煙立つ
獅畑で情報を集めだしてから、一月ほどが経過した。
ヒイナは期限が迫るたび、約束通りに鹿目に戻ったし、その都度、ユイの抱き枕になったり、アヤメにチッチッチッ〜とされたり、いつの間にか姉面をするようになったコサメにかいぐりされたり、サクラに同情されたりした。
移動自体は、そんなに時間のかかるものではなかった。何しろ、ヒイナは煌子適合者。落ちこぼれとはいえ、身体能力は常人のソレと比較にならないからだ。
帰還の目処は未だに立たない。
転移の祈りやワープ、なんかすごい奇跡の痕跡は、まるで見つかってなかった。
ヒイナは胸の内に不安が膨らむのを自覚していた。ここが過去なのではないか、帰れないのではないか。そういう不安もあった。
そしてここが過去であると認めることは、つまり、いずれ起こる鹿角領の滅びを認めるということ。スイやセイラと会えなくなるということ。
ヒイナは認めがたかった。
動乱の世界で長く過ごしていれば、鈍いヒイナにだって察せられることがあった。
それでもここを異世界であると自分に言い聞かせ続けるのは、資料漁りを続けるのは、認めたくないからだ。故郷へ帰還するための行為は、現実逃避の行為に成り下がっていた。
ユイやアヤメ、コサメやサクラを好きになればなるほど、ヒイナが知る歴史という現実の残酷さが、愛おしい者たちの喪失が恐ろしかった。
───
その日の獅畑の街は、やけに慌ただしかった。
一週間に一度の帰省から戻ってきたヒイナは、駆けずり回る兵士や、いつも以上に張り詰めた街の空気に首を傾げた。
「こんにちわ☆ ちょっとお聞きしたいことが──」
「うるさい! 邪魔をすると引っ捕らえるぞ!」
「えぇ……」
食い気味に怒鳴りつけられて、思わずヒイナは傷ついた。
でもまぁ、忙しそうな兵士さんに話しかけちゃったヒイナちゃんが悪いよね、と反省。
今度は暇そうにしているおじさんを探し出して聞いてみる。
「こんにちは☆ ヒイナちゃんはヒイナちゃんです☆ おヒゲ素敵ですね☆彡」
「……馬鹿にしているのか?」
「いえそんな! 全然全然! ヒイナちゃんの本心なんです! 本当です!」
ヒイナが慌てて弁明すると、おじさんは迷惑そうな顔をして、まるで虫を追い払うように手のひらをしっ、しっ、と払った。冷たい。
その後もめげずに見かける人に話しかけていくヒイナだが、みんなイライラしていて、取りつく島もなかった。中には水をかけてくる人や、石を投げてくる人までいた。石はまぁ、痛いだけだからどうってことないのだが、水が困っちゃう。
ヒイナは身一つで旅をしているので、服が濡れると替えがないのだ。この時代の服も、自分じゃ着れないし。
あと、服はちゃんと清めの祈りで浄化してるので綺麗です。
ヒイナちゃん不潔じゃない。
ただ、衣服を乾燥させる祈りをヒイナじゃ使えないだけなのだ。
(はぁ……。こうも邪険にされると、ヒイナちゃんの自己肯定感下がっちゃうよ。
鹿目はよかった……みんなチヤホヤしてくれるし、褒めてくれるんだもん。何よりヒイナちゃんの話、ちゃんと聞いてくれるし)
ヒイナは今、猛烈に鹿目へ帰りたくなっていた。
鹿目に帰って、ユイに抱きついて、アヤメにチッチッチッ〜されて、コサメに撫でくりされて、サクラに同情されたい気分だった。
でも、そんな鹿目を飛び出して、帰還の術を探すことを選んだのはヒイナである。たとえ今は現実逃避に成り果てても、選んだことには責任を持たなくてはいけない。これは、ヒイナが自分自身に課している大切な決まりごとであった。
ヒイナはもう一度大きく深呼吸をすると、勢いよく立ち上がった。
「がんばれヒイナちゃん☆ ヒイナちゃんちょーかわいいー☆彡 めちゃんこ最強! ヒイナちゃんラブリーキュート☆ みんなの希望☆彡」
人目も憚らずにイタイタしいコールを自分へと送ると、ヒイナはいつも通りに自信と自己肯定感を取り戻した。周囲からとんでもない変質者を見る目を向けられたが、ヒイナ的にソレは慣れっこだった。
自信を取り戻して冴え渡った思考が、ヒイナに提案した。この冷え込んだ街において唯一ヒイナの話を聞いてくれる人……。
(そう、商人さん! ヒイナちゃん、自分の頭脳が怖いよ……。冴え渡りすぎてる)
ヒイナはしょうもない自画自賛を挟みながら、あの高貴そうな商人を探すことにした。
───
商人は割とすぐに見つかった。
めちゃくちゃ目立つ容姿をしているのもある。けれどもそれ以上に、なんというか、彼女がいる空間は周囲とは空気の密度が違うというか、
ヒイナには世界から切り離されているよう見えた。
「こんにちわ、商人さん☆
今日も紫色の瞳が知性的ですね☆ 今のヒイナちゃんくらい賢そうです☆」
「……もしかしてだけど、遠回しに馬鹿扱いしてる?」
「なんで?!」
涼やかな瞳が呆れたように細められる。
ヒイナは商人と軽く雑談を挟みつつ、本題を切り出すことにした。
「獅畑の街……なんだか物々しいですよね。何でだかご存知ですか? ヒイナちゃん、教えてほしいです☆」
「ああ……戦よ。獅子吼領主は戦好きで有名だからね。今回も侵攻よ」
商人はさらりと言ってのけたが、紫水晶の瞳におどろおどろしい嫌悪と憎悪が滲んだのを、ヒイナは見逃さなかった。けれども、特に何かを言うつもりもなかった。だってヒイナは外野だ。
「侵攻って……どこへです?」
「馬喰田よ。三氏の。最近力をつけてきたから、食べ頃だとでも思ったんでしょうね」
「うぇぇ。なんだかおっきな戦争になりそうですね」
ヒイナが顔をしかめると、商人は思わず、といった風に言葉を落とした。
「そうね……。好都合だわ」
「好都合……です?」
どういうことだろう。
不思議に思ったヒイナが首を傾げると、商人は特に慌てた風もなく続けた。
「ああ……商人だからね、コレでも。戦時特需ってやつよ。書き入れ時ね」
「うーん……」
「言いたいことでもあるの?」
別になかった。
ただなんとなく、何かの引っかかりを覚えただけだ。
その正体が何かはヒイナ自身わからなかったが。
「さて、私は行くわね」
「ヒイナちゃん寂しい! もっとお話ししましょうよ!」
「悪いわね。妹が待ってるの」
そう聞いて、ヒイナは納得した。
待っていてくれる人は大切にしなくてはいけない。ヒイナがスイやセイラを決して忘れないように。鹿角のみんなを護りたいように。
彼女にも待っていてくれる人がいて、ちゃんと大切にしているのだ。ヒイナは商人のことがもっと大好きになった。
「むむぅ。それじゃあ、仕方ないですね……。ヒイナちゃんは理解のあるいい女なので、許してあげます☆」
「いやあんた、どういう立場の物言いよ。……はぁ。あんたと話すと時間が無為に過ぎちゃうわ……」
そう言って、今度こそ商人は去っていった。
ヒイナは戦争について思いを馳せてみた。
ユイに謁見しようとした時に、ヒイナも経験自体はしていた。
記憶に強く強く刻まれている、花酔近郊の戦い。
ヒイナ自身のエゴが、無思慮が、軽薄さが引き起こした惨劇。ヒイナが殺した三十七の生命。決して忘れることなどできはしない。
きっと、獅子吼が行う戦争はもっと大きくて、もっと悲惨なのだろう。
ヒイナは無意識に身震いした。




