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エビのお寿司とカンパチの天ぷら

「うわぁ」

 突然背後から走り出るようにかまど神が現れたので、徹は不意をつかれてまた転びそうになった―が、弁当を死守するためにふんばった。徹が手にもつそれを見て、彼女はきらきら目を輝かせた。

「そんたぁ、何か?」

 期待のこめられたその目に見上げられると、先ほどの憂鬱も消えて、嬉しいような照れ臭いような気持ちになる。徹は昨日の炉の場所に弁当箱を下ろした。

「完璧じゃないけど―俺なりにご馳走、作ってみたよ。てんぷらと、お寿司」

 風呂敷を地面にしいて、徹はその上に重を並べた。そしてリュックから皿と箸を取り出す。

「てんぷらは、この山椒塩につけて食べて。あと一応、これ―」

 戸棚の奥で発見した一升瓶を、徹は風呂敷の真ん中に置いた。

「たぶん焼酎だと思うんだけど…」

 見た目は完全に子どもの彼女をちらと見て、徹は慎重に言った。一応持ってきたガラスコップを並べたが、彼女はまっさきに天ぷらに箸を出した。

「こんたぁ、てんぷらと?」

「そうだよ」

 彼女が衣を噛む、さくっという音がした。口をもぐもぐ動かしたあと、彼女はユリイカ!と言った天文学者さながらに、叫んだ。

「こいが、てんぷらか!」

 叫ぶが早いが、彼女はどんどんてんぷらを平らげていった。

「さくさくしちょって、うんめかぁ!徹も食べやんせ、ほら」

 徹もためしに一つ食べてみた。もし料理長だったら、何点を付けるだろう―箸をもちながらふとそう思ったが、徹はその思いを振り払って、カンパチのてんぷらを口に入れた。衣は申し分なく揚がっている。ふんわり火が通ったカンパチの身に、山椒塩のぴりっとした香りが効く。ふうと徹は息をついた。

「…うん、悪くない」

 するとかまど神は眉をひそめた。

「悪うなかって、おはんは贅沢じゃなあ!」

「気に入ってくれた?てんぷら」

「わっぜうまかぁ!」

 違うだろうとは思いつつ、徹は聞いてみた。

「じゃあ、これが君が食べていたっていう、『うんめかもん?』」

 するととたんに彼女はしょんぼりした。

「ちがうごた…ごめんなせ、せっかっ作ってくれたどん…」

 子どもにそんな顔をされると、こちらまで悲しくなってしまいそうだ。徹は首を振った。

「いいんだ、また別のものを作るよ。探してる料理が見つかるといいね」

「徹…」

 彼女がてんぷらを食べる手を止めてつぶやいた、その時。ずるりずるりと、背後で何かが這いずるような音がした。ぎょっとして徹が振り向くと、そこには―

「ぎゃああああ!?」

 腹ばいになった髪の長い女が、こちらへ這ってくる所だった。叫んで箸を取り落とした徹だったが、隣のかまど神はにこにこわらって手を上げた。

「あっ、翡翠!」

 徹が震えながら見守る中、その女は白い手で黒い髪をかき上げた。黒いその目は鋭く徹を睨んでいた。

「いも子、その人間はなに?」

「こん人は、徹っちゅう!あてにご馳走を作ってくるっ、よか人じゃ」

「ふぅん…」

 ずり、と「翡翠」は徹に近づき、じっと徹の目を覗き込んだ。彼女の下半身を見て、徹は自分の目を疑った。人間の足ではなく―テカテカ光る鱗に、大きな透き通るひれのついた尾が伸びている。つまり魚だ。

(どうりで這っているわけだ―!?)

 驚いて言葉が出ない徹を見て、翡翠は嘲るように笑った。

「私を見て怖がっているの?ふふん、そうでしょう。人魚なんて見るの、初めてでしょう」

 彼女は脅すようにひれを振ってみせた。

「あんたなんて、私がひと叩きすれば死んじゃうんだから。とっとと失せなさい。いも子に悪さをしたら、ただじゃおかないわよ」

 たしかに、しなやかな彼女の下半身は蛇の体と同じく筋肉が発達していそうだった。あれで殴られたり、絞められたりすれば無事では済まないだろう。徹は必死に弁解した。

「ち、違います、俺はこの子に、ご飯を――」

 すると翡翠の目が、ぎらっと危険な色を帯びた。

「嘘八百!人間はいつもそうよ、甘い事をいって、騙して利用する!知っているんだから、私は!」

 びしゃり!とひれで地面をたたく。大男が濡れた手で地面に張り手をしたような、鋭い音が響いた。そんな癸姫と徹の間に、かまど神が割って入った。

「徹は悪か人間じゃなかど、やめたもんせっ!」

「いも子は黙ってて!」

 取り付くしまもない言い方に、さすがの彼女もすくみ上った。

「わかりました、俺は帰りますから、」

徹は立ち上がって帰る意思を示しながらも、ふと翡翠の言った事が気にになった。翡翠はかまど神を『いも子』と呼んだ。それは彼女が探している失ってしまった名前と、関係があるのではないか…?

「あの―翡翠、さん?彼女の名前は『いも子』なんですか?」

 すると彼女は眉間に皺を寄せた。

「ちがうわよ。妹分だから便宜的にそう呼んでるだけ。」

「妹分?」

 徹は皿などを片しながら、何気なく聞き返した。すると翡翠もつられたのか、素直に答えた。

「そうよ。私がいも子を海からひっぱりあげて助けてやったんだから」

「そうだったんですか…」

 そういう翡翠の声は、少し誇らし気だった。案外世話好きのタイプとみた。初対面は人当たりが強そうに見える人ほど、実は人情深かったりするものだ。

 しかし、海から引っ張り上げたという事は、かまど神はもともと海の神様だったのだろうか。

 考えながらも徹が酒瓶をしまおうとしたその時、徹は翡翠の痛いほどの視線を感じた。おそるおそる徹は振り返った。

「…どうかしました?」

「その…その瓶は、なにかしら?」

 翡翠は、じっと酒瓶を見つめている。徹が答える前に、かまど神が答えた。

「こいは焼酎じゃ!な、徹?」

 徹は一升瓶を置きなおし、コップにとくとくと注いで翡翠の前に置いた。

 一升瓶を食い入るように見つめる彼女の目つき―料亭で様々な客を見てきた徹にはぴんときた。酒好きの習性は、人間でも誰でもきっとそう変わらない。目の前のこの人魚姫、おそらく相当の呑兵衛だ。

「祖母がしまっていた焼酎です、よかったら」

「飲んでいったやどげんな?!」

 翡翠は一瞬迷った挙句―戦闘態勢を解いて、上半身を起こして横座りした。

「そ、そうね―そんなに勧めるなら、飲んであげないこともないわ」

 こほんと咳払いをしてから、ほっそりとした白い指がコップを持つ。夜の月の下で、その肌は雪花(アラ)石膏(バスタ)のように真白く、透き通ってみえるほどだった。長い濡れた黒髪が、その白さをさらに際立たせている。

 そんな神秘的な見た目とは裏腹に、翡翠は一気にコップを干した。

「っぷはぁ~!喉が焼けるみたい!おいしいわ!」

 どん!と置かれたコップに、徹はすかさずおかわりを注ぐ。

「つまみもよかったら」

 ぬかりなく目の前にてんぷらと刺身を置く。翡翠が怒りをおさめたので、かまど神もほっとしたように続きのてんぷらを食べ始めた。もぐもぐにこにこしながら翡翠に話しかける。

「こんてんぷら、ほんのこて、うんめかどぉ!」

「ふぅん…てんぷら?なにそれ」

「魚を油で揚げたものです…あっ」

 人魚に、魚を食べさせるなんて―怒られてしまうだろうか?まずかったかもしれない。しかしそんな徹を見て翡翠は豪快に笑った。

「あはは!大丈夫よ別に。だってあなた、海の底で私たち、何を食べてると思ってるの?」

「もしかして…魚、とか?」

「その通りよ。魚とか海藻とか。だってそれ以外ないんだもの」

 そう言いながら、パクパクと彼女は刺身やてんぷらをつまむ。

「ふぅん、海では食べた事がない味だわ…塩辛くてさくさくしてるのね。でも舌がちょっと痛いわ。」

 美味しいとは言わないまでも、気に入ってはくれたようで、徹は少しほっとした。

「痛いのは、山椒かもしれません。」

「山椒?」

「はい。ぴりっとした粉で、これは山椒という木の実を…」

 徹は習慣で説明しかけたが、ふいに翡翠が口をおさえたので、中断した。

「どうかしました?」

「…口の中が、しびれて…あなた今、山椒って言っ…ふあ、ぁ」

 次の瞬間、翡翠の手が震えて、かちゃんと箸が落ちた。

「どげんしたと?大丈夫じゃしかっ!?」

 かまど神が翡翠の手を抑えた。しかし震えはとまらない。その光景を見て、徹の背筋は固まって冷たくなった。

「徹、水はあっと?…徹?」

 かまど神の声が、徹にはもう聞こえていなかった。頭の中で、ガンガン別の声が鳴り響いていたのだ―。

(お客様が倒れた!)

(なんだって?どうしたって言うんだ!)

(蕎麦だよ!アレルギーがあるって、あれほど言ってたのに…!)

(誰だ!蕎麦を出した馬鹿野郎は!) 

 飛び交う怒号に、救急車のサイレン。贅をつくした座敷の、ゆったりとした空間が、あっという間に殺伐としたものに塗り替えられていく。あの時、徹は震えながら立ち尽くしていた。

 今、痙攣する翡翠を前にして、徹はまた震えていた。走馬灯のように料亭でのことが、救急車の音が、あの男――五十嵐のぞっとするような笑みが頭に浮かんで、そして真っ白になる。

「徹っ! 翡翠が、翡翠が大変なんやっ、どげんしたやよかやろう!」

 必死の声を出すかまど神に強く肩をゆすぶられ、はっと徹は正気に返った。そうだ、しっかりしなくては。ここには医者もエピペンもないのだ。目の前のお客を助けられるのは、自分しかいない。

「み、水、水を、」



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