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複利の外側  作者: otu
9/12

ep8

考えれば、当たり前だが

教科書で説明されるような「デフレ不況」とは少し違っていた。

経済は成長していなかったが、崩壊もしていなかった。

失業は急増せず、生活必需品は手に入り、治安も保たれていた。


問題は、成長しないことそのものよりも、

成長しなくても壊れない構造が成立してしまったことだった。


超低金利、円の信認、輸入物価の安さ。

それらは赤字や非効率を覆い隠し、

借金は返済ではなく借り換えによって処理された。


このとき日本は、成長の場ではなく、

世界の資金が安全に通過するための「床」になっていたのではないか。


デフレという説明が受け入れられ続けた理由は、

それが特定の誰かにとって都合がよかったから、

というよりも、疑問を投げかけなくて済む構造を作ったからではないか。


低成長を「デフレ」と定義してしまえば、

金利を上げない判断は政策ではなく、

教科書的な必然になる。

日銀総裁であっても、そこから外れることは難しい。


さらに、賃金の停滞もまた、

世代構成によって統計上、強く引き下げられていた可能性がある。

一部で賃金が上昇していても、

それは全体の数字には現れにくかった。


こうして、日本は「デフレが続いている」という説明のもとで、

成長しないが壊れもしない状態を、

習慣として受け入れていったのではないだろうか。

あとがきとして付け加えるなら、

ここ数話を書き進めるうちに、

世の中で語られてきた「デフレ」という言葉が、

自分の中では次第に「低成長」という言葉に置き換わりつつあります。


物価や金利の動きを教科書どおりに整理していくと、

そのほうが自然に思えてきたからです。


もちろん、どちらの言葉が正しいかを断定するつもりはありません。

ただ、同じ現象でも、

どの言葉で捉えるかによって、

見えてくる構造や問いは大きく変わるのだと感じています。

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