英雄
──ああ、これは夢だ。
何度だって繰り返し見てきた。ヒイナの原点。
暗く狭い、埃っぽい一室に、子供たちがぎゅうぎゅうに詰め込まれている。黄ばんだ白い壁紙に、最低限しかない生活用品。
ここは牢獄であった。
牢屋であり、子供という資材の保管庫。研究目的で毎日一人づつ、消費されていく。
子ども達は自分の行く末を知っていた。毎日仲間が減るのだから、察しないわけがなかった。
そして抵抗が無駄であることも知っていた。ゆえに諦めきった顔で、涙を流す子さえいない。
暗い、冷たい、牢屋の中──。
画面が切り替わる。
桜髪に蒼い瞳。黒いリボンのあの子が、言った。
「ねぇ。笑っていてね、あなたの笑顔って、みんなに元気をあげられるから──」
ヒイナが目を覚ました時、彼女は無意識に懐を探った。
「……大丈夫、大丈夫だよ。ヒイナちゃんは、まだ笑えるよ……」
薄汚れた布切れを大切に胸に抱いて、ヒイナは決意をあらたにした。
そういえば、と今更気が付く。
ここってどこだろう? ヒイナは周りを見渡した。
どうも、かなり上等な和室のようで、ヒイナが寝かされている布団もすごくふかふかだ。
正直、終末の世界では寝る場所がボロテントだったし、ボロボロの毛布しか掛けるものがなかったので、ヒイナはその柔らかさに感動した。
もちろん、屋根がある場所にいられるというだけでも十二分過ぎるほどなのだが。
「あら。お目覚めですか、英雄殿」
ふすまを開けて入室してきたのは、妙齢の美女であった。艶やかな水色の長髪を流した、穏やかそうな女性だ。彼女からはどこか土のいいにおいがする。
「──ぁ。……お世話になっていますっ。 穏やかなタレ目が素敵ですね☆ ヒイナちゃんはヒイナちゃんっていいます!」
──“英雄”。
その響きはヒイナの心を抉ったが、それでも彼女は屈託ない笑みを浮かべた。
──背負わなきゃ。
あの場所で起きたこと、失われたモノ、全部全部。忘れないし、恨む人がいるなら、ヒイナがソレを受け止める。
……ヒイナにも待っている人がいるから、流石に殺されてあげることは出来ないけれど、気が済むように斬りつけられるくらいは当然の報いなんだ。
「あらあら、これはご丁寧に。わたくしは天喰朔良と申しますの。ひい様の家宰を務めさせていただいておりますわ」
「か……か? 火災? どこか燃えてるんですか? 助けに行かなきゃ!」
「うふふ、愉快な方。家宰、というのはね、みんなの生活を良くするお手伝いをしているということですわ」
「んんっ……。早とちり、お恥ずかしい」
いえいえ、お優しいのね、と彼女は朗らかに笑った。
サクラは穏やかな笑みのまま、一つ頭を下げた。
「まずはお礼と謝罪を。貴女のおかげで、野武士は掃討できましたわ。ありがとう。
それと、ごめんなさい。きっと貴女は誰かを傷付けられるような人ではないのでしょう。
……少し話しただけのわたくしでもわかりましたわ。無理をさせてしまいましたね」
「そんな……っ。……ヒイナちゃんは自分を通しただけですもん☆ 謝ったりなんかしないでください☆」
「……そう、ですのね」
サクラは一瞬、言葉を失ったように押し黙る。そして、俯けていた視線を彷徨わせると、ヒイナを痛ましそうに見やった。
ヒイナはそんな風な目で見られるのはそんなに珍しくないので、特に気にしなかった。
それよりも! と、閃いていた。
鹿角領主に会うならば、今をおいて他にないのではないか。お手伝いさん(ミオさんみたいな人?)に出会えたのは、きっと奇跡に違いない! とヒイナは勝手に運命を感じていた。
「サクラさん! ヒイナちゃんからお願いがあります!」
「あらまぁ。叶えられる範囲でなら、善処いたしますわ」
「鹿角様に会いたいんです! ヒイナちゃんどうしても会いたいんです!!」
サクラは恐ろしく変なものを見たような表情をした。度し難いアホを見る目と、愛すべきバカを見る目がないまぜになったもの。
「いえ……それだけですの?」
「えっ? はい。ヒイナちゃんは最初からそれが目的ですよ☆ いえーいハッピー☆」
「……いえ、そうですの。承知しましたわ」
ふぅ、とため息。
サクラはきわめて慎重にヒイナの様子を窺いながら言った。
「実はですわね。わたくしがヒイナさんを訪ねたのは見舞いのためではありません。先程までのはすべて私事。本当の用事はね、貴女を呼び立てに参ったのですわ」
「ん? えっ」
「ですから、おひい様がお会いになると、おっしゃられているのですよ」
───
起き上がってから気が付いたが、ヒイナは寝ている間に着替えさせてもらったようだった。なんか花柄の、上品な着物である。正直、地味なデザインでヒイナ好みではない。
ソレよりも、ボロ猫パーカーである。血だらけだし、穴も空いていたので、捨てられてやしないかとサクラに聞いてみると、今は洗って干してあるとのこと。ほっと安心。
「けれど、アレはもう着られそうにありませんわよ。仕立て直しますの?」
「え? ううん、煌子纏鎧を出す要領で補修するんですよ☆ ピカピカーって」
「こう……ん? なんですの、ソレは」
「めっちゃ凄い鎧ですよ☆」
それにしても階段が多かった。
しかも一段一段高いし、幅が狭い。地味にヒイナは高所恐怖症なので、ちょっぴり不安になった。
「この先ですわよ」
階段地獄を抜けると、次はふすま地獄。
なんだかヒイナは精神的に疲れを感じた。
けれど、いよいよ鹿角領主と対面できる。ヒイナの背筋が自然と伸びた。
「どうぞ」
通された部屋には誰もいなかった。
隠れているのかと思ったが、気配を感じない。
ん? どういうこと?
困惑しきりのヒイナに構わず、サクラはいらっしゃいますよ、と頭を垂れるように促した。
言う通りにすると、ひた、ひた、と足音が近付いてくる。
──ゆったりとした歩調で人が近づいてくる気配だ。もしや、これが鹿角領主なのだろうか。
頭を上げて確認したい衝動を必死にこらえていると、気配は上座に腰を下ろしたようだった。
たっぷりの間を空けて、
「面を上げよ」
鈴が転がるような、清廉な響きだった。
そして、顔を上げたヒイナが見たのは、鹿角唯姫は、桜髪に蒼い瞳を持つ少女だった。
「えっ、……ぁ」
ヒイナは困惑した。
困惑して、言おうとしていたこと、確認したかったこと……スイやセイラのことさえ、この瞬間のヒイナからは吹き飛んでいた。
ユイはそんなヒイナを、領主に謁見して緊張しているような素朴な少女と誤解したのか、クスリとたおやかに笑った。
「まずは感謝を。大儀でありましたね」
「ぅ……ぃえ、アタシ、必死だっただけです……」
「近くへ」
「ぇ?」
「近う」
サクラからの無言の圧と、ユイの笑みに促されて近寄ると、鹿角領主はいきなりヒイナの手を取った。
その手指は、見るからに清楚でたおやかなユイのものにしては硬質で、まるで畑仕事を生業にする農民のもののようだった。
「痛ましい……」
「え?」
「あなたのような少女は、本来、真っ先に守護されるべき者です。それなのに、私が至らないばかりに無理をさせてしまった」
「そんな……っ。違いますよ! アタシはみんなの希望だから、だから戦うんです! 鹿角様のせいじゃないです!」
ソレは、本心からの声だった。
ヒイナは誰に強制されたわけじゃない。全部自分で選んで決めている。なら、返ってくるモノは、すべてヒイナ自身に原因があるべきなのだ。
「けれど、ソレではあまりに貴女が報われない。お手を拝見させてもらいましたよ。これは、ただの少女のてのひらです。英雄のものではない」
ユイは確信を持って言った。
彼女の脳裏に過ぎるのはどこまでも陽気で愛らしい、シリアルキラー。
「あなたにも言い分があるのでしょう。けどね、どうか、どうか自分を大切にして」
言われるまでもないことだった。
ヒイナはコレでも、キチンと自分を大切にしているつもりだった。自分が死んだら泣く人がいることを知っているから。
でも、ユイの目には自滅願望を持っているよう、映っているみたいだった。
ヒイナは何を言うべきか迷った。
肯定も否定もできなかった。
場に重たい沈黙が落ちかけたころ、
「あーッ! 姫ちん、英雄さんに会うんならあーしも呼んでって言っといたじゃん!」
「姉様! 姫様は今、大切なお客様とお会いになってるんですよ! 邪魔してはいけません!」
ドタバタドタバタと入室してきたのは二人の少女だった。サクラと同じ水色の髪をしている。
姉と呼ばれた方はかなりオシャレで、髪型もハーフアップにしている。妹の方はシャレっ気がなく、大きな槍を背中に携えている。
「邪魔なのは二人とも、ですわよ。アヤメ、コサメ、後でお説教」
「ええー! 理不尽だよ、母様!」
「姉様が悪いのに、なんでわたしまでー……」
サクラの厳しい声に、うわーんとわざとらしく泣き真似をするアヤメと、うなだれるコサメ。
「──ぁ。ま、まぁまぁ☆ 落ち着いてっ。ヒイナちゃんはヒイナちゃんです! よろしくね☆」
「ご丁寧にどうも。天喰小雨です。どうぞお見知りおきを」
「ふーん、へー」
「姉様、人をジロジロ見るのは不躾ですよ!」
アヤメは品定めするようにヒイナを見ると、うん、と納得したように頷いた。
「よし決めた! 君は今日からヒナっちだ! 彩芽ちゃんと仲良くしようね♧」




