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女神様のためのおいしい料理帖  作者: 小達出みかん


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22/29

厨房へ

台風と共に、夏も去ってしまったようだった。島に吹く風はさらりとしていて涼しい。むせかえるように生命力を放っていた植物たちも、ほっと一息ついたような風情だ。

ボゼ神も、夏の終わりと一緒に悪石島から旅だってしまった。また来年の夏、この島を訪れるのだという。

「俺一人…残っちゃったなぁ」

 徹は部屋でひとりそうつぶやいた。一抹の寂しさが胸をよぎる。だが旅立ちは、喜ばしいこと。かまど神がいなくなった痛手を、徹は納得しつつあった。

(皆、次の場所へ旅立ったんだ。自分でそうすると決めて…)

 ならば自分も、そうしなくてはならない。「100回逃げたって良い。けど、人生で一回くらいは逃げずに立ち向かうんだ」とかまど神は言っていた。

(俺も…自分の心残りに立ち向かわなければ)

 自分の中での未解決な問題。自分の臆病さゆえに、やり残して逃げてきてしまった仕事がある。徹はえいっと起き上がり、役場に向かって電話を借りるためだ。

電話番号を押し、受話器を耳にあてる。コール音がなるたびに、緊張が増す。

 けれど―これは自分が、しなくてはならない事だ。

「―…師匠ですか。無沙汰をしてすみません。徹です」

 電話の向こうで、息を飲んでいる気配がする。当たり前だ。一方的に弟子を降りる宣言をして、逃げてしまったのだから。

『…徹か。お前、いまどうしている』

「親戚の家にいます。師匠、今更になって申し訳ないのですが、どうしてもお伝えしたい事が―」

『なんだ』

「すみませんでした。俺は師匠にあんなに目をかけてもらったのに、事情も説明せずあの時逃げて。ご迷惑をかけました。」

 きっと自分は、ミスをした挙句辞めた極悪人という事になっているに違いない。それはかまわない。辞めたのは本当の事だからだ。いまさら謝って、師匠に許してもらおうとも思ってはいない。

 ただ―あの店で、また同じような事が起こり、取返しのつかない事になってしまわないよう、自分の身に起こった事を、しっかり報告する必要がある。

 たとえ信じてもらえなくても、馬鹿にされても。

「俺がしてしまった事は、師匠の耳にも届いていると思います。ですがあの日…俺はアレルギーの人が来ると言う事を…」

 しかし、徹の言葉は、師匠によって遮られた。

『わかっとる!そんな事は!直弟子がこんな事になって、儂が何もしないと思うか?お前が消えた後、別のやつを入れて徹底的に調べさせたわ』

 なつかしい、激しい物言い。徹は圧倒された。

「師匠、それは…」

『案の定、儂が次入れた弟子にも、同じ事が起こった。儂が言い含めておったから、未遂ですんだがな。結果、あの料理長も三下野郎もまとめて首。今、「風雲」は、儂の選んだ料理人だけで回っとる』

 すべて師匠はお見通しだった。その事に徹は驚きと、そして改めて畏敬の念を感じた。

 そして、彼は常に何手先までもを考えている男でもある。

『だから徹、お前が戻ってきても何の不都合はない。どうする?』

 だからそういわれて、徹はスマホを握りしめて茫然とした。

(どうしよう―東京に戻れる、のか。師匠は―俺を見捨てないでいてくれて、いたんだ)

 ありがたくて、申し訳なくて、涙がこみ上げそうになる。けれど―徹の答えは決まっていた。

「ありがとうございます、師匠…。でも俺、ここでやりたいことがあって。不義理をして、すみません」

 徹はぐいっと目をぬぐった。

「俺が、こんな目標を持てたのも、師匠のおかげです。師匠がいなければ、俺は夢を持つことも知らなかった。本当に、今までありがとうございました」

 しばらくの重々しい沈黙の後―受話器の向こうから声がした。

『わかった。徹。一つ聞く。お前はいま、どこにいるんだ』

 そんな事すら告げていなかった。徹は慌てて答えた。

「悪石島です。奄美大島の手前にある小さな島で―」

 徹が説明すると、豪快な笑い声がひびいた。

『ワッハハハ!お前、そんな所にいるのか!儂のところから消えて何をしているのかとおもったが、面白い奴だ!その島に食い物屋はあるのか?』

 徹は笑いながら答えた。

「いいえ、料亭どころか、食堂もなにもないです」

『豪気なもんじゃなぁ!そんな所で店でもやる気か』

「はい。どんな店かはまだ、悩み中ですが…」

『ふん…あいわかった』

 最後に真剣な調子に戻って、師匠は言った。

『儂の元を離れるというなら、お前はお前のしたい事をしろ。達者でな!』

「はい…!」

 師匠も、お元気で。徹はそう言って、相手に見えなくとも頭を下げた。

(長い…夏休みだったな)

 電話を切って職員に礼をつげ、徹はなんとはなしに外へ出た。突き抜けるように高い秋の空を見上げながら、徹は自分が自分に許した「休暇」が終わった事を悟った。

(あぁ…また、働きたいな)

 ぐつぐつ休みなく煮える鍋。ピカピカに磨かれた皿。あの空気を思い出すと、体がそわそわする。

つぎつぎと注文の入る厨房に、徹はまた戻りたくなった。

(でも…元の料亭には、戻らない)

 この島の生活を経て、徹がしてみたいと思った料理の仕事。それは、とてもシンプルな事だった。

できるだけいろんな人に、自分の料理を食べてもらいたい。料亭のような敷居の高い場所ではなく、通りすがりの人や子どもたちに、気軽に料理を出せるようなそんな店。自分とお客さんの顔が、直接見えるような食べ物屋。

(それって、どんな形のお店だろう―…)


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