黒く、狂い咲く
獅子吼を削る策略は、確実に効果を挙げ続けていた。
獅子吼軍は相変わらず馬喰田に大敗を続けていたし、カグラの調略や、単純な戦況の悪化で寝返る者も増えていた。
正直なところ、カグラはここまで獅子吼が衰退するとは思っていなかった。
最初に考えていた策では、ある程度の敗戦を重ねれば、獅子吼領主はきっと前線に出るだろうから、そこをシュラに暗殺させるつもりだったのだ。
色々と暗躍をしたが、兵を持たないカグラは最後には賭けに出る必要があった。
けれども、今のこの状況……。
これを利用すれば、更に成功の芽を増やせるのではないか。
(……反骨の気があると評判の人間や、日和見を口説いてみましょうか。
──それと)
獅子吼緋彩は娘と不仲であるとは、もっぱらの評判だった。
もしかして、カグラの想定を超えて戦況が推移しているのも、これが何か関係しているのかもしれなかった。
(娘の方を担ぎ上げれば、かなり有利な戦いが出来そうだけど……。
──ダメね。冷静にならなくては)
カグラは死ぬわけにはいかない。
カンナを残して、一人だけ楽になるわけにはいかないのだ。
──今は状況を見守るべきだろう。
───
一週間ほどもすると、もはや獅子吼の凋落は疑いようもないところまで来ていた。
カグラがそう仕向けたのもあるが、それ以上に風見鶏が多かった。……あるいは、獅子吼領主の人望がなかったのか。
好機なのだろうか?
……いや。
もう一つ、もう一つだけ、確かな根拠がほしい。ここまで来たなら、確実にヒイロを討ち取りたい。
ゆえにカグラはさらに賭けに出ることを決めた。
獅子吼領主が嫡子。獅子吼詩恩。
──彼女の人柄を見聞し、叶うなら独立を促すのだ。
───
馬喰田領・駒白。
ここは今、苛烈な戦場と化していた。
槍が、刀が、矢が、礫が飛び交い、たやすく命がこぼれ落ちていく。
そんな地獄に、場違いなほど、たおやかな女性が参陣していた。
艶やかに伸ばした黒髪に、清楚可憐な容貌。戦場などより、どこかの和室で花でも活けている方が似合う──場違いさ。
見るからに戦闘員でないその女性を与し易いと受け取ったか、獅子吼兵が背後から槍を突き出し──、
──槍諸共消し飛んだ。
清楚な女性は拳に付いた肉片を軽く振り払うと、一足飛びに獅子吼兵が密集する場所へと飛び立ち、苛烈な乱打を放った。
いや、乱打なのだろうか? 何も見えない。拳の撃ち出しが速すぎて、残像すら残っていない。傍目には、腕をゆったりと振るっているようにしか見えないのだ。
しかし見えているモノが正解でないのは、被害が物語っていた。一秒未満の時間が経過するほど、人は消し飛び、地面は抉り飛ばされ、柵も旗も、間合いのすべてが木っ端微塵に砕かれていく。
「──我流奥義・彩鳳拳」
さほど長くもない暴力の時間が終わると、女性はきわめて優雅に一礼した。
馬喰田兵から歓声が上がる。
「流石、鎚駒様だ!」
「見たか? 見る間に獅子吼の奴らが吹っ飛んだぞ!」
「馬喰田様の懐刀の鋭さは、獅子吼のなまくら共を容易くへし折ったぞ!」
一方の獅子吼兵達は恐慌状態に陥った。
士気が下がり、武器を捨てて逃げ出す者までいた。
女性──鎚駒鉄鎖は、声を上げることもなく、軽く地面を踏みつけた。轟音と共にヒビ割れる大地。
「──愚かな侵略者共よ。馬喰田にこのテッサあることを知りなさい。
──そして、鎚駒鉄鎖ある限り、馬喰田の地で好き勝手に振る舞うこと、叶わぬと知りなさい」
それは静かな声だったが、おぞ気が走るほどの覇気と共に発せられた。水面に雫が落ちるように波紋を呼び、獅子吼の士気を完全に崩壊させた。
馬喰田の懐刀は獅子吼軍の潰走を無感情に見やってから、役目を終えたとばかりに踵を返した。
───
カグラは獅子吼シオンが治める地・泰獅城下へと来ていた。
御用商人として獅子吼氏に取り入っているため、鎮守の兵にも怪しい目では見られなかった。
歩きながら城下を見やる。
人は、忙しなく動いている。見かける兵の数は思ったよりも多い。道行く人は痩せてはいるが、やつれてはいない。
露店は少ない。しかし、大衆向けの食堂や販売店などは活気があるように見えた。
街の雰囲気はどうか。
静かな緊張感を孕んでいるが、大敗を重ねている領の支城下にしては、だいぶ“緩い”ように思えた。
兵の装備をよく見れば、使い込まれてはいるが、よく磨き込まれている。血色のいい顔もしている。
カグラはここで、もしやと思った。
──もしかすると……賭けに勝てるかもしれない。
───
「──お目通り叶いまして光栄ですわ。武具商のカグラと申します」
「……うん。まぁ、楽にしてくれていいよ」
カグラから見て、獅子吼詩恩は、ひどく凡庸なように見えた。
まるで獅子から生まれた猫のようなひ弱さと、おとなしさ。
これは領主と不和になるわけだとカグラは納得した。あの怪物のような女の肚から生まれたにしては、彼女はあまりに人間だった。
「……あー。本日はどんなご用で参ったのかな?」
「ええ。近頃とても珍しい“鼻薬”を手に入れましたので、ご献上に上がりましたの」
彼女が羽織る、着物のほつれがひどく気になった。瞳には覇気がなく、言葉もたどたどしい。
あまり人と話し慣れてる風ではない。
軽く入れた言葉のジャブにもまるでピンと来ていない。これが演技ならたいしたものだが──ないだろう。あまりに自然体だ。……いや、緊張でガチガチになっているから、正しくは違うが。
「珍しい、鼻薬? 鼻水を止めるのに珍しいも何もあるのか?」
「ええ、ありますとも。コレはね、ご嫡子様。飲んだ者の悩みを立ちどころに解決に導く、そんな薬なのですよ」
「……もしかして、騙そうとしているのか?」
「いえいえ、滅相もございません」
カグラはうっそりと笑みを浮かべた。
凡庸だが、馬鹿ではないらしい。だが察しが悪い。この時、脳裏に白髪に桜色が混じった少女が浮かんだ。
──いや、あそこまでいくと騙されやすいとかを超越して、狂気の域だ。
あんなのは他にいないだろう。いたら怖い。
「……願いを投げ込む泉、という伝説をご存知でしょうか」
「いや、初耳だが……」
そりゃそうだ。
これから話すのはすべて口から出任せなのだから。知ってると言われた方が驚く。
「説明してもよろしいでしょうか?」
カグラが聞くと、シオンは家来に目配せした。視線の切り方、感情の乗り方を見やるに、悪く取る必要はなさそうだった。
「苦しゅうない。
いま、茶菓子を取りに行かせたから、少し待て」
「承りましたわ」
運ばれてきた茶菓子は、かなり上質なものだった。菓子に刻まれている焼き印は見たことがない銘柄だったので、おそらくは泰獅城下のものなのだろう。
見た目はよくあるまんじゅうだが、皮の薄さや、餡のなめらかさから丁寧に作られているのがわかった。こういう店が支配下にある──。
カグラはシオンの評価を一つ上げた。
シオンは茶で唇を湿らせると、語り始めた。
「むかしむかし、ある所に貧しい男がいたそうでございます。──その男はね、貧しさに堪えかねるあまり、物盗りに精を出していました」
「……哀しいな」
「ええ、まったく。……問題はですね、町で評判の僧侶がいたのです。豪華絢爛の袈裟を纏い、数珠などは宝石で出来ていたそうですよ。……問題はね、男がこの僧侶から盗みをすることを決めてしまったことなのです」
「……豪華な着物を着ていたということは、それなりに力がある者だったのだろう。ソレから盗みをするというのは無謀ではないか?」
そうですね、と静かに頷いてから、知らず知らずにカグラは紫水晶の瞳に憎悪を踊らせた。
シオンはそのことに気が付いたが、咎めるつもりはなかった。カグラの背景がよく分からなかったのもあるし、物事に対して決断するにはまだ早いと先延ばしにする癖があったからだ。
「知ったことではなかったのです。相手が力を持とうが持たなかろうが、邪魔だと思えば排除にかかる。そういう考えだったのですよ」
「しかし……それは、あまりに愚かだ」
「そうですね。けれど、彼はやりました。こっそりと僧侶の屋敷に忍び込んで、金品を盗みました」
シオンはゴクリと生唾を飲み込んだ。
「フフ……。盗みはね、うまくいきました。けれど、急に羽振りがよくなった彼を怪しんだ村人に、告げ口されてしまうのです」
「なんと……それでどうなるのだ?」
「追っ手がかかりました。ですから、男は盗んだ金品を抱え、夜逃げしました。……そうして何日も逃げていると、次第に金品のことが恨めしくなってきたのです」
「ならば、捨てたのか?」
カグラはそれはですね……。
と、わざとらしく溜めを作った。
「捨てられません。捨ててしまえば、すべて無駄になるからです。……何日も何日も逃げ続けて──寺を見つけました。疲れ切っていた彼は、水を一杯もらおうと尋ねるのです。「どうもすみません、お水を一杯もらえませんか?」」
「自分勝手な男だな。自分は僧侶から宝を盗ったのに」
「そうですね。寺の住職は言いました「何やら大変なご様子。よろしければ、お話を聞かせてはもらえませんか?」。男は洗いざらい話しました」
カグラは言葉を切った。
結末をどうしようかと視線をさまよわせた。
「……住職は大層男を憐れみました。そして、せめて気持ちだけでも楽にしてやろうと言いました。「裏手にある泉に邪魔だと思っているものを投げ込めば願いが叶うのです」。男は喜んで、金品をすべて泉に投げ込みました」
「……男はどうなったのだ?」
「どうにも。捕まって、罪人として引き立てられてしまいましたよ」
「……? ならば願いが叶う鼻薬など嘘ではないか!」
「……嘘ではございませんよ。“邪魔”なものを投げ込めば、願いは叶うのです」
それはどう聞いても屁理屈だった。
けれども、シオンは間違いだとは言えなかった。
「願いは掴むものです。自ら叶えるもので、他人に託すべきではない。……ご嫡子様、あなたにも叶えたい願いがあるのでは?」
「それは……」
「黙って聞いていれば! 無礼だぞ!」
カグラはお許しを、と頭を下げた。
なおも詰め寄ろうとする家臣を手で制して、シオンは力なくカグラを見た。
「結局……そなたは何が言いたいのだ?」
カグラは、黒い百合のように微笑んだ。
「ご謀反を」




