表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神様のためのおいしい料理帖  作者: 小達出みかん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/29

ちょうどいいせいろ

数日して、徹は海へと足を向けた。今なら、翡翠も出てきてくれるんじゃないかという気がしたからだ。

 果たして、ざばりと水面を掻く音がし、桟橋のへりに白い手がかかった。一見するとちょっと怖い光景だが、今の徹はただただ嬉しかった。

「翡翠さん!どうしていたんです、心配―ああっ、その籠は」

 翡翠が背中に背負っている蒸篭を見て、徹は思わず声を上げた。

「なに?もらったのよ、海に落ちてきたから」

 あっけらかんとそういう翡翠に、徹は毒気を抜かれた。

「あ…そうなんですね」

「いも子は行っちゃったけど…徹、あんたはどうするの?」

 唐突に問われて、徹は面食らった。

「知ってたんですね、翡翠さんも…」

「当たり前よ。あの子、海の中で消滅したんだから」

「そっか…」 

 ややうつむいてしまった徹に、翡翠は少し口調をやわらげた。

「でも、満足していたわよ。たぶんね」

「わかるんですか?」

「その場にいたわけじゃなかったけど、おなじ海にいたからね。―なんとなく」

「翡翠さんは…平気、なんですか」

 徹の言葉に、彼女はつんとそっぽを向いた。

「くよくよしたって仕方ないじゃない。いつかこうなるって…わかってたんだから」

「翡翠さんとボゼ神様は、かまど神様の正体を、知っていたんですね」

「そうよ。でも私たちが知ってても、あの子が自分で思い出さなけりゃいけなかったのよ。『名前』を取り戻すって、そういう事だから―」

 翡翠は目線を上げて、もくもく雲の立つ空を見つめた。

「そりゃ、寂しいわ…。でも私、あの子からちゃんとメッセージを受け取ったから」

「メッセージ?」

 彼女は髪の中から水引を出して見せた。

「ほらこれ。徹も持ってるでしょう、真珠」

「あ…うん」

 彼女は水引を握りしめ、その手を胸にあてた。

「あの子は、私に幸せを掴んでほしいって言ってくれた。だから私は、自分のために頑張る事にするわ。あの子がいなくても」

 その声は、強い決意がみなぎっていた。目的のある目をしている。彼女は何かをするつもりなのだという事がわかった。

「翡翠さん―」

 じっとすがるように見る徹に向かって、彼女は笑った。

「本当は、誰にも言わないで行くつもりだったんだけど」

「行くって、どこに」

「ここじゃない海よ。私は、私が私として生きていける場所を探しにいくの」

「ここじゃあ、ダメなんですか?」

「ダメなの。徹には話していなかったけど―海の底の御殿はね、自由のない牢獄と一緒なの。格子はないけどね」

「もう―ここには、戻ってこないんですか」

 徹がそう言うと、彼女の笑顔がすこし寂し気なものに変わった。

「…たぶんね。長旅になるだろうから」

「そうですか…」

 徹はうつむいた。かまど神に加えて、彼女も旅立ってしまうのだ。大事な物がなくなってしまうような喪失感がある。だけど―

(もし、自分が旅立つ側だとしたら…こんな顔、してほしくないはずだ)

 徹は顔を上げて、翡翠に向かって笑ってみせた。

「そっか―!探しにいくんですね。ここよりもいい場所を。少し寂しいけれど…見つかるといいですね」

 徹の言葉を受けて、翡翠は目を伏せて微笑んだ。

「徹のおかげよ。旅立つ決心がついたのも」

「え…かまど神様のおかげ、じゃなくて?」

「もちろんいも子もよ。だけど―あなたと出会って、私は自分の間違いに気づく事ができたの」

「翡翠さんは、間違ってなんか…」

 しかし翡翠は首をふった。

「いいえ。自分の知っていることがいかに少なかったか。本当に狭い世界で生きているんだとわかったのよ。私、人間は―みんな極悪な生き物なんだと思い込んでいたわ。私たちの姿を見たら、捕まえて騙すんだって。そう習ったから」

 翡翠は、まっすぐ徹を見て言った。

「でも、徹みたいな人間がいるって、わかった。何の得にもならないのに、いも子や私を助けてくれるような、そんな人間もいるんだなって」

「い、いや、そんな…」

「それで、人間も人魚も同じなのかもしれないってわかったの。いいやつもいれば、わるいやつもいる」

 その言葉には、徹も素直にうなずいた。

「それは…そうかもしれない」

「そうよ。だから…わるいやつが大きな顔をしているこの場所から、私は出て行くことにする。人魚はもう他には居ないんだって教えられてきたけど、それも間違っているかもしれないし」

「どこまで行くつもり、なんですか?一人でいって、大丈夫なんですか?」

「どこまででも。私が見た事も聞いたとこもないような、新しい世界を探しにいくわ。今の場所にいたほうが、安全ではあるかもしれない。でも、行きたいの。その結果野垂れ死んだとしても、私の責任。後悔なんてないわ」

 そういって翡翠は晴れやかに笑った。

「私、ほんとうにうれしいの。ここを出るって思うと!決めるまでは悩んだけど…決めちゃえば、とっても楽。自分の事を自分で決めるって、わくわくするわ。ちょうどいい籠も流れてきたしね。これに荷物をつめて出発よ。」

 その明るい言葉に、徹の肩の力も抜けた。

「そっか…わかった。翡翠さん、気を付けて。もう会えないのは、寂しいけれど…」

 すると彼女はいたずらっぽく言った。

「あら、そんなのわかんないわ!私はたしかに、この海にはもう戻ってこないけど―別の海で、また徹と会うかもしれないじゃない」

 そういわれて、徹は目を丸くしたあと―思わず笑った。

「そっか…。そうなると、いいな」

「そ!だから徹もいつまでもくよくよしてないで、自分の事を考えなさい。もう人の事はいいから。自分のしたい事をしてあげて、自分を、自分の行きたいところに連れて行ってあげるのよ。立派な足があるんだから!」

 徹はうなずいた。

「わかりました。翡翠さん」

「じゃあね、徹!またどこかで!」

 そういって泳ぎ去っていく背が水平線に消えていくまで、徹はじっと見つめていた。しかし最後、ふっと懸念がうかんだ。

(そういえば蒸篭…海水にずっと浸かってて、大丈夫だろうか…)

 水に丈夫な蒸篭を、いつかのために見繕っておく必要があるかもしれない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ