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リフレイン☆・後

 ──音はなかった。


 気が付いた時にはもう、何もかもが手遅れになっていた。


 白く無機質な研究所。

 ソレが今、いびつな結晶に喰い付かれ、飲み干され、透き通るような森林となっていた。




 ──研究所内では、実験体も研究者も関係なく、無差別に卵を寄生させられている。結晶人は床から、壁から、天井から──あらゆる方向から、壁をすり抜けて現れた。


 ──最初の被害者は研究員だった。

 結晶人から細く長い管が伸ばされ、ソレが突き刺さると被害者は陸に打ち付けられた魚のように跳ね上がった。半開きの口腔から漏れるのは、喘ぐような吐息ばかり。魂を侵されて、改造されている。

 管の刺さった場所から、侵食するように結晶が広がっていく。やがて──結晶人(ヤモリ)を産み出すだけが存在価値の物体へと成り下がってしまう。


 研究所は、無音のまま終わっていった。

 誰も気が付かないうちに、一人ひとりと卵が増えていく。愛玩具めいた結晶トカゲは、周囲に結晶を植え付けながら、きわめて手際よく苗床を増やしていく。



 ───



 17番がソレに気がついたのは、単なる偶然だった。

 いつものように指先で頬を吊り上げ、笑顔の練習をしていた時、ふと床の一部が青く透き通るのを見つけた。

 なんとなく不吉な予感がして、反射的に注意の声を上げようとした。けれども、長く声を使っていなかったし、ろくに言葉も教えられてなかったから、かすれた音が尻すぼみになっただけだった。


 一拍のあと、ぬるりと生えてきたのは見た目ばかり可愛らしい結晶トカゲ。

 17番は最初、オトナ達が用意した新しいイジメの一つではないかと思って、無意識に安堵した。──まだ、捨てられてはいないのだと。


 トカゲはキリキリキリキリと小さく鳴き声を上げた。囁くように、慈しむように。


 17番は首を傾げた。

 けれども次の瞬間、結晶ぬいぐるみから伸ばされた管が、相変わらず宙を見つめるばかりのルームメイトへと突き刺さった。

 その子はさしたる抵抗もせず、見る間に青白い結晶の繭へと変わる。


 17番の笑顔が凍りつく。

 目の前で起きた光景に、彼女はわからざるを得なかった。こいつは、私達を“ポイッ”しようとしている。ならばやっぱり、オトナ達は17番達全員がいらなくなったのだ。


 17番は笑えなくなった。力なくへたり込んだ。

 捨てられてしまった。いらないと突きつけられた。これから、今までポイッされてきた他のみんなと同じようにされて、同じ場所へと行くのだ。


 静まり返った室内で、音もなく青い繭が増えていく。

 ──そんな中、ふと、17番の耳が小さくしゃくり上げる音を拾った。


 51番。

 それは17番の感覚で、かなり最近に来た子だった。感情表現が特に豊かな子で、はじめの内は本当にうるさかった。

 オカアサンとか、オトオサンとか──よくわからない言葉を繰り返していて、“静かになってしまう”までも、特にはやい子だったように思う。


 けれども……。彼女の下手っぴな笑みに、ぎごちなく笑い返してくれた子だった。

 ──特に、何を考えたという訳ではなかった。


 17番は衝動的にその子の前に立ち塞がった。立ち塞がって、両手を広げた。困惑する気配が、背後から流れてくる。

 トカゲは17番を見なかった。

 いつでも、どうにでもできる存在として、関心を向けなかった。つぶらな瞳は人を個でなく、群として数えている。

 

 管が伸びる。こちらに伸びたわけではなかったが、17番にはもう、そんなことは関係なかった。


 思いっきり突進して体当たりをすると、想像よりもずっと簡単に押し倒すことができた。

 管を掴んで、これ以上繭を増やさせないようにする。トカゲは暴れるが、17番の方が、力が強いようだった。


 壮絶なもみ合いが起こった。

 17番は枯れた声を必死に張り上げて、死に物狂いで組み付いた。トカゲはなおも、17番へ焦点が合わない。それでも、うっとうしいモノが張り付いているとは感じているのか、抵抗は激しかった。


 ──やがて、17番の小さな身体を、トカゲの尾が叩きつけ、吹き飛ばした。

 白髪の少女は壁にぶつかり、ズルズルと倒れ込む。視界の端で火花が飛び散り、ぶつけた背中がひどい痛みを告げた。──それでも。

 痛みをこらえ、立ち上がる。


 ──そうだ。

 51番は笑い返してくれたんだ。

 だから、助けなきゃ。


 それは、根源的な衝動だった。 


 もう一度、と向かうよりはやく、管が17番に突き刺さる。どうってことない痛みだった。……けれどすぐに、理解の及ばない何かが、流れ込んでくる。自分という存在そのものを書き換えるように、教え導くように。


 覚えのある感覚だった。

 あの黒いやつを被った時に感じるものと、同じだった。けれども、こっちの方がずっと気持ちが悪い。 

 ──指先が、白髪が、真紅の瞳が、書き換えられる。青く、蒼く。おぞましく、人でないものへと書き換えられようとしている。

 意識が闇に堕ちる。暗くて、蒼くて、冷たい場所へと堕ちていく。


 ──17番の脳裏には、この研究所で過ごした日々が再生されていた。

 いいことは、なかったように思う。

 悪いことは──どうだろう。17番にはわからない。


 黒い器具。

 針。

 石ころみたいな瞳。


 “ポイッ”とされていく仲間達。


 ──そして、桜色の少女(51番)が笑い返してくれたこと。


 ──正気を取り戻す。


 17番は管に構わず、指先で頬を吊り上げた。引きつった、へたくそな笑みを浮かべて、床を強く、強く、踏みつけた。


 少女は無我夢中で管を引っ張った。

 結晶トカゲは宙へと舞い上がり、引き寄せられる。逆さまになって落ちてくる、透き通った石ころ頭に──頭突きを食らわせた。


 鈍く伝わる衝撃。視界が赤く染まる。

 管から流れ込む蒼い色と、思考を揺らす赤い色が混ざり合って溶け合う。


 ──大丈夫。こんなの痛くない。

 気持ち悪くなんかない。


 流れ込む浸食が、意思の赤色によって圧し潰されていく。震える膝で、それでも揺らぐことなく床を踏みしめる。

 

 戦い方なんてわからない。

 都合のいい必殺技なんて持ってない。


 ──でも、痛さに負けたことは一度だってないんだ。


 ──だから、前に進むだけ。



 キリキリとトカゲが鳴く。

 その黒い眼差しは、17番を個として捉えていた。


 ──けれどもう、そんなのはどうだっていい。

 ──あの笑顔を護る……それだけなんだ。


 ──けれど。

 

 トカゲは確かに17番を見ていた。

 無機物のように冷ややかで、狩人のように酷薄な視線──。

 だからこそ──。



「──ァ」



 ──51番が狙われた。

 愛玩具もどきは、きわめて冷酷に、合理的に、17番の拠り所をへし折りに来た。



 白髪の少女は止めようとした。

 真紅の瞳を焦りと怒りで燃やし、自分に突き立てられた管を使って引き寄せようとする。51番がやられるより先に、結晶人をやっつけようとした。


 間に合え……。

 ──いや、間に合わせてみせる。


 ──けれど……

 

「ァアッ!」


 間に合わなかった。管が桜色の少女に突き刺さる。

 51番は小さく悲鳴を上げると、痙攣した。


 ──まだだ。

 ──まだ間に合う。


 17番にだって管が刺さっている。けれども、身体は動かせた。意識だってはっきりしている。なら、自分が平気な内は、51番だって平気なはずだ。


 願うようにそう結論して、釣り上げたトカゲへ、もう一度頭突きを叩き込んだ。


 軋む頭蓋。

 廻る視界。

 こみ上げる吐き気。


 ぜんぶ──全部、無視をして、拳を握り込む。


 そして、一撃。二撃。

 結晶の頭でっかちへ何度も何度も拳を叩きつける。皮が破け、肉が露出し、拳が砕けても止まらない。止まることなどできるわけがない。


「────ッ!!」


 そして。

 ついに全身全霊の一撃が、乾いた音と共に、石ころ頭を叩き割った。



 

 ──17番は気を失ってしまいたかった。

 このまま倒れ込んで、深い眠りへ落ちてしまいたかった。けれどもなんとか身体を動かして、51番の元へ向かう。


 「……ゥ、ァ──」


 桜色の少女は──手遅れだった。


 生きてはいる。

 息はあった。

 抱き起こした身体は、ちゃんと温かかった。


 ──けれど。

 けれども、浸食だけが止まらなかった。


 少女の白い肌が少しづつ、ゆっくりと結晶へと変貌していく。どうにかせき止めようと手のひらを押し付けて防壁にするが──まったく意味はない。

 どうしてか、頬に熱いものが伝っている。なにか、よく分からないものが流れていた。


 それは涙だった。

 笑顔しか持たなかった17番が、生まれて初めて初めて流した、感情の雫だった。


 51番は、必死に結晶化をせき止めようとしている白髪を見て、しばらく戸惑っていたが、やがて。仕方なさそうな笑みを浮かべた。──それは、17番を安心させるような微笑みだった。

 自分の方が痛いのに。ずっと怖いのに。


 そして、かすれた声で、


「──ねぇ。……笑って、いてね……」


 優しく、


「あなたの笑顔って……」


 願うように言った。


「みんなに元気をあげられるから──」


 17番は頷く。頷くしかなかった。

 噛み締めるみたいにして、その言葉を、願いを、心に刻み込んで、鍵をした。──忘れてしまわないように、失くしてしまわないように。


「──これ……。持ってってほしいの……。私が……私って子がいたんだって……忘れないでほしいの……」


 震える指先が、そっと黒いリボンを差し出す。

 蒼い瞳には恐怖が揺れていた。


 それでも、17番に見せまいとする優しい気遣いがあった。17番はリボンを受け取ると、結晶化の進む彼女へ、なんとか言葉を贈ろうとした。


 きっと言いたかったのは、忘れないよ、とか。

 ありがとう、とか。

 助ける、とか。


 そんな陳腐な言葉の羅列だった。

 けれども、そんな言葉さえ、今の17番は知らなかった。


 ──何も言えないまま、時だけが過ぎ去った。


 見るも無残な数分間だった。後にも先にも二度とない、最低の時間。


 やがて、51番は完全に繭となった。

 それを見届けると、白髪の少女は静かに立ち上がる。その真紅の瞳には、悲壮にすぎる決意が宿っている。


 ──大丈夫。

 忘れないよ。


 17番を侵していた青い光が、紫ともピンクともつかない色へと変わる。少女は身悶えするように蹲ると、自らの内を満たす強い光を、強く掻き抱いた。


 ──そして。

 光が収まった時、17番の白髪には侵食するような桜色がまじり、左目が蒼へと変わっていた。


 ──私が、持ってく。

 貴女がいたんだ、って痕跡を。どこまでも。



 ──17番は、笑顔を作った。

 指先で頬を吊り上げて、涙にまみれた一番下手くそな笑顔を必死で作った。



 

 ───



 17番は研究所を脱出した。


 気が付けば、一人きりだった。

 どうにか部屋の鍵をこじ開け、踏み出した研究所の中はまるで結晶の森。あの残酷な青い繭でびっしりだった。


 17番は近くに潜んでいるかもしれない結晶人を警戒しながら、出口を目指した。




 ──初めて歩く外は薄暗かった。

 

 17番は(しるべ)を求めて周囲を見渡し──空を見た。

 

 ──そこにあったのは、満天の夜空。小さく光りを放つ星という名の宝石だった。


 その中でいっそう煌めく一等星に、17番は目を奪われた。何故だろう。そんなわけないのに、救われたような気さえした。


 遠くて──。

 静かで──。

 けれど確かにある。

 そんな輝きが網膜に焼き付いた。


 ──私も、あんな風になりたいな


 ソレは何もかも持たない少女の内に、一欠片の星が生まれた瞬間だった。

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