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複利の外側  作者: otu
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幕間:怒りがまだ、外に向かっていた時代

かつて、日本には怒りの行き先があった。

それが正しかったかどうかは、いまは問わない。ただ、行き先そのものが存在していた。


三島由紀夫が生き、学生運動が街を埋めていた時代、若者の不全感は、内側に沈殿する前に外へ噴き出した。国家、資本、体制、大学、思想――敵は曖昧でありながら、同時に確かに「外部」にあった。


不条理は「自分の能力不足」ではなく、

「社会が歪んでいるからだ」と語る言葉が、まだ生きていた。


三島は、経済成長の只中で、すでに精神の空洞化を見抜いていた。

豊かになるほど薄くなる意味、守られるほど失われる主体性。

彼の過激さは、時代錯誤ではなく、行き場を失った若さを、再び行動へ接続しようとする最後の試みだったのかもしれない。


学生運動もまた、混乱と暴力を孕みながら、若者の怒りを「共有可能な言語」に変換していた。未熟で、危険で、破壊的だったが、少なくともそこには、「これは社会の問題だ」と言い切る声があった。


静かすぎる現在


それに比べて、いまの社会はあまりにも静かだ。

怒りがないのではない。怒りが、行き先を失っている。


雇用が壊れ、賃金が上がらず、人生の選択肢が削られても、

それは「構造」ではなく「自己責任」として処理される。


問いは立てられない。

敵も設定されない。

ただ、個人だけが、黙って評価され、黙って脱落していく。


この静けさは、優しさではない。

衝突を回避した結果でもない。


問いを失った結果だ。


怒らないことが、成熟だったのか


自己責任で終わらせる社会は、

静かに、しかし確実に衰退する。


怒らない社会は、

理性的なのではない。


問いを放棄した社会だ。


かつての日本は、未熟で、危険で、騒がしかった。

しかし、国家も社会も、若者の存在を無視することはできなかった。


いまは違う。

反乱は起きない。

決起もない。

その代わりに、未来が減っていく。


それでも、問いは消えていない


問いを失ったように見える社会でも、

問いそのものが完全に消えることはない。


それは、違和感として残り、

言葉にならない不安として滞留し、

やがて、こうして文章の形をとる。


問いを取り戻そうとする行為そのものが、

この静かな退化に対する、ささやかだが確かな抵抗なのだ。

あとがき――生きていられる国で、壊れていくもの


日本は、氷河期であっても「生きてはいられる国」だった。

治安は保たれ、食べ物はあり、最低限の仕事も見つかる。

この事実は否定できないし、他国と比べれば、確かに救いでもあった。


だが、その「生きていられる」という状態は、

本当に何も犠牲にしていなかったのだろうか。


近年、若者の自殺者数の増加が繰り返し報告されている。

それは突発的な暴力や社会崩壊の結果ではない。

むしろ、大きな混乱が起きなかった社会で、

静かに、個別に、起きている。


仕事がないわけではない。

飢えているわけでもない。

それでも、精神が摩耗し、未来を描けなくなり、

「ここから先が見えない」という感覚だけが積み重なっていく。


氷河期の当時、死者が抑えられていたのは事実かもしれない。

しかしそれは、問題が解決されたことを意味しない。

ただ、先送りされただけではなかったか。


社会が即時の破裂を避けるために、

時間という資源を使って圧力を分散させた結果、

負荷は個人の内側へと沈み込んでいった。


それは暴動ではなく、

革命でもなく、

統計にすら現れにくい形で進行する。


空中分解――

誰も倒れないまま、

誰も責任を取らないまま、

意味や希望だけが、少しずつ剥落していく。


もしそうだとするなら、

一時的に「死者が少なかった社会」は、

本当に何も犠牲にしていなかったと言えるのだろうか。


生き延びることと、生きていることは違う。

壊れずにいることと、保たれていることも違う。


自己責任という言葉で問いを閉じ、

怒りを内側に押し込み、

変化を避け続けた社会が支払う代償は、

数字に表れるよりも、ずっと深いところに刻まれる。


この国は、確かに多くの人を生かした。

しかし同時に、

どれだけの精神を、静かに削ってきたのか。


それを問うこと自体が、

遅すぎるのかもしれない。

それでもなお、問いを立てるしかない。


なぜなら、問いを失った社会は、

生き延びながら、衰退していくからだ。


それさえも、すべて自己責任として片づけるのだとしたら、

私たちは、我慢し続ける人が静かに消えていく世界を、

ただ見ないふりをしているだけなのかもしれない。

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