第8話 辺境の国おこし
「ここが新しい楽園だと聞いて来ました!」
その声は、静かだった森の朝霧を切り裂くように響き渡りました。
私は驚いてバルコニーから身を乗り出しました。
庭の向こう、結界の境界線付近に、数台の馬車と数十人の人々が集まっていたのです。
彼らの身なりは一様に古びており、馬車には鍋釜や布団といった生活道具が山積みにされています。
明らかに、旅行者ではありません。生活の場を求めて彷徨う、流浪の民の姿でした。
「イグニス様、あの方たちは……」
隣で優雅に朝のコーヒーを飲んでいたイグニス様が、面倒くさそうに眼下を見下ろしました。
「なんだ、蟻の行列か。……あの商人が余計なことを吹聴したようだな」
ベルンハルトさん。
彼が王都に戻ってから数週間。定期的に食料や物資を運んでくれる彼は、私たちの良い取引相手になっていましたが、どうやら彼の商会を通じて「北の森に奇跡の土地がある」という噂が広まってしまったようです。
私は急いで身支度を整え、門へと向かいました。
「お、お嬢様! どうか我々をお救いください!」
私が姿を見せると、先頭に立っていた初老の男性が、泥だらけの地面に膝をつきました。
それに続き、後ろにいた女性や子供たち、職人風の男たちも次々と頭を下げます。
「私たちは南の開拓村から逃れてきたのです。重税と魔物の被害で村は壊滅し、行くあてもなく……そんな時、銀の翼商会の噂を聞きまして」
男性の声は震えていました。
よく見れば、彼らの服はツギハギだらけで、子供たちの頬は痩け、靴は擦り切れています。
かつての私と同じ、居場所を失った人々の目をしていました。
「ですが、ここは禁足地です。危険な魔物もいますし、決して安全な場所とは……」
「それでも! 王都の路地裏で野垂れ死ぬよりはマシです! どうか、庭の隅で構いません、ここに置かせてください!」
必死の懇願。
私は言葉に詰まりました。
私一人なら、静かに暮らせればそれで良かった。
でも、目の前で助けを求める人を見捨てることは、私の性分としてどうしてもできませんでした。
それに、彼らの背後にある荷車――その車輪が歪み、軸が悲鳴を上げているのを見て、無性に「直したい」と思ってしまったのも事実です。
「……わかりました。まずは中へ入ってください。温かいスープを用意します」
私の言葉に、人々の間にどよめきと、安堵の涙が広がりました。
* * *
受け入れたはいいものの、現実は厳しいものでした。
集まったのは総勢五十名。
農民、鍛冶師、大工、縫製職人。
彼らは技術を持っていましたが、道具も資材も失い、何より住む家がありません。
とりあえず私の家の庭――世界樹の影響で広大な広場になっています――にテントを張ってもらいましたが、これから冬に向かうこの地で、テント生活は不可能です。
「……どうしましょう」
私はリビングで頭を抱えました。
食料は家庭菜園の豊作で賄えますが、住環境の整備と、何より彼らを統率する「領主」としての役割が私に務まるのか、自信がありませんでした。
私はただの追放された男爵令嬢。
政治の知識もなければ、人を導くカリスマ性もありません。
「悩む必要などないだろう」
ソファで寛いでいたイグニス様が、リンゴを齧りながら言いました。
「家がないなら作ればいい。貴様のあの妙な魔法でな。統治など、貴様が座って笑っていれば勝手に回る」
「そんな簡単なことではありません! 彼らは生活を懸けてここに来たのです。責任があります」
「責任か。……ならば、我が見せてやろう。この地の王が誰であるかを」
イグニス様はニヤリと笑い、立ち上がりました。
その瞳が、黄金に輝きます。
「来い、リゼット。貴様がこの地の女王に相応しいことを証明してやる」
* * *
イグニス様に連れられ、私たちは広場へと出ました。
食事を終え、休息していた人々が、私たちの姿を見て一斉に立ち上がります。
彼らの視線には、感謝と共に、得体の知れない美貌の男――イグニス様への畏怖が混じっていました。
イグニス様は広場の中央に進み出ると、静かに息を吸い込みました。
カッ!
瞬間、彼の身体が紅蓮の炎に包まれました。
人々から悲鳴が上がります。
炎の渦が天へと昇り、その中から現れたのは――。
全長数十メートルにも及ぶ、巨大な紅蓮のドラゴンでした。
宝石のような鱗。王冠を思わせる角。
その威圧感は、森の空気を一瞬で凍りつかせるほど圧倒的でした。
「ヒッ……竜……!?」
「伝説の、紅蓮の皇……!」
人々は腰を抜かし、地面に平伏しました。
恐怖で震え上がる彼らを、ドラゴン――イグニス様は見下ろし、厳かに告げました。
『頭が高い、人間ども』
腹の底に響くような、重厚な声。
『我が名はイグニス。この地を統べる竜である』
その宣言に、場が静まり返りました。
イグニス様は巨大な首を巡らせ、そして私の隣にそっと頭を下ろしました。
その瞳は、私だけを優しく映しています。
『そして、そこにいるリゼットこそが、我が選びし番――すなわち、この地の女王である』
「えっ……!?」
私は思わず声を上げました。
番? 女王? そんな話、聞いていません!
『リゼットの言葉は我が言葉。彼女に弓引く者は、このイグニスの炎が灰も残さず焼き尽くすと思え。だが、彼女に従い、この地のために尽くす者には、我が庇護を与えよう』
イグニス様が再び咆哮を上げると、周囲の森からフェンリルや精霊たちが姿を現しました。
彼らもまた、私に対して恭順の意を示すように頭を垂れます。
平伏していた人々がおずおずと顔を上げました。
その目に宿っていた恐怖は、次第に熱狂的な崇拝へと変わっていきました。
最強の竜に守られ、精霊に愛された土地。
そして、その竜を従える少女。
彼らにとって、それはまさに伝説の「救世主」の姿そのものだったのでしょう。
「リゼット様万歳!」
「竜王陛下万歳!」
誰からともなく歓声が上がり、それは瞬く間に大合唱となりました。
私は呆然と立ち尽くしていましたが、イグニス様のテレパシーが頭の中に響きました。
(『胸を張れ、リゼット。貴様は我の背中を預けるに足る女だ。これくらいの雑草ども、堂々と従えてみせろ』)
その言葉に、不思議と力が湧いてきました。
そうでした。私はもう、誰かの顔色を窺うだけの無力な令嬢ではありません。
最強のパートナーがいて、私の力を必要としてくれる人たちがいる。
私は大きく深呼吸をし、一歩前へ出ました。
「……皆さん、顔を上げてください!」
私の声は、驚くほど遠くまで通りました。
「私は統治の仕方など知りません。立派な演説もできません。でも、壊れたものを直し、より良くすることはできます。……この廃墟を、私たちが安心して暮らせる『家』に変えましょう。力を貸してくれますか?」
その問いかけに、職人たちが力強く頷きました。
大工の親方が立ち上がり、拳を突き上げます。
「おうよ! 俺たちの腕と、お嬢様の魔法があれば、王都だって目じゃねえ!」
「やってやりましょう!」
空気が変わりました。
絶望に沈んでいた難民たちの顔に、希望とやる気の炎が灯ったのです。
* * *
そこからは、私の独壇場でした。
まず、廃墟となっていたかつての砦の区画を整理しました。
職人たちが瓦礫を撤去し、私が触れる。
「修繕、開始」
コン、とハンマーを叩けば、崩れた石壁が一瞬で堅牢な城壁へと再構築されます。
朽ちた兵舎は、清潔で機能的な集合住宅へ。
荒れた広場は、美しい石畳の市場へと姿を変えました。
私の『万物修繕』は、建材の状態を保存・強化するだけではありません。
職人たちの要望を聞き、「断熱」「耐震」「防音」といった生活に必要な機能を次々と付与していきました。
「すげえ……! 釘一本打たずに家が建っちまった!」
「この壁、ミスリルみたいに硬いぞ!?」
職人たちは驚愕しながらも、私の作業に合わせて内装や家具作りを始めました。
彼らの技術も一流でした。王都で冷遇されていた彼らは、ここでは水を得た魚のように腕を振るいます。
農民たちは、精霊たちが育てた作物を収穫し、種を撒きました。
フェンリルが畑を耕し(彼も楽しそうです)、イグニス様が上空から気候を調整する。
数日のうちに、そこには信じられない光景が広がっていました。
森の中に突如として現れた、白亜の城塞都市。
中心には私の屋敷と世界樹が輝き、周囲には美しい街並みが広がっています。
通りには魔力灯が灯り、市場には新鮮な野菜と、職人たちが作った工芸品が並びます。
夜。
広場で行われた完成祝いの宴で、私はバルコニーからその景色を眺めていました。
「……夢みたいです」
「夢ではない。貴様が作った現実だ」
人化したイグニス様が、ワイングラス片手に隣に立ちました。
「どうだ、女王になった気分は」
「……悪くありません。責任は重いですけれど」
私は苦笑しました。
でも、眼下で笑い合う人々を見て、心の底から温かいものが込み上げてきました。
彼らはもう、難民ではありません。この街の誇り高き住民です。
「ありがとう、イグニス様。貴方が背中を押してくれなければ、私は逃げ出していたかもしれません」
「礼には及ばん。……それに、貴様の作ったこの街、居心地が良いからな」
イグニス様はそっぽを向きましたが、その耳が少し赤くなっているのを私は見逃しませんでした。
こうして、北の禁足地に一つの国が生まれました。
地図には載っていない、けれど世界で一番温かくて強固な、私たちの居場所。
一方、王都では。
勇者ガイウス様たちが、借金返済のために無謀な依頼を受け続け、さらに装備を損耗させているという噂が、行商人たちの間でひっそりと囁かれていました。
彼らがこの街の噂を聞きつけ、邪な希望を抱いてやってくるのは、そう遠くない未来のことでしょう。
ですが、今の私には何の不安もありませんでした。
だってここには、最強の竜と、頼もしい仲間たちがいるのですから。




