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甘く羽音を打つ毒虫

 動乱の時代で、人の住む場所が焼き払われるというのは特に珍しいことではない。


 ──ヒトナシ峠。左部朱羅というヒトデナシをこの世に放った此処にも、昔はそれなりの営みがあり、幸せが根付いていた。


 かつてあった営みの残り香の前に立ち尽くして、シュラは渋柿を齧った。

 弱者が強者によって踏み潰されるのは、この世のならいだ。悪意という粘性の炎に炙られて、残るのはいつだって、憎しみ、悲しみ、絶望──ドス黒い感情ばかり。


 もう一口柿を齧る。──渋い。

 彼女の内側で、郷愁。寂寞。憎悪。悲嘆。愛情。さまざまな色の感情が強く自己主張するように光を放って、ない混ぜになって、結局は(虚無)に還る。


 遠くを見やって、愛おしいほどに愚かなアリンコへ思いを馳せた。希望を歌って、絶望を抱いて、身の丈に合わない大荷物を決して降ろさない虫けら。


 笑ってしまうほどに弱くて、情けないカマキリへ思いを馳せる。捨て去ってしまえば楽になれるモノを、後生大事に抱え直す虫けら。


 シュラがカマキリに協力してやることに決めたのは、あるいはその瞳の奥に、自分と同じモノを見たからかもしれなかった。──炎に巻かれて死に絶えるモノを見た経験に、自らを重ねたからかもしれなかった。



 感傷に浸っていると、百合が描かれた宝石片が、鬼気の淡い光を放つ。──合図が来た。此度の標的は獅子吼領主。漆黒に燃え上がる戦災の化身である。


 ──さぁ、仕事の時間だ。

 

 シュラは唇の端を軽く舌でなぞると、散歩にでも出かけるような軽い足取りで、獅童へと向かった。




 ───



 温暖にして肥沃な平野。

 獅子吼領きっての酪農地である獅童も、今は平時の長閑さは失われている。

 遮るモノのない景色の向こうにあるのは、吹き抜ける風に揺れる、水晶の龍戴く戦旗。──龍首の大軍勢だ。どうやら、かなりの兵数をここに投じているらしい。


 ヒイロは低く鼻を鳴らした。


 ──自らを捕食者と気取る家畜どもが、獅子の前に身を差し出しに来ている。

 度し難いほどに愚かで、救いようがないほどに美しい。それは生という行為を肯定するのにもっとも相応しい光景だと、戦災の化身は断じた。


 ──合戦が始まる。

 矢が飛び交い、石が降り注ぎ、槍が突き合わされ──戦場は瞬く間に乱戦へともつれ込む。

 その光景は、さながら舞踏会。

 命と命が喰らい合い、引き裂き合い、──愛し合う。ヒイロは口元を獰猛に吊り上げた。

 これこそが至高。これこそが絶頂。己が生を、他者の死で彩る極上の饗宴であった。


 ──どれ。一曲ばかり踊ってやるか。


 上機嫌のヒイロが舞踏会場へと足を踏み入れようとする。──しかし、ソコへ地を這うような殺気が向けられた。

 同時に、鋭く軽やかな死の刃が降ってくる。あえて受けようかと思ったヒイロだが、


 ──しかし。

 それは己を断ち得る刃だと、本能が告げた。ゆえに直感に従って、その死を篭手で弾き飛ばした。


「……流石は獅子様♡ 簡単にはチョッキン、ってされてくれないのね♡」


 背後から囁き声。

 甘く毒々しい悪意の声がヒイロを嘲笑した。


(──気配を感じなかったな。何か使ったか)


 しかし、相手が何であろうと関係はない。

 獅子の前に立つもの、それは等しく獲物であるというだけ。羊か、馬か。あるいは、得体の知れぬ毒虫か──。いずれにせよ、喰らうだけだ。



 ───



 シュラは目前に立つ捕食者を冷徹に観察した。

 相変わらず人懐っこい笑みを顔に張り付けたまま、金の瞳だけは油断なくヒイロの一挙手一投足を射抜く。獲物の心臓が打つ、鼓動の数さえ数えるように。


(──殺せる。けど、無傷で終われそうにないかな)


 シュラはそう断じ、笑みの奥で、幾重もの殺しの理合いが交錯する。


 得物を軽く振る。そして身を深く沈めた。──踏み込みと同時、魂を励起する。

 そうすると、どこか遠い場所から力が降りてきて、シュラを満たした。その力を望むカタチへと練り上げていく。


 時間が引き延ばされ、世界が色を失う。戦場の狂熱が氷漬けになって、シュラ以外のすべてが泥の中に沈んだかのように静止した。

 シュラは静止した世界を置き去りにして、獅子吼領主の懐へと滑り込んだ。

 そしてきわめて冷徹に、ハサミを振るった。

 大きく開かれた死のくちばしが、頸動脈をついばむ軌道を描く。


(──殺れるか? どう出る?)


 シュラは油断しなかった。

 これまでシュラが“永遠”の中に閉じ込めてきた者達には、稀にだが首をはねられても動く者がいた。人間が断末魔の一瞬に見せる、愛おしくも救いようのない執着が、時として理をねじ曲げることを、彼女は嫌というほど知っていたから、決して油断はしなかった。


 ──そして、ソレがシュラの命を救った。


 静寂の中で、シュラだけが色を持った世界の中で──。

 止まった刻を強引に引き裂くように、ヒイロの瞳が軋みながら、シュラを真正面から射抜く。

 シュラは本能的に飛び退いた。それまでの動作のすべてを無理やり中断し、逃げることに全神経を使った。理性ではない。本能の告げた確信であった。


 一拍の後、凄まじい斬撃が振り下ろされ、獅童を割断した。大地へ深く切り込みが入って谷となり、遠場で静止していたままの兵士達は、事態を認識することさえ許されずに一人残らず血煙へと霧散していった。

 静寂の戦場で、怪物の含み笑いが小さく響く。


「……面白いな。噛みごたえがある」

「……そっちこそ♡ 思ったよりもずっと──“野生的”なのね♡」


 シュラは獅子吼領主の鮮血より紅く、ドス黒い獣性が煮える瞳を見返した。

 殺せる──。最初に出した答えは微塵たりとも揺るがない。殺せるが──ただ、傷は想定よりもずっと増えてしまいそうだった。


 シュラは分身を生み出した。

 空間を歪め、鬼気を使って生み出した分身。六体追加されたニセモノのシリアルキラーは本物と同じように人懐っこい笑みを浮かべた。

 続けて、ヒイロの視界を掻き乱す。獅子吼領主の周囲に陽炎めいた鬼気を発生させる。光を捻じくり曲げ、空間を歪ませた。


 時を止めてもこちらを見てくるような奴だから、チャチな幻影など無意味かもしれないが、やれることはやる。少しでも認知にズレが出るなら儲けものであるとして。


 ヒイロの視線が獲物を定めるように鏡合わせの殺人鬼たちを舐め上げた。──その瞳に宿る迷いのなさに、やはり、視界を潰せていないと悟った。

 ──けれども、それならそれでやりようはあった。


 シュラはあえて自らが前に躍り出た。

 獅子吼領主はきっと疑問を持たないだろう。


 勝つべくして生まれた人間。


 カマキリへやったように、数多くを踏み潰してきた。……ゆえに、だからこそ、敗北を想像することすらできないのだ。


 ──“無敵”という……その幸せな思考の限界に、致命の毒を流し入れてやる。


 獅子吼領主はやはりシュラの挑戦()引き受けた(煽った)

 内に秘める膨大な鬼気を、無骨なまでに飾り気のない打刀に凝縮する。──そしてそれを、シュラへと無造作に振るった。

 その動作の技のなさに、シリアルキラーは舌打ちをした。淀みのなさにも、腹が立った。それらすべて、彼女の特別性の象徴であったから。


 しかし、シュラは冷静さを見失わなかった。

 感情のブレは時として大きな力を生むが、暗殺者の戦いに力の強さは必要がない。

 心蔵さえ凍てつくほどの静寂。それこそが、“獅子”を屠る絶対の武器なのだ。


 シュラはその刃を、いなした。

 簡単なことではなかった。簡単なことではなかったが、やらねば死ぬだけだ。──ハサミを刀に当て、巻き取るように力の位置をずらす。鬼気の余波がシュラの白い肌を深く抉った。

 それでも、生きている。

 返す刃のニの太刀も、三の太刀もいなし続ける。

 その都度、シュラの白い肢体に新たな赤が刻まれていった。だが、彼女はその苦痛さえも“仕事”の内だと受け流す。


「……くふふっ♡ さしもの獅子様も、相手がちまっこい虫けらじゃあ、見失っちゃうのかな?」

「──ふん。よく吠える」

「くふ。足元には気を付けた方がいいよ♡ 踏み潰した虫けらに針がないとは限らないもの。痛ぁい痛ぁいって、ご飯食べられなくなっちゃうね♡」


 シュラの挑発に、ヒイロは、羽虫の羽音でも聞くように不快げに眉を寄せた。たいして苛立っていないようだが、うっとうしいとは思ったようだった。


 ──仕掛けてみるか。


 タイミングが、重要だった。

 この奇策は、外せば二度は通じないだろうから。

 本当はもっと油断させたり、怒らせたりしたかったが、獅子吼領主に精神動揺は生まれ得ない。

 肉体も、精神も、何もかもが理外。そんな女の心に、どれだけ粘って揺さぶりをかけたところで、風穴一つ、開きはしない。

 ならば、時は今しかない。

 

 シュラは、その身の内側に潜ませていた殺意の蓋を、一気に抉り開けた

 できる限り大きく、鋭く、おぞましく。わざとらしく身をかがめて、いかにも最強の一撃を放ちますよ、と宣言して見せた。

 応じる構えを見せる獅子(怪物)


 ──そして、シュラは時を止めた。

 奴が静止の中を動くのは知っていた。

 けれども、それは通じていないわけでないことに、彼女は気が付いていた。

 最初、シュラを射抜いた瞳。ソコに確かに軋みがあったのを見逃してはいなかったからだ。


 ──だからこそ。

 奴に、この規格外の“怪物”に慣れさせないため、命を削るような猛攻に晒されながらも、必殺の一瞬を捉えるその刹那まで、彼女はこの“切り札”を安売りしなかったのだ。



 ──刹那。


 背後に潜ませた分身が、ヒイロの両足腱を静かに断ち切った。まずは踏ん張りの力を奪い取り、逃走の選択肢さえ無くさせる。

 正面から最強の一撃を放とうとするシュラへ意識を傾けていた獅子吼領主は、不意の停止も合わさって、反応ができない。


 次は、腕の腱。鋭くいびつな線が閃き、鋼のごとき筋繊維を切断する。

 獅子は(爪牙)を取り落とし、主を失った刃はただの鉄塊へと成り下がった。


 シュラは油断しない。

 油断なく、冷徹に獅子の喉笛を狙い撃つ。


 「……面白いッ!!」


 ──瞬間。

 ヒイロの傷口から、血の代わりに漆黒の炎が噴き出した。それは形を成した怨嗟か、あるいは剥き出しの闘争本能か。立ち昇る膨大な鬼気が、静止した世界を内側から焼き焦がしていく。

 手脚(四肢)を失おうと、(爪牙)を奪われようと、依然としてこの怪物は危険なままだった。


 ──退くべきではない。

 脳髄を掻き混ぜるほどの警鐘を、シュラは氷の理性で強引に圧し殺して、突き進んだ。──近場にいた分身の一つが、ヤツの発生させる炎に巻き込まれて消し飛ぶ。


 ──そして、

 毒々しく煌めく黄金と、猛々しく荒れ狂う深紅。二つの視線が、ゼロ距離で交錯する。


「──チョッキン、しちゃうゾ♡」


 いびつに走る毒虫の針が、獅子の喉笛に突き立てられた。音もなく、感慨もなく、きわめて軽やかにいびつな線が走り──、


 一拍遅れに鮮血が流れた。


 獅子吼領主は倒れない。脚を失っても、喉を切り裂かれても未だに大地に立ったまま。

 けれどもうあの圧倒的すぎる覇気は、感じなかった。戦場を圧し潰していた絶大な覇気は、霞と消えて、静かな虚無へと塗り替えられた。

 主を失った黒炎が、力なく夜風にほどけていく。


 ──それでもなおシュラは、この陽気でかわいいシリアルキラーは油断しなかった。

 あれ程の怪物だ。もしかしたら何かの拍子に、再び動き出すかもしれない。


 シュラはまず、ヒイロの首をはねた。

 そして、流れるように解体をする。

 獅子吼緋彩としての原型を、最強としての尊厳を──そのすべてを無慈悲なハサミが奪い去り、暴虐の残滓を……ただの肉の塊へと変えた。

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