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第3章:古の囁き、黒き力の兆し

 キオとの旅が始まって、どれくらい経っただろう。

  季節なんてないみたいだし、太陽が昇って沈む周期も、なんだか一定じゃない気がする。

  時間の感覚は、どんどん曖昧になっていった。

  でも、キオと過ごす日々の中で、あたしは少しずつ、この壊れた世界で息をする術を身につけていった。

  キオは、相変わらず口数は少なかったけれど、あたしが生きていくために必要なことを、根気強く、そして実践的に教えてくれた。

  どの植物の根っこを掘れば濁った水が出てくるか、どんな色のキノコが猛毒で、どんな虫の幼虫が貴重なたんぱく源になるか。

  夜空に見える、奇妙な形の星座の動きで、大まかな方角を知る方法。

  風の匂いや雲の流れで、危険な砂嵐が来るのを予測するコツ。

  そして、獣や輩に襲われた時に、致命傷を避けるための、受け身や回避の動き。

  彼の教えは、まるで生き物みたいに、その場の状況に合わせて変わっていった。

  あたしは、彼の動きを目で追い、体で覚え、何度も泥にまみれながら、少しずつ自分のものにしていった。

  言葉も、少しずつだけど、通じる単語が増えてきた。

「ミズ」「タベロ」「アブナイ」に加えて、「コッチ」「マテ」「イク」「ヤメ」。

  短い言葉と、身振り手振り。

  それだけでも、意思の疎通ができるというのは、一人で彷徨ほとばしっていた頃には考えられなかった、大きな変化だった。

  キオが時々見せる、ぶっきらぼうな仕草の裏にある、不器用な優しさに触れるたびに、あたしの心の中に、ずっと分厚く張り詰めていた氷が、少しずつ、本当に少しずつだけど、溶けていくような気がした。

  あたしたちは、崩壊した都市の残骸をいくつも通り過ぎた。

  天を突くように建っていたであろう、ガラスと金属でできた建造物は、無残にへし折れ、捻じ曲がり、まるで巨大な獣の骸のようだ。

  アスファルトだったはずの道は、地割れを起こし、そこから、見たこともないような、青白く光る苔や、金属質のつるを持つ植物が、お互いを食い合うように生い茂っている。

  建物の壁には、風化してかすれた奇妙な模様や、曲線的な、あたしには全く読めない文字が、まるで過去からのメッセージみたいに残っていた。

  かつては、たくさんの人々が、ここでどんな生活を送っていたんだろう。

  どんな夢を見て、どんな歌を歌っていたんだろう。

  そんなことを想像すると、胸がきゅっと締め付けられるような、切ない気持ちになった。

  キオは、相変わらずそうした遺跡には、あまり興味を示さなかった。

  彼にとっては、感傷に浸ることよりも、今、この瞬間を生き延びるための現実の方が、ずっと重要だったのだろう。

  彼のそんなドライなところが、少しうらやましくもあった。

  ある日のこと。

  何日もまともな食料にありつけず、雨風にうらやされ続けたあたしたちは、ひどく疲れ果てて、崖の下に小さな洞窟を見つけて、そこで夜を明かすことにした。

  湿った洞窟の中で、キオが苦労して小さな焚き火を起こしてくれた。

  パチパチと燃える、頼りない炎。その揺らめく光を見つめていると、ふと、また自分の過去について考えてしまった。

  研究施設の崩壊事故…。

  あたしの頭の中に、断片的に蘇る光景。

  閃光、轟音、砕けるガラス、そして、誰かの悲鳴…。

  あれは、本当にあたしの記憶なのだろうか? あたしは、事故に遭う前、どんな人間だったんだろう。

  誰か、あたしを大切に思ってくれる人は、いたんだろうか。家族は? 友達は?

  思い出そうとすると、決まって頭の中に濃い霧がかかってきて、左目の奥が、ズキン、と鈍く痛む。

  まるで、あたしの記憶に、鍵がかけられているみたいだ。開けてはいけない、パンドラの箱みたいに。

  この左目の下にある、痣のような黒い模様も、その鍵の一部なのかもしれない。触れても、何も感じないけれど。

  その夜、また夢を見た。

  前よりも、もっと鮮明で、もっと恐ろしい夢だった。

  白い壁が続く、長い廊下。無機質な電子音。

  そして、いくつもの部屋に並ぶ、緑色の怪しい液体で満たされた、ガラスの筒。

  その中には、たくさんの人々が、まるで深い眠りについているかのように、浮かんでいた。

  皆、何も身につけておらず、体にはたくさんの管が繋がれている。

  あたしは、なぜかその光景を知っている気がした。そして、その中の一つに、あたしは彼女を見た。

  あたしと、全く同じ顔をした少女。ただ、その瞳は虚ろで、光がなく、まるで人形のようだ。

  そして、彼女の左目にも、あたしと同じ紋様が、淡く光っている…。

  その瞬間、壁が爆発した!

  激しい閃光と轟音。警報が鳴り響き、ガラスが砕け散る音がする。誰かの悲鳴。

  そして、強い力にあたしの体が引っ張られる感覚と、左目が、内側から焼けるような、耐え難い痛み…!


「…はっ! はあっ、はあっ…!」


  息を切らして飛び起きると、心臓が、胸を突き破りそうなほど激しく脈打っていた。

  全身に、びっしょりと冷や汗をかいている。

  今の夢は…? あまりにもリアルで、生々しかった。

  あれは、ただの夢じゃない。あたしの、失われた記憶の断片なんだ。

  研究施設。カプセル。そして、もう一人のあたし…。


  キオが、あたしの隣で身を起こし、心配そうにこちらを見ていた。


「…ユメ… マタ…?」


 キオは、片言の言葉と、寝ているあたしの様子を再現する身振りで、語りかけてきた。


「…ワルイ…ユメ…?」


 あたしは、震える声で、夢の内容を、身振り手振りをしながら、途切れ途切れに話した。

 キオの表情は、険しい。 彼の様子から、何か良くないことが起きている、と、直感的に理解した。


「…お前は、一体…」


  キオが、低い声で呟いた。

  あたしは、力なく首を振るしかなかった。

  あたしにだって、わからない。あたしは、一体、何者なんだろう。

  旅を続けるうちに、あたしたちは他の生存者たちと出会うこともあった。

  誰もが、この過酷な世界で生きるために、必死だった。誰も信用せず、自分の身は自分で守る。

  それが、この世界の掟のようだった。

  物々交換をするだけの、乾いた関係。危険な場所や、貴重な水場の情報を、互いに探り合うような、緊張したやり取り。

  中には、あたしの左目の、時折放つ赤い光に気づき、気味悪そうな顔をして距離を取る者もいれば、逆に、その力に興味を持ち、しつこく探りを入れてくる者もいた。

  そんな時、キオはいつも、黙ってあたしの前に立ち、あたしを守る壁になってくれた。

  彼の無言の守りが、どれだけあたしの心を支えてくれたか、彼自身は気づいていないだろう。

  そして、そんな旅の途中、あたしたちは、一人の風変わりな年老いた女性と出会った。

  人里離れた崖の中腹にある、小さな洞窟。そこが彼女の住処だった。

  洞窟の中は、埃っぽいけれど、たくさんの書物や、ガラクタにしか見えないけれど何か意味がありそうな奇妙な道具で埋め尽くされていた。

  キオの話では、彼女はこの辺りでは「物知り婆さん」とか「狂った魔女」とか、好き勝手に呼ばれているらしい。

  でも、古い時代の知識、特に崩壊前の文明や、この世界の成り立ちについて、誰よりも詳しいのだという。

  彼女は、あたしたちを警戒するどころか、まるで昔からの知り合いみたいに、皺くちゃの顔に人懐っこい笑顔を浮かべて迎え入れてくれた。


「おお、来たか、キオ。久しぶりじゃのう。…そして、そちらの**小娘**は…?」


  彼女の視線が、あたしの左目に注がれた。その瞬間、彼女の笑顔が消え、驚きと、そして何か懐かしむような、複雑な表情に変わった。


「…おおっ… その瞳… その紋様… 生きておったか…『瞳』を持つ者が…」


「ワシにも、その力の片鱗が感じられる。それは、星々を動かし、世界を作り変えることもできる力じゃが、同時に、全てを焼き尽くす破滅の力でもある…のじゃ」


「その力は、お前さん自身の魂と、そして、はるか昔にこの地に落ちた、星の魂… 古の魂とが、分かちがたく結びついたものじゃろう」


「お前さんは、その力を受け継ぐ宿命を背負ってしまった。それが何を意味するのか、これから、その身をもって知ることになるじゃろう」


「力を恐れるな。じゃが、驕るな」


「力は、使う者の心次第で、薬にも毒にもなる。お前さんが、その力を何のために使うのか… それが、お前さんの未来を、そして、この世界の未来をも決めるじゃろう」


  彼女は、あたしの左目の紋様(普段はほとんど見えないはずなのに、彼女にははっきりと見えたのだろう)と、その下の痣のような模様を、食い入るように見つめた。

  そして、何か古の、忘れ去られた物語を、ゆっくりと語り始めた。

  彼女の話す言葉は、独特のなまりがあって、あたしには半分も理解できなかったけれど、「魂」「異界」「禁断の力」「瞳を持つ者の宿命」「繰り返される悲劇」といった言葉が、強く耳に残った。

  彼女の話を聞いている間、あたしの左目が、ズキズキと疼き、彼女の言葉に共鳴しているかのような、不思議な感覚があった。

  この人は、本当に何かを知っている。あたしの力の秘密を、そして、あたしが進むべき道を、示してくれるかもしれない。

  あたしたちは、彼女の世話になりながら、しばらくその洞窟に滞在することにした。

  キオの肩の傷も、まだ完全に治ってはいなかったし、あたし自身も、この老女からもっと話を聞きたいと思ったからだ。

 老女との日々は、驚きと発見の連続だった。彼女は、辛抱強く、あたしにこの世界の言葉を教えてくれた。

 最初は、単語と身振り手振りだけだったけれど、彼女が話す古い物語や、薬草の名前、道具の使い方などを聞いているうちに、不思議と、言葉の意味が頭の中に流れ込んでくるような感覚があった。

 左目が、彼女の言葉に含まれる「意味」そのものを読み取っているかのようだ。キオも、時折、ぶっきらぼうながらも、あたしの知らない単語を教えてくれた。

 あたしは、スポンジが水を吸うように、言葉を吸収していった。

  老女は、あたしに古い文字の読み方を少しだけ教えてくれたり、様々な薬草の効能や見分け方を、実物を見せながら説明してくれたりした。

  それは、あたしにとって、生まれて初めての「学ぶ」という経験だった。

  知識を得る喜び、誰かと穏やかな時間を共有する温かさ。あたしは、この洞窟での日々を、心の底からいつくしんでいた。

  しかし、その平穏は、長くは続かなかった。

  老女の話の中に、不吉な警告があったのだ。「中層」と呼ばれる、この辺りよりもさらに危険な領域に住む、強力な存在について。

  彼らは「輩」とは違い、高い知性と組織力を持つという。そして、彼らの中には、古い時代の力、特に「瞳」の力を渇望し、それを手に入れるためには手段を選ばない者たちがいる、と。

  その警告が、現実のものとなったのは、滞在して数日後の、嵐の夜のことだった。

  洞窟の外で、激しい風雨の音に混じって、あたしたちは「それ」の気配を感じた。

  滑らかな、黒曜石のような硬質な皮膚。爬虫類を思わせる、冷たい瞳。鋭く尖った爪と牙。

  人型ではあるけれど、その体躯は屈強で、明らかに人間ではない。そいつは、音もなく洞窟の入り口に立っていた。

  その瞳には、冷たい知性と、獲物を見つけたかのような、明確な殺意が宿っている。


「こいつ…! 老女の話にあった、中層の…!」


  キオが、剣を構えながら叫んだ。

  老女も、杖を握りしめ、険しい表情で敵を睨みつけていた。


「やはり、来たか… 小娘の力を嗅ぎつけて…」


  敵は、言葉を発することなく、ただ、あたしを――正確には、あたしの左目を――じっと見つめている。まるで、品定めでもするかのように。

  そして、次の瞬間。敵は、風のように素早く動いた。狙いは、あたしだ!

  キオが、あたしをかばうように前に出る。しかし、敵の動きは、キオの想像を超えていた。

  敵は、キオの剣を嘲笑あざわらうかのようにひらりとかわし、その鋭い爪で、キオの胸を浅く切り裂いた。


「キオ!」


  キオが、苦痛に顔を歪めて後退する。

 あたしは、恐怖と怒りで、全身の血が逆流するような感覚に襲われた。

 守らなきゃ。

 キオを、老女を、そして、このささやかな安息の場所を!

 あたしは、左目に力を込めた。赤い光がほとばしる。

 しかし、敵はあたしの力の発動を予測していたかのように、素早く横っ飛びに避けると、その手から、黒い影のようなエネルギー弾を放ってきた。


「危ない!」


  あたしは咄嗟に身を伏せたが、エネルギー弾は背後の壁に当たり、洞窟の一部が轟音と共に崩れ落ちた。

  まずい。こいつ、強い…! キオは負傷している。老女に戦う力はない。あたしが、なんとかするしかない。

  でも、どうやって…? 焦りが、恐怖が、あたしの心を蝕んでいく。また、あの黒い力が暴走してしまうかもしれない。

  でも、使わなければ、みんな殺される…!

  その時、あたしの頭の中に、声が響いた。

  あの無機質の、途切れ途切れの声で命令するような、そしてどこか嘲るような声。


「ツカエ… ソノ… チカラヲ…」

「ヒトミニ… ヤドル… フルキ… タマシイヲ… コントロールシロ!」


  コントロールしろ…? どうやって!?

  あたしが葛藤している間にも、敵は再び襲いかかってくる。今度は、あたしだけでなく、老女にも狙いを定めているようだ。


「やめろぉぉぉ!」


  あたしは叫んだ。守りたい。ただ、その一心で、左目にありったけの意識を集中させた。

  赤い光が、激しく明滅する。紋様が、禍々しく歪んでいく。まずい、また暴走する…!

  そう思った瞬間。あたしの意識の奥底で、何かが弾けた。それは、恐怖でも怒りでもない。もっと静かで、けれど強い、守るための覚悟のようなもの。

  老女が言っていた、「心で御する」という言葉が、頭の中で響いた。

  左目から放たれたのは、黒い奔流ではなかった。

  それは、赤黒く、不安定に揺らめいてはいたけれど、確かに、あたしの意志の形を帯びた、制御された力の奔流だった。


「なっ…!?」


  敵は、その予期せぬ力に驚いたように、一瞬動きを止めた。その隙を見逃さず、力の奔流は敵を直撃した。


「グオオオオォォォォ!!」


  敵は、黒曜石の皮膚をひび割れさせながら、苦悶の絶叫を上げた。

  そして、あたしたちから距離を取り、忌々しげにあたしを睨みつけると、素早く身をひるがえし、嵐の中へと姿を消した。


「…行った…?」


 あたしは、荒い息をつきながら、その場にへたり込んだ。 全身から力が抜け、左目が激しく痛む。

でも、今回は、あの黒い奔流の時のような、魂が抜け殻になるような虚脱感はなかった。

 まるで、心の奥底から湧き上がる、熱い何かが、暴走する力と一体になり、私を導いてくれたような気がした。 自分の意志で、力を、ほんの少しだけだけれど、制御できたのかもしれない。

  キオが、胸の傷を押さえながら、駆け寄ってきた。


「おい、大丈夫か!? 今のは…」


  老女も、杖を支えに、ゆっくりと近づいてきた。


「…見事じゃった、小娘。お前さんは、確かに、力を御し始めておる。じゃが…」


  彼女の表情は、険しかった。


「…あれは、ただの斥候じゃろう。すぐに、もっと手強いのが来るかもしれん…」


  あたしは、自分の左手を見つめた。震えている。力の代償は、やはり大きい。

  でも、あたしは、この力から逃げないと決めたんだ。

  キオの手当てをしながら、あたしの心は、恐怖と、そして微かな希望の間で揺れていた。

  この力の正体を知り、完全に制御できるようにならなければ。そして、老女が言っていた「繰り返される悲劇」とは何なのか、突き止めなければ。

  あたしたちの穏やかな日々は、終わりを告げた。

  新たな、そしておそらくはもっと過酷な旅が、再び始まろうとしていた。

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