第32話 ダイブと治癒魔法
ティガにもらったリンゴをシャクシャクと食べていると、なにか、奇妙な気配を感じた。
顔を上げると、テーブルの上でイチゴをつついていたアルがどこかを見ている。
一緒のテーブルについているお母さんとお父さんは周囲からの視線を浴びて身体を固くしながらブドウを食べていて、特に異変を感じた様子はない。
『ルルアーナ、こっちにあいつが向かって来るわよ。気をつけて』
ライラに言われて、口の中のリンゴを飲み込んだ。
わたしはアルが見ている方向を向き、意識を集中した。………捕まえた!捕まえたけど、この気配の動きはなに?人間の動きじゃない。
「来るぞ」
ティガの言葉と共に視界の端に捉えたなにかが、建物と人を避けながらこちらへ駆けて来る。
「構えろー!」
誰かが叫び、わたしたちを監視していた男たちが一糸乱れぬ動きで一塊になった。最前列の男たちが腰を落として両手を前に出して構え、その後ろに並んだ男たちも腰を低くして前にいる男の背中に手を当てて支えている。
その男たちの準備ができたところに、茶色い塊が突っ込んだ。
「「「「「 うおおおおおおおっ!」」」」」
男たちは、力を合わせて飛び込んで来た者の勢いを受け止めた。よくわからないけれど、かっこいい。
お母さんとお父さんは立ち上がり、わたしを庇うように前に出た。
と、そのとき、さっきジュードを連れて行った男が一塊になった男たちの中から立ち上がった。立ち上がった瞬間、頭の上に獣耳が見えた。すぐに消えてしまったけれど、茶色いイヌ科の耳だったよ。
犬耳男はずんずんこちらへ歩いてくると、椅子に座ったままのティガを見下ろした。さっきはなんともなかった作業服の、ところどころが破れている。
「ついて来い。あんたにやってもらいたいことがある」
ずいぶん偉そうだね?それに、余裕がなさそうに見えるよ。
「ルルアーナ、どうする?」
行く!ジュードになにかあったのかもしれないもの。
「わかった。行こう」
そう言ってティガが立ち上がると、アルは定位置とも言うべきティガの肩に止まった。ティガは左腕にわたしを座らせていて、右手をサッと動かすとテーブルと椅子が形を崩して水となって地面に落ちた。ついでに、テーブルに乗っていた果物も落ちた。もったい。
「そこのお前。案内は不要だ」
「なんだと。案内なしでどうやって行く」
ティガの言葉に、犬耳男の顔の血管が浮き上がる。
「こうする」
そう言うと、ティガはわたしごと姿を隠した。もちろん、肩に止まっているアルも姿が見えなくなっている。
犬耳男は鼻をヒクヒクさせて、眉間のシワを深くした。犬だから、匂いでわたしたちの居場所がわかるのかもしれない。
『ルルアーナ、ティガにしっかり掴まってなさい。飛ぶわよ!』
え?
わたしがアルの言葉に反応するより早く、ティガがわたしを抱き締めた。
顔を上げたわたしの目に飛び込んで来たのは、人間と同じくらいの大きさになったアル。アルは両足でティガの肩をがっしりと掴み、大きな翼をバサリと広げた。その翼が起こした風でお母さんがふらつき、お父さんがお母さんを支えた。
そして、アルは一気に空へ飛び上がった。息を詰めている一瞬の間に、町の上空へと飛び上がっていた。
上空から見ると、ここら一帯は迷路のように入り組んでいた。たぶん、自然にこうなったんじゃない。意図的にやったんだと思う。
でも、なぜ?
「ルルアーナ、降りるよ」
え?いや、これ、違うよ?落ちるって言うんだよ?!
上空から目標地点を定めたティガは、そこを目がけて自由落下を始めた。風で服がバタバタと鳴る。風を切る音が聞こえる。そして、ティガが被っていたフードが風に吹き飛ばされてティガの綺麗な顔が露わになった。愉快そうに笑っている。
ティガが楽しそうなので、わたしも楽しい気分になってきた。
そして地面が近づいたとき、アルが羽ばたいて落ちる勢いを殺し、ティガが風を操ってふわりと地面に降り立った。衝撃は、まったくなかった。
ティガもアルもすごいよ。なんて繊細な魔法操作なの?
わたしが感動していると、ティガは建物の前で警戒中の男たちの前に姿を現した。
突然、姿を現したわたしたちを見て、ビクリッと身体を震わせる男たち。
う〜ん。わたしも、少しわかってきたかも。この人たちは獣人だよね?
『そのとおりよ、ルルアーナ』
普通の人間とは気配が違うね。
と思いつつ上を見上げると、アルの大きさはいつもの小鳥サイズになっていて、ティガがフードを被るところだった。
んん?ティガの素顔を見たらしい男たちが、頬をほんのり赤く染めている。ティガの美貌は、男をも魅了するんだね!
「………お前たち、そこを退け。ここにジュードがいることはわかっている」
いつものように魅力的な声だけど、いつもより低く、圧を感じる声音だった。
「はい!」
慌てて建物の入り口から退く男たち。
そしてティガは、扉の両脇に退いた男たちには視線を向けることなく中へ足を踏み入れた。
中に入るとすぐ受付があって、血と、薬と、腐ったものの臭いが入り混じった独特な臭いがした。
受付にいた女性は、突然、入って来た不審者を見て立ち上がったものの、なにも言うことなく、奥へ続く廊下を進むわたしたちを見送った。
ティガは迷いなく廊下を進み、ひとつの部屋に入った。そこには四つのベッドが並んでいて、ベッドの上には包帯が巻かれてうめき声を上げる人間が横たわっている。ヒューヒューという呼吸音も聞こえる。息をするのも苦しそうだ。
「ティガ様!来てくれてありがとうございます!」
奥のベッドの人物に寄り添っていたジュードが、顔を涙で濡らしながらティガを見た。
ティガはジュードに近寄り、ベッドに横たわっている人物を見下ろした。
「ふむ。魔法による火傷か。重い物に押し潰されたのか、骨も内臓も、損傷が激しいな。………よく生きている」
「お願いです。父さんを助けてください。俺にできることなら、なんでもします!」
ジュードの声に、胸が苦しくなる。
ティガ、この人を助けてあげられる?
「あぁ。まだ間に合う」
「よかった。ティガ様、父さんを助けてください」
本当?!ティガ、わたしからもお願い。この人を助けてあげて。
「いいだろう。ルルアーナ、私に触れるのだ。治癒魔法の使い方を教えてやろう」
言われた意味がわからないまま、わたしはティガの左腕にしがみついた。
ティガがベッドの人物の胸に右手を置くと、そこが光り始めた。光が彼の全身を覆うまで、それほど時間はかからなかった。
ティガに触れた部分を通して、ティガの魔力が動くのを感じる。まるで、ティガの魔力回路に繋がったみたい。
「損傷した個所の修復には痛みが伴う。こやつが痛みで死なぬよう、麻酔が必要だな。傷口から入り込んだ病魔も対処せねば、怪我を治したところで脳を熱が焼き、内臓がやられるぞ。それから、これは基本だが、骨も内臓も正しい位置に戻さねば身体が歪む。治療をしたとは言えんぞ」
………すごい。ティガが複数の治療を同時進行で行っている。ティガの魔力回路を通じて、彼が針の穴に糸を通すような繊細な作業をしているのがわかる。感じる。
きっと、ティガなら一瞬で治してしまえるんだと思う。わたしに経験させるために、わざとゆっくりやっているんだよね?こんな高度な魔法、一度で覚えられるとは思えないけど、ひとつでも多くのことを覚えたい。




