黒く滲む百合の毒
「獅子吼が敗戦したぁ?」
そんな馬鹿な、と首を振るのはホムラだ。
鹿目城下の賑やかな食堂。興奮した様子の噂好きの話をそりゃホラ話だろ、と切って捨てた。
獅子吼は強大だ。
精強な兵士を抱える軍事力もそうだが、領主の獅子吼緋彩は武芸百般に通じ、機略縦横の傑物と評判の人物だった。
対する馬喰田は人望ばかりが取り柄の領主。国力の規模は後者に軍配があがるが、外野が予想していたのはおおよそのところ、獅子吼による蹂躙劇だったのだ。
しかし──。
ホムラは考えた。
獅子吼が敗れ去ったというのが万が一本当だったとしたら、かなりまずい事態だった。
三氏の危ういパワーバランスの上に成り立っていた均衡が崩れて、鹿角も戦火に巻き込まれるかもしれない。
──探りを入れてみるか。
ホムラ固有の鋭い瞳は、さらに鋭く細められた。
───
獅子吼領・黄獅砦。
鹿角領との境目に設けられたそこへ、ホムラは来ていた。あえてボロの装いに身を包み、得物も相棒の大斧でなく粗末な鉄剣を佩いている。
いかにも銭目当ての無法者といった風。
その姿は、敗戦直後の獅子吼領をうろつくには、あつらえ向きのものといえた。
「おい! 兵士の兄ちゃん! 仕事くれよ!」
「黙れ! それどころじゃないのが見てわからんのか!!」
「知らねぇよ! こっちだって生活かかってんだ! テコでも動いてやらねぇぞッ!」
ホムラは慌ただしく走り回る兵士の一人へ、不躾な声をかけた。当然、兵士は腹を立てて怒鳴りつけるが、そんなもの、ホムラにはどうってことない。
忌々しそうに歯噛みする彼を追い詰めるように、ホムラはさらに畳み掛ける。
「これでも腕利きで鳴らしてんだ! 聞いたことねぇか? 竜巻サヘエの名をよ」
口から出任せであった。
「──何? いや、聞いたことはないが……」
「はぁ?! モグリかい、アンタ! 情報はキチンと集めとくもんだぜ! 特に兵士様はよ、有能な傭兵の情報は常に持っとくもんだろ!」
そこでわざとらしく言葉を切って、ホムラは声をひそめた。
「──優秀な部下を持ってるかどうかってのは、出世に関わるんだろ?」
兵士の喉がゴクリと鳴る。
──どうやら、欲望を刺激できたようだった。
男は警戒するように周りを確認してから、咳払いを一つ打った。
「……う、うむ。そこまで言うのなら仕方ない。少しばかり小間使いを任せてやってもいいだろう」
「お、ありがたいね。どんな仕事だい? できりゃ力仕事だとありがたいが」
「ふんっ。見れば分かることを言うな。心配せずともそういう雑用だ」
ホムラは倉庫整理を任された。
どうやら彼らは、装備や兵糧を、前線へと大幅に輸送しようとしているらしかった。
一応物資を検めてみると、妙に質のいい武具が入った木箱が混じっている。
(……砦の物々しさといい、獅子吼の奴らが苦戦してるってのは間違いなさそうだな)
砦の兵士たちの食い扶持までひっくり返して、前線に送ろうとしている。ホムラと同じようにして兵士様に雇っていただいたらしい傭兵や、下男が忙しなく荷物を運び出している。
状況証拠だけでなく、物的証拠や確証になりそうな情報が欲しいところだが、深入りしすぎるのも危ない。
「よう、てんやわんやで大忙しだな」
「あ? ああ、そうだな。良くは知らねぇが、なんでも前線の方はとんでもねぇ地獄って噂だ」
「ほお? そりゃヤベェな。死にたくねえし、さっさと逃げ出しちまうべきかね?」
「いらん心配だろ。過程がどうあろうと、最後に勝つのは獅子吼様なんだからよ」
ホムラは下男の一人にきわめて気安く話しかけた。男は最初怪訝そうにしたが、ホムラの身なりを見て、物知らずのチンピラ者と決めつけたらしい。まったくの無警戒で話を聞かせてくれた。
(能天気な顔してやがる。……しかし、末端にまで情報が伝わるか……。
本格的に良くねぇみたいだな。
敗戦が事実だとして、流石に滅ぶところまでやられたりはしねぇだろうが……)
ホムラはここいらが潮時かと思案した。
おそらくこれ以上探っても、目新しい情報は出てこないだろう。なにせ、この砦に入っているのは居残りばかりだ。戦場で何が起こったかを探るのは難しいだろう。
ホムラは冷徹に判断を下すと、倉庫整理のチンピラを演じきった。
そして、密かに獅子吼領を脱出した。
───
「──つうわけだ。戦が嫌だとか抜かしてらんねぇ。備えが必要だぞ、ユイ」
「……そうですか」
ユイはホムラの注意に答えなかった。
目を伏せたまま、膝に乗せたヒイナの頭を撫でている。
鹿角領主は数拍の時を置いて、静かに口を開いた。
「……鬼気使いを──。
招集せねばいけないかもしれませんね」
「鹿角じゃあ、そう数は多くねえがな」
ん? と、撫でくりされているヒイナは疑問を持った。鬼気ってなぁに?
ヒイナはめちゃくちゃ気になったが、大人のお話に口を挟んではいけないと思い直してお口にチャック。
ユイの抱き枕・ラブリーキュート柔らかヒイナちゃんに徹することにした。
「……ヒイナ」
「はい☆ ヒイナちゃんですよ☆」
「もしも──。もしもですよ、この鹿角が戦火に包まれることがあったなら、
──貴女は戦ってはいけませんからね」
ヒイナは一瞬、何を言われたかわからなかった。
言われなくたって、戦う気なんか最初からない。人間を手にかけるなんて、もう絶対にやりたくなかった。だって人間は人間で、結晶人じゃないのだ。
ヒイナの脳裏に過ぎるのは、花酔で喪った人達。ヒイナの無自覚が殺した人々。
それだけではない。介錯した卵のカケラ、イノリの破片。ヒイナは静かに心の痛みを抱きしめる。
大丈夫。アタシは忘れないよ。
──何一つとして。
戦わない。命も奪わない。けれども、ただ大事な人たちの盾になって守ること。
これを戦うとは言わない。守ってるだけなのだから。自分に言い訳をすると、ヒイナはきわめて能天気な笑顔を浮かべた。
「心配ないですよ、ユイ様☆ だってヒイナちゃんはみんなの希望ですもん☆ 無駄に暴力は使いません☆」
「ヒイナ……いえ、やめておきましょう。……けれどね、おしおきですよ」
「キャッ☆ ユイ様ったら大胆☆ でもヒイナちゃんはめちゃんこ可愛いから仕方ないよね☆」
「……帰りてぇ」
ユイはヒイナを膝から起き上がらせると、抱きしめた。壊れ物を扱うような繊細な手つきで、ヒイナの白と桜色が交じり合った髪を梳く。
二人の空間からきれいに取り残されたホムラは、心底迷惑そうな顔をして、ポツリと呟いた。




