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種を蒔く

 獅子吼緋彩が死んだ。

 左部朱羅が、ヤツを討ち取った。

 シュラからヤツの(しるし)を差し出された時、何故だろう。──発する言葉がなかった。頭が真っ白になっただけだった。


 喜ぶべきことのはずだ。

 嬉し涙を流して雄叫びを上げ、凱旋すべきことだ。けれども、まさか、信じられない、という気持ちの方が強かった。──これは本当に現実なのだろうか?

 鼻腔を突き抜ける鉄錆のにおい。

 首と共に無造作に差し出された打刀には、確かにあの怪物の、獅子吼緋彩の暴虐たる気配が残っているはずなのに。


 獅子吼緋彩は、仇は死んだ。シュラが殺してくれた。

 恐る恐ると受け取ったカグラの指先に伝わる感触は、どこまでも冷たくて、遠かった。首から漂う腐臭が、打刀の重みが、これは夢ではないのだとカグラに教えた。

 けれど……あの恐ろしく、強大な獅子吼領主が討ち果たされたのだと、現実だけが追いついてこない。


 望んでいたことだ。

 目指していた場所だ。

 けれどでも、どうにも実感がなかった。


 それからのことはよく覚えていない。時間の感覚さえなくなった。

 約束通りにシュラへ金を渡した気がするし、獅子吼詩恩と何かの話をした気もする。カグラは抜け殻になった。抜け殻のような気持になった。

 妹さえ──。

 妹と共にある未来さえ護れるのならば、それだけが望みだった。ただ一つ。たった一つきりの願いのはずだった。

 その為に、害獣を駆除したところで、感じるところなど何一つないと。すべてが終わった時──ただ愛しい妹のもとへ戻り、いつも通りの日常へ戻るものだと思って──いや。信じていた。


 胸の内側にぽっかりと空洞ができている。

 頭の中で回り続けるのは、けがれを知らぬ愛しき妹の笑顔と、あの燃え盛る城で見た隻眼の女の獰猛な笑み。


(……帰りたい。カンナの顔が見たい)


 妹の顔が見たい。

 大丈夫だよ、と笑いかけてほしい。

 カンナの手料理が、恋しくて恋しくて仕方がない。


 妹と仇敵の笑みが何度も何度も入れ替わって、頭の中をグルグルと回っていた。



 ───



「おかえりなさい……。お姉さま」

「ただいま。……長く留守にしてしまって、ごめんなさいね」

「ううん、いいの。だって……お姉さまは、いつだってカンナの事を想ってくださるし……。ちゃんと帰ってきてくれるから、いいの」


 そうね、とは返してあげられなかった。

 喉の奥が引き攣ってしまって肯定の言葉が出てこなかった。嘘をつくのは得意なはずなのに。

 

 愛しいカンナ。何よりも大切な、妹。

 けれども、カグラは一度、死を選んだ。血を分けた妹を一人きりにするかもしれないことよりも、憎い仇と共に血の海に沈むことを選んだのは他ならぬ自分だった。

 それが、その事実が今更になって形を結び、トゲとなってカグラの胸を突き刺した。


「……っ。ご飯にしましょうか。お腹すいちゃったわ」

「うん……! カンナもお手伝いするね……!」


 せり上がってきた「ごめんなさい」を、理性で噛み潰す。そんな資格はない。

 そもそも、カンナは何も知らない。

 過去を、両親を、自らを知る権利を、愛という鳥籠に閉じ込めて、ずっとずっと奪い去ってきた。──なのに今更、自分の気持ちを楽にするというだけで、白百合のような妹に、“訳知り顔”をさせる。


 それだけは、駄目だった。

 決して越えてはならない一線だった。


 カグラは、引き攣りそうになる頬を無理に吊り上げて、いつも通り、優しい姉の笑みを偽造した。



 ───



 台所で料理の支度をする。

 いつもならば、妹のことだけを思いやれる姉のカグラであったなら、包丁や重い鍋をカンナが気が付かない内に遠ざけただろう。


 けれど、包丁が目に入った時──鈍く光るようなその刃が長く伸びて見えた。

 重く、“重い”。あの飾り気ない打刀の重さを思い出してしまって、考えが硬直した。

 記憶の奥底から、喜悦に歪む隻眼の女がやってくる。暗がりから、炎の中から、包丁の反射から──。


 ──いつだってお前を見ているぞとカグラを覗き込んでくる。

 ひっ、と息が詰まった。──その時、



「──大丈夫だよ、お姉さま……。カンナ、一人でお料理作れるよ……」

「ぇ……?」

「見ててね……」


 身をすくませるカグラを温かな体温が包んだ。

 笑顔を作るのが得意ではなかったはずの物静かな妹が、姉を思いやるように、雪解けを願うように、優しくほほ笑んでいた。

 ふと、力が抜けて、崩折れそうになる。頬を一筋だけ、熱いものが伝う。カンナは気付かないふりをしてくれた。


 カグラは何も言えなくなった。ただ静かに頷いて、見守ることにした。

 調理をする妹の手つきは考えていたよりもずっと慣れたもので、淀みがなかった。

 包丁も火も、危なげなく使っていた。


「できたよ……」


 そして完成したのは、カグラの好物ばかりだった。見目よく作られた膳を見て、妹を見ているようで見ていなかったことに気が付いた。──何よりも大切にしていたはずなのに、想っていたはずなのに、まるで見えていなかったことに。


 カグラは料理を口に運び、心の底から言った。


「おいしいわ……すごいわね。カンナ」

「やった……! これからも、もっともっといっぱい、おいしいの作るからね……!」



 ───



 ──獅子吼緋彩が死んで、戦いが終わって、獅子吼領には平和が戻り始めていた。

 道行く人々の表情からは険が取れて、穏やかそうな笑い声が響くようになっていた。


 ──希望が、芽生えようとしている。


 ふとそんなことを考えて、カグラの脳裏に一人の少女が浮かび上がった。どこまでも能天気で、空気が読めなくて、頭がおかしい──。


 ……けれど。彼女に倣ってみるのも悪くはないのかもしれないと思った。流石にああまでこっ恥ずかしいことを言って振舞うことなど出来そうにないが……。


 ──獅子吼シオンを訪ねよう。

 そして、叶うなら、こういう光景をもっともっと増やして行こう。そういう仕事がしたくなった。


 獅子吼領の大地に、希望の種を蒔く。

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