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懺悔室

肺炎

作者: 高橋 心
掲載日:2025/11/11




「親友だった八木くんは、僕がうつした肺炎で死にました。」

僕が殺したようなものです、と男が付け加えた一言は司祭には安心して事実を述べているように聞こえた。

男にはこの夕方の仄暗い懺悔室が診察室のように見えているのだろうか。それほどに彼の声音は罪や悩みを告白する場には不釣り合いだった。

「その罪悪感が貴方を苦しめているのですか?」

司祭の言葉は間違いを確かめるために投げられている。

「そうですが、そうではないのです。」

未だ輪郭がぼやけたままの男は懺悔を続けるのだった。男が抱えているものから彼を放つために司祭にできるのは話を聴くことだけである。






 小学校三年生が終わる直前のことでした。僕は当時流行していたウイルス性の肺炎に罹り、自宅で療養していました。ひどい高熱と肺の痛みで、呪われているんじゃないかと思ったほどです。なかなか学校に顔を見せない僕を心配した八木くんは溜まった授業の資料を届けるついでにお見舞いに来てくれたのでした。

 彼とは同じ病院に一週間違いで生まれた縁からずっと仲が良く、両親の次に多くの時間を共有した相手で、お互いのためならなんでもできる親友でした。多分うつしたのはそのときです。僕自身はお見舞いのおかげか、みるみるうちに元気を取り戻し、その日から数日ほどで元通りかそれ以上に元気になっていたと母も話していました。実際、八木くんが同じ肺炎にかかったと聞いたのも彼を外遊びに誘うため伺ったときだと思います。それからすぐに八木くんは亡くなりました。胸の痛みを訴えながら亡くなったそうです。

 扉の向こうから漏れる、僕の母が八木くんの母に必死に謝る声を聞きながら、初めて罪悪感というものを味わいました。今度は病原菌とは違う何か嫌なものが胸に広がっていったのを覚えています。

 ただ、僕の胸に居座るそれは罪悪感だけではありませんでした。恐れです。八木くんを殺した病と同じものに罹っていたことに気づくと、死んだのは僕だったかもしれないという恐れが僕を埋め尽くし、そのうち彼への罪悪感すら食いつぶしました。消えるとはどういうことなのか考えずにはいられなかったんです。

 それでも、生まれて初めての死への恐怖は確かに僕の中に存在したまま、時折顔を出しながらも折り合いをつけながらも生活していました。

 それからしばらく後のことです。大学生になった僕は家を離れ、一人暮らしを始めることになりましたが、良い意味で落ち着かない新生活もつかの間、僕は季節外れのインフルエンザに罹ってしまいました。独りの環境で病気になるのは想像よりも心身ともに辛かったです。

 そしてすぐ、心配した母がやってきました。かなり遠方だったのにも関わらず来てくれた母には感謝してもしきれません。手をつけることができていなかった身の回りの家事をすべて片すと、手料理を作り、また、作り置きすらしてくれました。一日もない滞在でしたが救われました。母の料理のおかげで僕の病状はあっという間に良くなり体は以前よりも軽い気がするほどの好調でした。そして冷蔵庫にある作り置きのおかずを食べきる前に、母の訃報を聞きました。インフルエンザが重症化したそうです。そのとき長い間忘れていたあの気持ちが顔を覗かせました。罪悪感と恐れです。八木くんが亡くなったときと同じように大切な人がいなくなりました。いえ、同じではありません。以前あった罪悪感は消え、死の恐れをより強く感じました。母が死んだように僕も死ぬところだったのかと思いました。いえ、それも違います。僕が思ったのは、死んだのが僕じゃなくて本当に良かった、でした。そして、八木くんと母が死んだそのおかげで僕は生きていられるような気がしたんです。本当に感謝してもしきれません。


 それからは僕は、熱っぽければ父に会い、咳が続けば中学校から続く友人に会い、大切な人にそれを押し付けようと必死になるようになりました。時には愛犬にも病をうつそうとしたこともあります。意味の無い行いにも思うかもしれませんが、不思議なことにそのどれもが重症化や合併症を引き起こし大切な人たちを奪い、逆に僕は健康な体に戻ることができました。

 そんなことを繰り返していると大人になる頃には僕はほとんど独りでした。しかし、孤独ではありません。妻ができたのです。身寄りのない僕を案じ、大切にしてくれる彼女が僕を独りにさせませんでした。それは初めての心が通じる体験で、僕もそんな彼女を愛していました。

 そんなときです、職場で新型のウイルスによる肺炎が爆発的に広がり、僕もその病人の一人になりました。神父様も覚えているでしょう、社会の形を変えるほど蔓延したあの感染症です。連日、報道の中で増えていく感染数と死亡数は僕を簡単に死の恐怖で覆いました。妻にはうつしたくなかったので自室で抗生物質と解熱剤をたくさん飲みました。 


 熱に魘されながら見た夢は八木くんの通夜でした。そこで冷たい喪服を着た僕はずっと俯いたまま椅子に座り経を聞くんです。僕はきっとその風景を見るのが怖かったんです。でも見ないのも怖かった。視線を上げると八木くんではなく僕の遺影と目が合いました。

飛び起きた僕は、別室で寝ている妻に病をうつしました。あとはいつも通りです。妻は消えました。しかし、いつもと違うのは押し付けたそれの対価は妻だけではなかったことです。妻は、妊娠していたそうです。僕は怖いです。それでも死ぬのが怖いです。胸の中のそれは前よりもはっきりしています。






「長くなりましたが以上が僕の告白です。信じられないですよね。それでも最後まで聞いていただいてありがとうございました。」

司祭には俄かには信じられない話だが、男の語りにはどこか必死さすら感じていた。

ただ、男が欲する言葉を懸命に探したが、有体な事しか言えなかった。

「では…あなたは恐怖の感情から楽になりたいということですか?」

「はい、ですがもう大丈夫です。少し楽になりました。」

辺りはすっかり陽が落ちている。司祭はようやく気が付いた。

「大丈夫、ですか?」

「その通りです。この話は誰かにするのが初めてで、ようやく抱えるのが楽になりました。感謝してもしきれません。僕にとって神父様は恩人で大切な人です。」


男は続ける。


「実は僕、いま熱っぽいんです。」

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