第10話 幸せな領主生活
リゼは新しいドレスに袖を通し、陽光が降り注ぐバルコニーへと出ました。
眼下に広がるのは、白亜の石造りの家々が並ぶ美しい街並みです。
かつて廃墟だった場所とは信じられないほど、通りは綺麗に整備され、色とりどりの花が咲き乱れています。
今日は、この街――『竜の里』の建国宣言式典の日。
中央広場には、すでに大勢の住民たちが集まり、楽しげなざわめきがここまで届いていました。
「……緊張しますね」
私は小さく深呼吸をして、自分の姿を見下ろしました。
身に纏っているのは、街の職人たちが総力を挙げて仕立ててくれた、純白のシルクドレスです。
私の『品質向上』スキルで作られた糸は真珠のような光沢を放ち、精霊たちが織り込んだ金糸の刺繍が、動くたびにキラキラと輝きます。
まるで、おとぎ話のお姫様のような装いです。
「リゼット様、お時間よろしいでしょうか」
控えめなノックと共に部屋に入ってきたのは、商人のベルンハルトさんでした。
彼は今日のために新調した燕尾服に身を包み、恭しく一礼しました。
「ベルンハルトさん。……あの、王都からの使者の方々は?」
「はい。応接室にてお待ちいただいております。……随分と腰が低いご様子でしたよ」
ベルンハルトさんが皮肉っぽく笑みを浮かべました。
先日、王家から正式な書状が届いたのです。
この地を「独立自治領」として認め、国交を結びたいという申し出でした。
かつて私を追放し、見捨てた国が、今さら手のひらを返してすり寄ってきたのです。
「それと、ご報告が」
ベルンハルトさんは声を潜め、一枚の羊皮紙を取り出しました。
王都の最新情報を記した報告書です。
「例の元勇者一行ですが……昨日、正式に判決が下されました」
「……そうですか」
私は静かに促しました。
「ガイウス・ヴァン・ロードベルクおよびマリエル。両名は、ギルドへの虚偽報告、支援金詐欺、および横領の罪により逮捕。爵位と冒険者資格は剥奪され、北方の『死の鉱山』での強制労働刑が確定しました」
死の鉱山。
魔素が濃すぎて魔法が使えず、過酷な肉体労働のみが課される、生きて戻る者はいないとされる場所です。
付与魔法による装備の恩恵を失い、自らの無能さを露呈した彼らにとって、それは死以上の苦しみとなるでしょう。
「また、彼らを推薦していた教会の一部高官も、監督責任を問われて失脚したとのことです。王家はトカゲの尻尾切りに必死のようでして、すべての責任を彼らに押し付けて、リゼット様のご機嫌を伺おうとしているわけです」
因果応報。
彼らが私にしたこと――使い潰し、蔑み、捨てたこと――が、そのまま彼ら自身に返っていっただけのことです。
報告を聞いても、私の心には同情も、暗い喜びも湧きませんでした。
ただ、遠い世界の出来事として「終わったのだな」と腑に落ちただけです。
「ありがとうございます、ベルンハルトさん。王家の使者の方には、式典の後で会うと伝えてください」
「承知いたしました。……彼らも、最強の竜王陛下を敵に回したくはないでしょうから、大人しく待つでしょう」
ベルンハルトさんが一礼して下がると、入れ替わるようにテラス側の窓が開きました。
「おいリゼット。いつまで待たせる気だ」
風と共に現れたのは、イグニス様でした。
今日の彼は、いつもの腰布姿ではありません。
私が仕立てた、黒を基調とした礼服を完璧に着こなしています。
燃えるような赤髪を後ろで束ね、その美貌は直視できないほどの輝きを放っていました。
「申し訳ありません、イグニス様。……その、似合っていますよ」
「当たり前だ。貴様が作った服なのだからな」
イグニス様は尊大に胸を張り、私の手を取りました。
「行くぞ。愚民どもが首を長くして待っている」
「ふふ、愚民ではなく住民ですよ」
私は彼のエスコートを受け、バルコニーの階段を降りました。
* * *
広場に出ると、割れんばかりの歓声が沸き起こりました。
「リゼット様ー!!」
「竜王陛下万歳!!」
色とりどりの紙吹雪が舞い、楽団(吟遊詩人たちが集まりました)が陽気な音楽を奏でます。
集まった人々は皆、清潔な服を着て、血色の良い笑顔を浮かべていました。
かつてボロボロの姿で助けを求めてきた難民たちの面影は、もうどこにもありません。
最前列には、フェンリルが誇らしげに座り、その背中には精霊たちが戯れています。
大工の親方が、農民のおばさんが、子供たちが、私に向かって手を振っています。
私は壇上に立ち、人々を見渡しました。
ここは、禁足地と呼ばれた死の森でした。
誰もが恐れ、見捨てた場所。
そして私も、役立たずと捨てられ、ここへ流れ着きました。
けれど、私たちは出会いました。
傷ついた竜と、技術しか持たない私。
家を失った人々と、家を作れる私。
足りないものを補い合い、壊れたものを直し、大切に磨き上げてきた結果が、この光景です。
「……皆さん」
私が口を開くと、自然と歓声が止み、静寂が広がりました。
緊張していたはずなのに、不思議と言葉が溢れてきました。
「かつて、私は自分が無価値だと思っていました。誰の役にも立てず、誰からも必要とされない人間だと」
イグニス様が隣で、強く私の手を握り締めてくれました。
その熱が、勇気をくれます。
「でも、違いました。ただ、いる場所を間違えていただけだったのです」
私は真っ直ぐに前を見据えました。
「ここは、捨てられた者たちが集まる場所かもしれません。でも今は、どこよりも温かく、頑丈で、美しい『家』です。私はこの場所を、皆さんを、誇りに思います」
一拍の静寂の後。
わぁぁぁぁっ! と、空を揺るがすような大歓声が爆発しました。
涙を流して拍手をする人、帽子を投げる人。
その熱気が、私の胸をいっぱいに満たしました。
「……よく言った」
イグニス様が満足げに頷き、私を引き寄せました。
「我も、退屈な長い時を生きてきたが、これほど面白い景色を見るのは初めてだ。……貴様のおかげだな、リゼット」
「イグニス様……」
「約束しよう。我が命ある限り、この地と貴様を脅かす者は、神だろうと焼き尽くしてやる。だから貴様は、その妙な魔法で、思う存分ここを快適にし続けるがいい」
それは、最強の竜による、永遠の契約の言葉でした。
どんな宝石よりも、どんな甘い言葉よりも、私にとっては価値のある誓い。
「はい。……覚悟してくださいね? まだまだ直したいところ、たくさんあるんですから」
私が悪戯っぽく笑うと、イグニス様も楽しそうに笑みを返しました。
空を見上げると、世界樹の枝葉が風に揺れ、金色の粒子を降らせていました。
王都での辛い日々も、裏切りの痛みも、今では遠い過去の記憶です。
それら全てが、私をここへ導くための道程だったのだと思えるほどに。
私は集まった大好きな家族たちに向けて、満面の笑みで手を振りました。
「ここは私の、本当に大切な居場所です」
その言葉は、風に乗って森の隅々まで、そしてどこまでも広がる青空へと溶けていきました。
捨てられた「役立たず」の付与術師と、傷ついた竜の物語。
それは、この幸せな領主生活の始まりの物語として、いつまでも語り継がれていくことでしょう。
(完)
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
もし楽しんでもらえたなら★★★★★ボタンをぜひ押していただけると嬉しいです!
ブックマークやリアクションなどもとても励みになっています!




