ヒトナシ峠の怪
「お化けが出るゥ〜?!」
ヒイナがサヨの茶屋で接客を手伝い始めてからそれなり。ソコソコ馴染んできて、常連さんにも顔を覚えられてきた時のこと。
とある常連さんの一人が、こんなホラ話を始めたのだ。
曰く、ヒトナシ峠は戦火に巻き込まれて滅んだ住民の怨みが渦巻いている。
曰く、ヒトナシ峠を根城にした野武士や盗賊達が一人として出てこない。
曰く、あの付近には獣が寄り付かない。
曰く、ヒトナシ峠には常に甘やかな笑みを浮かべた絶世の美女が住んでいる……。
どれもこれも、ひどい与太話であるとして、誰一人真剣には受け取らなかった。
「……」
ヒイナは本能的に引っかかりを覚えた。
近代都市に生えてる結晶の林を見かけたような、なんてことない違和感。言葉にするのは難しいが……。
「ヒイナちゃん?」
「おっとごめんなさい☆ ヒイナちゃんきりきり働きますね☆ がんばるぞ、おーっ☆」
サヨの呼びかけで我に帰る。
ヒイナはつとめて明るく振る舞いながら、頭の中は噂のことでいっぱいだった。
───
「この世界の空は綺麗だなぁ。一番星があんなに光って見える」
ヒイナは夜道を歩いていた。サヨにも内緒のお散歩だ。帰ったらきっと怒られてしまうだろう。
行き先は──
「……ヒトナシ峠の怪かぁ。怖いなぁ」
ヒトナシ峠。
誰か犠牲になったというわけではない。けれど、ヒイナはどうしても、この噂が気にかかった。こういう時の直感が外れたことはないので、今こうして従っている。
外れてくれればいい。単なる夜景を楽しむだけの、綺麗な一番星を愛でるだけの散歩で終わればいい。
けれど──
───
「こんばんわ、可愛らしいお嬢さん。いい夜だね」
ヒトナシ峠を歩くヒイナの背中へ、怖気が走るような甘ったるい声がかかった。
「ッ!」
「ダメだよぉ、君みたいな可愛い子がこんなところうろついちゃ」
──まったく気配を感じなかった!
ヒイナが振り返るより速く、絶殺の間合いへ入り込むと、ソレはまるで、恋人へと愛を囁くようにして耳打ちをしてきた。
「こわーい、こわぁーい、オオカミさんに。
──食べられちゃうゾ♡」
「──っ。心配いらないよ☆ オオカミだったら、そりゃ! ってやっつけられるもの☆」
「あら怖い♡」
振り返るとソコには、見るものを虜にするような、甘い笑みを浮かべた女性が佇んでいた。
夢のように美しい女性だった。
ゆるくウェーブした白銀のサイドポニー。毛先は黄金色。露出の多い服装を黄色と黒の羽織で包み、端正なかんばせを人懐っこそうな笑みで固めている。
「どうもこんばんわ☆ お綺麗ですね、おねーさん。……すんごく役得かなって思いますけど、近いですよ☆」
「あらお上手。もっと近付いちゃお♡」
軽い言動だが、声は冷え込むような冷たさだった。殺意が滲むほど冷たい声なのに、態度も表情も明るく人懐っこい。ひどく矛盾していた。
「お近づきの印に聞きたいんだけど、こんな夜更けに、子供が一人で何してるの? ここ、昔はそれなりに人がいたけど、今は見ての通りの人無し峠よ」
「うーん。笑わないで聞いてほしいんですけど、肝試し、ですかね☆ こわーい幽霊が出るって聞いたので☆」
「へぇ……」
女の笑顔が一瞬崩れた。
そしてスルリと距離を取ると、どこからともなく巨大なハサミを取り出した。無駄な装飾の全くない、武骨で実用的なデザインだ。
「……ちなみに、だけど。お化けを見つけたらどうするの?」
「……相手によりますね。悪いやつならやっつけますし、いい子ならお友達になりますよ」
「そっかぁ。なら私達、殺し合うしかないねぇ」
「──っ」
刹那、女から膨大な殺気が放たれた。まるで地を這うような、おぞ気の走る殺気だ。
煌子纏鎧をまとう暇がない!
ヒイナはなんとか巨大剣を生成し、女の一撃を受け止めた。
「チョッキン、しちゃうゾ♡」
「それはご勘弁……っ」
「あらっ」
めちゃくちゃにハサミを突き立てようとしてくる女をはじき飛ばし、ヒイナは距離を稼いだ。
速さではどうにも勝ち目がない。
「そういえば、自己紹介まだだったね。うっかりうっかり。私、シュラよ。左部朱羅。お嬢さんは?」
「ヒイナちゃんはヒイナちゃんですよ☆
服のセンスがとっても優れてる、みんなの希望です☆彡」
「ん? うーん。一つ忠告あげるけど、くれぐれもその服着るのやめた方がいいよ。あなたの素材、台無しにしてるもの」
「してない! かわいい! アタシとボロ猫はずっ友なの!!」
ヒイナはブチギレた。
力いっぱい踏み込む。地面が破裂し、波打つ。骨が悲鳴を上げるほどの力を持って加速力を得、ヒイナはシュラに肉薄した。
「彗星! アターッ──ふぎゅ!」
「すんごいパワーなのは認めるけど、一途すぎるね、あなた。怒りっぽいのも減点」
人間が相手だ。殺すつもりはなかった。
軽ーく石突でぶん殴って、ちょっくら眠ってもらおうと振り上げたが──、通じなかった。
恐るべきことに、ちょいっと足を引っ掛けられて、ヒイナはド派手に転倒してしまう。その拍子に木々をなぎ倒し、岩を粉砕した。
あんまり情けない有様をさらしたからだろうか。シュラはやる気を削がれたような吐息を漏らした。
「はぁ。毒気抜かれちゃった。終わり終わり。もうおしまい。ヒイナちゃんもいいでしょ?」
「むぅ。ヒイナちゃんのことダサいって言ったのは腹が立ちますけど……いいでしょう。許します」
「わぁ優しい♡ 器が大きいのね♡」
「それほどでもありますね☆ ヒイナちゃんはみんなの希望なので☆彡」
ヒイナが胸を張ると、おかしそうにシュラは笑った。
「じゃあ、私帰るね。ヒイナちゃんも早く帰りなよ。おうちの人が心配したらいけないし」
「……確かに!」
帰宅したヒイナはサヨに物凄く怒られた。




