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女神様のためのおいしい料理帖  作者: 小達出みかん


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23/29

炙り鮭と、焼きおにぎり

◇◇◇


「すみません、魚介スープと、おにぎりを2つ」

 徹はひょいとキッチンカーの窓から顔を出した。ここは鹿児島の中心、県庁やオフィスビルの集まる街の一角にある公園だ。だからお昼時には、職員や学生たちが昼食を求めやってくる。ありったけの貯金をかき集め、さらに短期の肉体労働バイトを入れて資金をつくり、徹はなんとかこの中古のキッチンカーを手に入れた。そしてあちこちを直して磨き上げ、まだ残暑の残るなか最短で店をオープンさせた。

(全財産をぶっこむのは、かなりの博打だったけど……思ったよりも、調子はいいかもしれないな)

 島で十分、休みは取った。うずくまって守りに入る期間は終わったのだ。次はまた、見知らぬ世界に打って出たい。さまざまなアイディアを試してみたい。忙しく立ち働いて、挑戦をしていきたい――。そう思った徹は、まさに清水の舞台から飛び降りるような気持ちでこの車を買ったのだった。

今、徹の前には、紺色のコートを着た女性が立っていた。年のころは、徹と同じくらいだろうか。

「はい、おにぎりの具は何にしますか」

「ええっと…」

 女性はじっとメニューの看板を見た。

「えび天に辛子明太子…すごいいっぱいある…焼きおにぎりもおいしそ……」

 ぶつぶつつぶやいている。相当迷っているようだ。徹は魚介スープを温めながら何気なく口を出した。

「今日ですと、炙り鮭はらみとかおすすめですよ」

 すると、女性はぱっと顔を上げて徹を見た。真ん丸の目。後ろで結ってある髪型。そのたたずまいに、徹はふと―あの子を思い出した。

「じゃあ、それと……焼きおにぎりにします!」

 元気よく言う彼女に、徹は背を向けてテイクアウトの食事を用意する。温め直してある魚介スープをカップに入れて蓋をし、だし醤油と味噌の沁み込んだ焼きおにぎりは仕上げにガスバーナーでこんがり焦げ目をつける。テイクアウトとはいえ、このひと手間が美味しさを引きたててくれるのだ。

「はい、お待たせしました」

 おにぎりとスープの入った包みを受け取ると、彼女は徹に明るく声をかけた。

「お店、お昼はいつもここにいるんですか?」

 よく聞かれる質問に、徹は考えもせず答えていた。

「けっこうその日によりますね。よかったらSNSを見てみてください。朝に予定を書き込むので」

 徹はお店の名刺を女性に渡した。

「キッチンカーかまど…なんか、温かい名前ですねぇ…あっ」

 名刺の写真をまじまじと見た彼女は、声を上げた。

「この写真って…もしかして、島?悪石島ですか?」

 名刺には、あの島の神社を撮った写真を使っていた。徹はうなずいた。

「はい、そうなんです。よくわかりましたね」

 すると女性は首を振って笑顔になった。一気に親密な表情になって彼女は言った。

「だって、私の母が、悪石島出身なんです!」

「えっ!」

 徹は驚いた。世間は狭い。まさかこんな場所で、あの島の出身者に会うなんて。

「お母さんは、今でも島に?」

 そう聞くと女性は首を振った。

「ううん、母は若いころに島を出て、ずっとここの市内で暮らしてるんです。今島にはおばあちゃんだけ居て…」

 彼女がそこまで語って、徹はにわかにはっとした。彼女のこの、ぐいぐいくる親しみやすい感じは覚えがある。

「もしかして…おばあちゃんって、恵さん…?」

「そう!よくわかりましたね!」

 彼女はきゃっきゃと手を叩いて喜んだ。

「わかるもなにも…恵さんには、とてもお世話になったので…!」

「そうなんだ?おばあちゃんもやるなぁ。こんな若い男の子と仲良くしてるなんて…」

 その言いように、徹は頭をかいた。

「いや、そう若くありませんよ…」

 その様子を見て、彼女はくすっと笑った。

「私、西野アキっていいます。あなたは?」

「三笠徹です。よろしくおねがいします」

 徹は頭を下げ―上げた時、彼女と目があって、思わずお互い吹き出した。

「すみません、なんか改まっちゃって、はは」

 照れて目をそらす徹に、彼女は身を乗り出して提案した。

「三笠さん、よかったら今度、おばあちゃんの事、聞かせてくれませんか。私、島までなかなか会いにいけなくて」

 思ってもみなかった誘いに、徹はもちろんうなずいた。

「あ、はい…!えっと、ご、ご飯でも…食べに」

 思えばずっと仕事一徹で、女の人を食事に誘うことなんて、した事がなかった。思わず口ごもってしまった徹に、彼女は名刺を見て言った。

「お店、夜も営業してるんだ。今日、仕事終わったら行こうかな。どこで営業します?」

「天文館通りに移動する予定です」

「じゃあ行くね!積もる話はそこで」

 そういって、彼女はたたたと小走りでビルへと戻っていった。その小さい背中を眺めながら、徹は胸の中が浮ついているのを感じていた。今までの人生で、感じた事がないような楽しい気持ちだ。


 繁華街の隙間のような路地に移動して、お店を夜仕様に切り替える。おにぎりはそのままに、ドリンクの種類を充実させる。緑茶だけでなく、コーヒーやラテ、そしてお酒類も。平日なので、客足はぽつぽつとしている。それでも肌寒い夜中、暖を求めていくつか温かい飲み物が売れていく。お酒は特に単価が高いから、けっこういい稼ぎになったりする。普通のビールや焼酎の他にも、果物でアレンジした甘酒や、良い出汁を使った出汁割なども用意している。これらを目当てにしてきてくれるお客さんも、だんだん出現してきていた。

「おにぎり……まだのこってます?」 

 明るい声がして、ぱっと徹は顔をあげた。待っていた人だ。

「もちろん。飲み物は何がいいですか」

「じゃあ……この、ホットきんかん甘酒」

 メニューを見てそう言った西野さんに笑顔でうなずき、徹は温かな金柑をおとしたカップを二つ手に、車を降りた。

徹が島での生活の事を話すと、西野さんはひどく懐かしがった。あの石だらけの海岸や見晴らしの良い自由な牧場、そして森の中にひっそり存在する神社のことも、話してくれた。

「懐かしい。小さいころあの神社でよく遊んだなぁ。夏休みは子どもがみんな集まってさ、おにごっこしたりかくれんぼしたり」

 その言葉に、どうしてもあの子の事を思い出してしまう。

(もしかして、その様子をあの子も見ていたのかな。いや、こっそり混じって遊んでいたかもな)

 そんな風に想像すると、やっぱりわずかに胸が痛む。もう彼女はあそこにいないのだ。

「ん? どうしたの?」

 すると西野さんは心配するように徹を覗き込んだ。

「いや、話を聞くと懐かしくて……聞き入っちゃいました」

 すると彼女は微笑む。思わず、といったような愛嬌のある笑顔だった。

「また、行ってみるといいですよ。おばあちゃんはきっと、歓迎するだろうし」

 ホットチョコレートのカップから立ち上る甘い湯気が、秋の夜の乾いた空気に溶けていく。

「これ、ほどよく甘くて美味しい。金柑が甘酸っぱくて、皮がちょっと焦げてて香ばしくて。一度焼いてるの?」

「金柑は、一度日本酒とはちみつでくたくたになるまで煮てるんですよ」

「なるほど……だから美味しいんだね」

 西野さんは灯りのともったキッチンカーをしげしげと眺めた。

「私と同じくらいなのに、三笠さんは自分のお店があってすごいなぁ」

「毎日きちんとお勤めされている西野さんもすごいです」

「でも、東京で料理人をしていた三笠さんが、どうして鹿児島でキッチンカー?」

 その素朴でもっともな問いに、徹は穏やかに答えた。

「いろいろあって料理を休んでいたんですが、あの島に帰って、また料理できるようになったんです。それで、島に近い場所から再スタートしたいなって。恵さんには感謝です」

 話が重くならない程度にいきさつを話すと、西野さんは涙ぐまんばかりの勢いで聞いてくれた。

「そんな事が……でも、島のおかげでこうやって立ち直れたのなら、ほんとによかった」

 ほぼ初対面の徹に、こんなにまで親身になってくれるとは、まさに恵さんの孫。彼女の飾らない率直さにつられて、つい徹はしゃべりすぎてしまった。

「すみません、こんな事話して。よかったらアキさんの事も聞かせてください。ずっとここ鹿児島で過ごしてきたんですか?」

「そうなの。私、鹿児島から出たことなくて。下手に役所に就職しちゃったもんだから、もう出る予定もなくなっちゃった。あはは。でも毎日難題ばっかりで、ひいこら仕事してるんだ」

 ケアワーカーとして働いていると聞いて、徹は深く納得した。

「西野さんなら、きっとみなさん心を開いて話してれるんでしょうね。俺が今そうだったように」

「えっ、そ、そうかなぁ……。そうだと、いいんだけど」

少し照れたように笑う彼女を、徹は眩しい思いで見た。自分の頬も、思わずほころんでしまいそうだった。まるで甘酸っぱいものを食べた時のような気持ちになる――そんな笑顔だった。

(ああ。好ましい、って、こういう事を言うんだろうなぁ)

 徹は彼女の目の輝きに、明るい声に、ただただ引き込まれた。

 島のこと、おばあちゃんのこと、そしてお互いのこと。今、何を頑張っているのか。何を大事に思っているのか。短い時間だったけど、二人はお互いの持つ大事なカードを交換しあい、また会う約束をした。


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