第1話 役立たずの追放
「リゼット、君をパーティから追放する」
王都の冒険者ギルド、その最奥にある特別応接室。
重苦しい沈黙を破ったのは、勇者ガイウス様の冷徹な声でした。
私は、革張りのソファに深々と腰掛けた彼を直立で見つめ返しました。
彼の隣には、聖女マリエル様が寄り添うように座り、勝ち誇ったような笑みを浮かべています。
「……理由は、お伺いしてもよろしいでしょうか」
私は震える喉を抑え、努めて冷静に問いかけました。
私の身分は、しがない貧乏男爵家の娘。
対してガイウス様は、平民出身とはいえ王家から「勇者」の称号と名誉子爵位を賜った、この国の英雄です。
身分差は絶対。彼の言葉は、私にとって法と同義でした。
「理由だと? 自分でわからないのか?」
ガイウス様は不快そうに鼻を鳴らし、卓上のワイングラスを乱暴に煽りました。
「君は地味だ。華がない。攻撃魔法も使えなければ、回復魔法も使えない。持っているのは、せいぜい鍋を直したり服を繕ったりする程度の生活魔法だけ」
「それは……私の『付与魔法』は、戦闘用ではありませんが、皆様の装備を維持するためには必要だと……」
「それが不要だと言っているのですわ」
言葉を遮ったのはマリエル様でした。
彼女は純白の聖法衣の袖で口元を隠し、鈴を転がすような声で笑いました。
「私の回復魔法があれば、傷など一瞬で癒せますもの。装備が壊れたなら、新しいものを買えばよろしいでしょう? 王家からの支援金は潤沢ですのよ。チマチマと修理ばかりする貧乏臭い女など、勇者パーティの品格に関わりますわ」
マリエル様の言葉に、ガイウス様も我が意を得たりと頷きます。
「その通りだ。それに、君がいると士気が下がるんだよ。魔物の一匹も殺せない荷物持ちが、俺たちと同じ報酬を受け取っていること自体が間違いだったんだ」
報酬。
確かにパーティの規定通りの分配を頂いていましたが、そのほとんどは装備の修繕費や、消耗品の補充に消えていました。
私が贅沢をしたことなど一度もありません。
彼らの剣が折れないように、鎧が錆びないように、毎晩徹夜で魔力を注ぎ込んでいた対価が、「貧乏臭い」の一言で切り捨てられるとは。
「それに伴い、君との婚約も破棄させてもらう」
ガイウス様が、決定的な言葉を告げました。
「もともと、君の実家が俺の名声に便乗するために取り付けた婚約だろう? 俺にはマリエルのような、美しく有能な聖女こそが相応しい」
彼はマリエル様の肩を抱き寄せ、これ見よがしにキスを落としました。
マリエル様は頬を染め、とろけるような視線を彼に返します。
目の前で行われる不貞行為。
本来なら、婚約期間中のそれは有責事項となり、慰謝料が発生する案件です。
けれど、相手は勇者と聖女。
王家と教会を後ろ盾に持つ彼らに、下位貴族の私が異を唱えることなど許されません。
「……承知いたしました」
私は深く頭を下げました。
縋り付くことも、泣き叫ぶこともしませんでした。
そんなことをしても、事態が悪化するだけだと理解していたからです。
勇者の不興を買えば、実家の男爵家ごと潰されかねません。
「婚約破棄、およびパーティからの追放、謹んでお受けいたします」
「ふん、物分かりが良くて助かるよ」
ガイウス様は退屈そうに手を振りました。
まるで、羽虫を追い払うような仕草でした。
「それで? 今後の身の振り方は決めているのか? 実家に戻っても、婚約破棄された傷物を引き取る余裕などないだろうが」
「……はい。ご心配には及びません」
実家には戻れません。
貧しい領地は長男が継いでおり、私一人を養う余裕はありません。
何より、「勇者に捨てられた女」という汚名を背負って帰れば、一族にどのような災厄が降りかかるか。
「私は、北へ向かおうと思います」
「北? ……まさか、禁足地か?」
ガイウス様が眉をひそめました。
王都の北に広がる広大な森。
かつての魔王戦争で汚染され、強力な魔物が跋扈するSランク指定危険地帯。
人が住める場所ではありません。
「物好きなことだ。まあ、死に場所を探すには丁度いいかもしれんな」
彼は嘲笑気味に言い捨てました。
死にに行くつもりはありません。
ただ、王都にいれば好奇の目に晒され、実家に迷惑がかかる。
誰もいない場所、誰の目にも触れない場所で、ひっそりと生きていきたい。
それが、今の私に残された唯一の願いでした。
「では、失礼いたします」
私は踵を返しました。
荷物は、足元に置いていたトランク一つだけ。
中に入っているのは、着替えと、愛用していたメンテナンス用の工具セットのみ。
彼らが「ゴミ」と呼んだ、私の仕事道具です。
部屋を出る直前、私はふとガイウス様の腰にある聖剣に目を留めました。
豪奢な装飾が施された鞘。
その柄の付け根に、髪の毛ほどの細い亀裂が入っていました。
(……あ)
昨日の戦闘で、オーガの棍棒を受けた時の衝撃でしょう。
いつもなら、今夜の宿で私が修繕するはずの傷でした。
放置すれば、数回の戦闘で負荷に耐えきれなくなり、砕け散る可能性があります。
「……あの、ガイウス様」
私は立ち止まり、振り返りました。
長年の習性で、つい注意を促そうとしてしまいました。
「なんだ? まだ何か用か? 手切れ金ならやらんぞ」
ガイウス様が鬱陶しそうに私を睨みます。
その目には、私への信頼も、感謝も、一片の情けすらありませんでした。
「……いえ。なんでもありません」
私は言葉を飲み込みました。
もう、私はパーティのメンバーではありません。
装備の管理義務もありません。
私が口を出せば、「呪いをかけた」などと難癖をつけられるのが関の山でしょう。
私は静かに一礼し、部屋を出ました。
背後から、二人の下卑た笑い声が聞こえてきましたが、扉が閉まると同時に遮断されました。
* * *
ギルドを出ると、王都の空は鉛色に曇っていました。
行き交う人々は、勇者パーティの荷物持ちだった私になど目もくれません。
それが今は心地よかった。
私は辻馬車を拾いました。
御者は不審そうな顔をしましたが、なけなしの銀貨を見せると、黙って私を乗せてくれました。
「どちらへ?」
「……北の森の入り口まで、お願いします」
「北の森? 嬢ちゃん、正気か? あそこは化け物の巣窟だぞ」
「構いません。……そこで、待っている人がいますから」
嘘でした。
待っている人など、どこにもいません。
けれど、そうでも言わなければ、自分自身が崩れ落ちてしまいそうでした。
馬車が動き出します。
石畳を叩く蹄の音が、私の心拍数と重なりました。
窓の外を流れる王都の景色。
華やかな大通り、賑わう市場。
勇者パーティの一員として、かつては私もこの街の一部でした。
人々を守るために、裏方として必死に剣を研ぎ、鎧を磨き、ポーションを調合してきました。
その全てが否定された今、私に残ったものは何もありません。
男爵令嬢としての地位も、婚約者としての未来も、職人としての誇りも。
(いいえ……)
私は膝の上で、工具セットの入ったトランクを強く握りしめました。
これだけは、私に残っています。
たとえ彼らが不要だと言っても、私が磨き上げてきた技術は、嘘をつきません。
物が壊れたら、直せばいい。
それが私の生き方です。
私の人生が今、音を立てて崩れ去ったとしても。
また一から、組み立て直せばいいのです。
「……さようなら、ガイウス様。マリエル様」
小さく呟いた言葉は、馬車の軋む音に紛れて消えました。
私はもう二度と、王都の土を踏むことはないでしょう。
馬車は北門を抜け、荒涼とした街道へと進んでいきます。
遠くに見える暗い森の影が、魔物のように口を開けて私を待っていました。
恐怖がないと言えば嘘になります。
けれど、あの冷たい侮蔑の視線に晒され続けるよりは、ずっとマシでした。
こうして私は、たった一人で「追放」という名の旅路に出たのです。
それが、伝説の始まりになるとは知る由もなく。




