プロローグ:片目だけの魚が棲んでいる
古くから、片目を持つ存在には、様々な伝承や物語が語り継がれてきた。
日本では、民俗学者・柳田國男がまとめた『遠野物語』にも、片目に関する記述がある。
「山中の渓流にて魚をとるに、多くは片目の魚なり。そのわけを知らず。」
柳田國男『遠野物語』から引用。
古い言い伝えがある。
誰から聞いたのか、いつ知ったのか、それすらも思い出せないけれど、あたしの頭の片隅に、そんな言葉の欠片が転がっている。
一つしかない目を持つ者は、畏れられ、あるいは特別な力を持つ....と。
遥か昔の、神様や英雄がいたという時代から、名前も残らないような小さな村の片隅まで、「隻眼(せきがん)」や「片目」の存在は、特別な意味を持って語られてきたらしい。
どうしてだろう。
失われたものにこそ力が宿る、と昔の人は考えたのだろうか。
それとも、他の人とは違うものが見えるから、世界の本当の姿を知っている、と信じられていたのだろうか。
あたしが今いる、この灰色に崩れた世界。
**ひび割れた土壁の隙間から、名も知らぬ雑草が力強く芽吹き、崩れかけた茅葺き屋根の上には、一羽のカラスが寂しげに鳴いている。
**そんな世界にも、似たような話が残っている、と風の噂に聞いた。
どこかの泉や池には、片目だけの魚が棲んでいる、と。
人々はそれを神様の使いか、あるいは呪われた印として、恐れ、決して手を出さないらしい。
片方の目をなくしたことで、魚はただの魚じゃなくなったのか。
それとも、人々の祈りや恐れが、そんな姿を作り出したのか。
本当のことは、もうわからない。
まるで、風に吹かれてあっという間に形を変える、砂丘の模様みたいに、真実はどこかへ消えてしまったのかもしれない。
あるいは、場所によって、見える景色も、流れる時間も、全く違うのかもしれない。
ある場所では朽ちた木と土壁が残り、また別の場所では錆びた鉄骨が空を突き刺している…そんな歪な世界なのかもしれない。
でも、一つだけ、確かなことがある。
今、この瓦礫と埃にまみれた世界に、「あたし」がいる。
あたしは、自分が誰なのか、思い出せない。名前も、どこから来たのかも、何もかも。
まるで、生まれた時から、この壊れた世界にいたみたいだ。
そして、今のあたしの左目は――普段は色が薄く、どこか硝子玉のように透明に見えるのに、何かの拍子に、内側から燃えるような赤い光を放つ。
だから、あたしには、右の目しか、普通に「見る」ための目がない。
この左目のことも、隻眼ということになるのか。
あたしが、古い言い伝えに出てくるような存在なのか、それとも、全く違う、ただの出来損ないなのか。
あたしはまだ、何も知らない。
この左目に、どんな力が、どんな宿命が眠っているのかも、この世界がどうしてこんな姿になってしまったのかも、そして、この「あたし」という存在が、これからどうなっていくのかも。