第10話<きっかけ>
祭りのお囃子。周りには浴衣を着た人々。そんな人たちを見て、私も着れば良かったかなと思ったが後の祭りだ。
日が落ちても、外はまだ蒸し暑い。駅で貰った団扇を扇いでいたら、向こうから新城君が走ってくるのが見えた。
「お待たせ!」
「そんなに待ってないよ」
ずっと走ってきたのか、新城君の額に汗が光っている。彼が呼吸を整えている間、私は団扇で風を送った。
「ありがとう。もう大丈夫だから」
微笑む新城君にぎこちなく笑い返して、私たちは神社へと向かった。
今更ながら緊張してきた。考えてみれば男の人と出かけるなんて初めてだ。――カミサマを除けば。
今も周りを見渡してみるけど、カミサマの姿はない。そのことになぜか心の奥が痛んだ。
そんな感情から目を逸らすように、私は歩き出した新城君を追いかける。カミサマなんて気にする必要ないんだから。あんな奴、近寄らなくなって良かった。
そう、思うのに――。
「――櫻井?」
心配そうな新城君の声に驚いて顔を上げれば、眉を寄せた新城君と目が合った。私は慌てて「なんでもないよ」と首を横に振る。
新城君は不思議そうな顔をしたけど、私は先に立って歩き出した。自分の中に渦巻く訳の分からない感情から目を逸らすように。
分からない。カミサマが居なくなったことに、どうして自分がこんなに混乱しているのか。どうしてこんなに動揺しているのかも。
「櫻井、平気?」
新城君は先に歩く私の腕を取って引きとめた。うつむく私の顔を覗き込んで、驚いた顔をする。
泣きそうな顔をしていたのかもしれない。そんな顔を見られたくなくて顔を背けて――私は固まった。
「え……?」
目の前に広がるのは宵宮がある神社。赤の鳥居が燈籠に照らされ、妖しく光っている。
奥にある本宮は入口であるここからは見えない。黒々とした木々が、風に揺れるのが見えるだけだ。
だけど、なぜだろう。奇妙な既視感を覚えた。
新城君に促されるまま、私は神社の鳥居をくぐる。中は夜店と浴衣を来た人々が歩いていた。
「何か食べる? かき氷買ってこようか?」
「うん……」
待ってて、と言う新城君に頷いて私は周りを見回す。神社の規模はそれなりに大きいらしく、広い参道の両隣に夜店が広がっている。奥にはかすかに拝殿が見えた。本殿はない。なぜなら神社の奥に茂る大木こそが御神体だからだ。
「なんで……」
なんで私はそんなことを知っているのだろう。ここに来たのは初めてのはずなのに。
ぼんやりと目の前に参道を見る。白い石畳。古い神社だからか、風雨にさらされたそれはデコボコで、サンダルなどで歩くと足を取られそうだ。
そんなことを思いながら目の前を眺めていたら、走っていた女の子が思いっきり転んだ。
「……あっ!」
思わず私は駆け出そうとする。だけどその女の子が立ち上がって、泣くのを我慢しているのを見て、足を止めた。
両足からは血が出ている。擦り剥いたのだろう。でも女の子は必死に泣くのを我慢していて、その姿が私の記憶の「何か」を刺激した。
脳裏に幼いころの私が蘇る。同じように神社の参道を走り、足を取られて転んだ私。両足を擦り剥いて、痛くて涙が出た。
あれは。あの時の出来事は。
『走るでない、といつも言っているであろうに』
『だってぇ……』
『慌てないでも私はここから居なくならない』
誰かがそう言って、困った風に笑いながら私を抱きしめた。彼の温もりを感じたくて、首に抱きついた。彼が優しく抱きしめてくれることを知っていたから。
私は参道を本宮の方に向かって走る。私はここを知っている。――来たことがある。
突然、鮮やかに蘇った記憶を頼りに階段を駆け上がり、拝殿の奥を目指す。そこは木々の生い茂る森だったが、私は迷わずそこに入った。
人が一人、やっと通れるくらいの道を分け入り、目的地を目指す。やがて太い注連縄を回された大樹が姿を現した。
青々とした葉を繁らせるご神木。私はそれに手のひらを当てる。確かな生命の鼓動を感じた。
この命を知っている。優しく包み込むような、この優しい響きを。
「見つけた……」
幼いころの自分の思い出が全て戻ってくる。それとともに、忘れないと誓ったあの人の大切な欠片も。
「……『コハク』」
一陣の風が、私を包むように吹いた。