雨の日の客
2025.8.13投稿
「なぁ、お前も見ただろ、あの雨女。」
「アレだろ、最後列にいて黒髪のずぶ濡れの女。見た見た。」
「最近、よく聞くよな。」
楽屋で対バンのバンドマン達がメイクを落としながら話している。
ここ数ヶ月、雨の日にライブをすると女の幽霊が出る。V系バンドマン間では有名な噂だった。黒髪長髪で黒いライダースを着た女の幽霊で、生気のない青白い顔をしてずぶ濡れで最後列にいるという。
俺自身は見たことはないが、その姿に心当たりがあった。
元カノの菜々だ。俺がバンドに集中したかった大事な時期に、あなたのことはもう信じられないと出ていったヤツだ。音信不通になってもう3年になる。出ていった時も雨で、その時の格好と一致していた。
それが今更、幽霊になって出てきてるというのだ。もし、アイツが死んでいたとかなら流石にニュースになるはずだが、そんなものはここ数年見た覚えがない。
確かに成功するために、女遊びのような営業をたくさんしてきたが、それはあくまで俺自身とそしてアイツのためだった。そのおかげで大きく売れたわけではないが、こうして今もバンドを続けられている。
なぜ今更、幽霊になってきたのか。そしてなぜ今更、俺には見えないのか。俺に恨みを抱くなら直接俺のところに出れば良い。
ライブハウスから出ると雨はまだ降り続いていた。予報では明日も雨だそうだ。
傘を差し、一歩踏み出そうとすると、急に腹にぶつかるような衝撃があり、痛みが広がった。そのまま、俺は倒れ込んだ。
べしゃ。
倒れた拍子に水溜りが跳ねた。それと同時に目の前に誰かの足が見えた。
顔を上げるとそこには女が立っていた。髪の色も服装もあの噂と全く違うが、菜々に違いなかった。
痛みのもとを探ると、包丁のような刃物が腹に刺さっていた。
「やっぱりあなたがゆるせない。」
女は喋り始めた。
「私を忘れて、まだのうのうとバンドマンを続けているのが。私を捨てて、まだ他の女どもと楽しく生き続けているのが。」
女は見下すようにこちらを睨み、続けた。
「幽霊の噂聞いているよね。あれは私が流したの。他のバンドマン達や客達にね。あんな格好のバンギャ、ライブに一人くらいはいるでしょ。それでみんな勝手に幻覚を見てるってわけ。噂を聞いてバンドを辞めたりしたら、ここまでするつもりはなかった。けど、あなたは辞めなかった。だからこうすることにしたの。これでもう恨みも何もないわ。さよなら、リョウ。」
そう言って女は走り去っていった。
「これで良いのか。」
「ああ、助かったよ。これで菜々の中で俺は死んだ。」
ドアを開きながら顔のあちこちにガーゼをした男が答える。俺は包丁を腹から抜き去り、腹に仕込んでいたジャンプを放り投げた。
「俺と同じ顔に整形メイクをしろって言った時には何を考えてるのかと思った。これでバンドを続けられるんだな。」
「ああ、あとは俺の整形が完成するだけだ。俺は別人としてまたこのバンドに加入する。もう障害はない。楽屋であの噂を聞いてピンときたんだ。」
今までリョウと名乗っていた男はそう言って、痛々しい顔で満面の笑みを浮かべていた。
この街の男女は騙し合って生きているのだ。