ帰れ。そんな意味を持たせて。
蒼備え達はホムラ達の消耗ぶりを見て、追撃をかけるか悩んだようだったが、引き返していった。
その背が土煙の向こう側に消えるまで、ホムラは仁王立ちを続けた。
視界が白んでいる。けれど、背後の農兵達が流す、安堵の嗚咽はちゃんと聞こえていた。




