ep11 低迷経済で失ったもの
デフレスパイラルという甘い言葉で日本が失ったものは、時間、最も残酷な資源である。
長期低迷という名目のもとで、一部の人の賃金は上がらず、生活は安定しているようで、個人の挑戦や成長の余地は奪われていく。社会全体も、新しい産業やイノベーションに使える時間を浪費してしまった。しかし、この消耗の影響は経済だけに留まらない。
少子化の問題もここに関わる。将来に対する不安や生活の制約が常態化すると、結婚や子どもを持つことに踏み切れない人が増える。時間がゆっくりと、しかし確実に流れるなかで、個人の選択も社会の構造も、人口動態の変化に拍車をかけてしまう。低成長・低賃金が「安定」という機能を果たす一方で、時間の残酷さと少子化の進行は、その裏に潜む負の側面として現れているのだ。
こうした状況は、本当にすべての人に均等に訪れていたのだろうか。一部の人々に集中していたのではないか。彼らは、まるで現状を見られないように目隠しをされているかのようだ。「デフレだから仕方がない」と思考を納得させる習慣が、社会の中で静かに根付いている。
しかし、デフレや低成長を固定化してしまう要因は必ずしも個人の心理だけではない。低成長・低賃金の層が多ければ多いほど、社会全体はその方向に引っ張られるのだ。実際、日本は本来、インフレを達成できた可能性さえあったのかもしれない。
社会を押し下げる層の存在が、無意識のうちに**「日々の暮らしに大きな波乱が起きない状態」と「経済全体の活力が抑えられた状態」**を選ばせてしまった。
「日々の暮らしに大きな波乱が起きない状態」とは、朝の電車はいつも定時に来る、給料はほとんど変わらず、物価も微動だにしない――そんな生活のことを指す。人々は安心感を得る一方で、挑戦や変化の余地は少ない。
「経済全体の活力が抑えられた状態」とは、新しい産業やイノベーションの登場が緩やかで、賃金や生活水準の上昇も少ない状況を指す。社会は大きく崩れることはないが、成長の余地もまた小さく抑えられている。成長する機会が全くない状態も、それに含まれる。
そして、それを可能にしてしまったのは、低賃金の派遣法や制度の仕組みだったのかもしれない。制度が、労働者の賃金や生活の柔軟性を制限し、社会全体の変化の余地を縮めていたのである。
だが希望の芽も見える。コストプッシュ型のインフレかもしれないが、賃金が上がることで、わずかでも上昇の連鎖が生まれる可能性がある。外国人労働者の報酬や最低賃金の引き上げも、制度や国際的な競争圧力によって現実味を帯びてきた。低賃金固定化のジレンマは、ゆるやかにではあるが揺さぶられつつあるのだ。
時間の残酷さに抗い、社会の停滞を打破するには、個人・制度・国際環境の三つの視点から変化の芽を育てる必要がある。小さな賃金上昇や制度の改変も、長期的には社会全体に波及する可能性を秘めている。低成長・低賃金の影の中で、変化の余地はまだ存在するのだ。




