黒糖とサツマイモのかしゃ餅
その朝、徹は起きてすぐ台所の鍋を確認しにいった。昨日収穫してゆでたよもぎが、そこに浸かっている。野山の山菜は、最低でも一晩はあく抜きをしないと調理には使えない。徹は軽くため息をついたあと、ざあっと鍋の水をながし、よもぎをざるに上げた。
ここからが、かしゃ餅づくり本番だ。徹は一呼吸したあと、覚悟を決めて腕まくりをした。
―どうせなら、最高の餅をつくりたい。
「よし、やるぞ」
ふにゃふにゃになったよもぎを、すり鉢ですりつぶす。葉の形がなくなり、完全にペースト状になったところでふかしたサツマイモを投入し、2つを混ぜ合わせていく。黄色と緑のマーブル模様が、鉢の中で混ざってひとつになっていく。ほくほくした甘い匂いと、よもぎの青い匂いがふわりと立ち上る。
そこに黒砂糖、もち米粉、水を入れて、今度は手で練っていく。これは完全に力仕事だが、徹にとっては慣れっこの作業だった。すべての材料が均等に混ざり合って、完璧な餅になるよう、ただひたすら力をこめるだけだ。
やがて鉢の中の餅は、綺麗なひとつの丸になった。よもぎと黒砂糖がまざった深い緑色をしている。徹はふうと息をつき、餅をちぎって丸めていった。それらを、月桃の葉で包んでいく。
月桃の葉の匂いは、料理人の徹でもかいだことのない独特の匂いだった。
(ぴりっとしているんだけど、爽やかだな…しょうがと柑橘類を、混ぜたような…?)
深く吸い込んでみたくなるような、くせになる匂いだった。
包んだ餅をせいろにならべていくと、いよいよこれで完成なのだという気持ちが徹を襲った。
(かまど神様が喜んでくれるか、どうなるのか―わからないけど)
自分にできる事はこれしかない。
「っし。…行くぞ」
徹は意を決して鍋にせいろ載せて家を出た。すると、ごおおっと強い風にあおられ転びそうになった。
「っぶな…っと!」
しっかり鍋をもちなおし、徹はそろりそろりと神社へ向かった。境内にいったん鍋を下ろして崖から海を眺めると、波は荒く砕け、空には巨大な積乱雲がもくもくと渦巻いていた。いましも灰色に変わって濁流となりそうな雰囲気の雲だ。
(しくったな…降ったらどうしようか)
徹が一人空を見上げて思案していると、そのとなりにそっとかまど神が立った。彼女はいつも、さりげなく現れる。
「徹、どげんしたと?」
徹はちょっと困った顔でかまど神を見下ろした。
「いや、ちょっと…空模様がよくないかなって」
かまど神と徹は、しばし空を見上げた。2人の髪を、荒い風が揺らす。
「うんにゃ。せっかくもってきてくれたんじゃで、今日、食べもんそ」
きっぱりそう言ったかまど神に、徹はうなずいた。
「わかった」
いつものように、徹は炉に火を入れた。風が吹いているが、石に囲まれた炉の中では関係ない。徹はその上に水を張った鍋と、せいろを乗せた。
「今日は何を作ってきたん―?って、聞きごたっどん、聞かん事っにすっじゃ」
「そうだね。開けてからのお楽しみだ」
二人は炉の前に座り、ただじっと火と煙を眺めた。石の炉の中でかっかと燃える火。吹きすさぶ風にけちらされる煙。やがて、餅の蒸されるいい匂いがあたりにただよった。
「ああ…美味しそうな匂いやなあ」
徹はスマホの時間をちらりと見て立ち上がった。ちょうど20分だ。
「それじゃあ、開けるね」
せいろの蓋をあけると、もわっと玉手箱のように濃い白い煙が舞い上がった。よもぎと月桃のまざりあった、爽やかで懐かしい匂い。一瞬の後にその煙は晴れ、徹は餅を取り出した。
「あ、熱っ…!ちょっとまってね」
徹は両手で餅をいったりきたりさせながら冷ました。それを見て、かまど神の顔に笑みがのぼる。
「あいがと、徹…」
かまど神は、じっと徹を見上げた。受け取る前に、ちゃんと伝えたい事がある。
「ほんのこて、ありがとさげもした」
改まったお礼に、徹は笑った。
「俺は大したことなんて、してないよ」
徹の顔が、笑いからくしゃりと歪む。
「俺の方が……君に、助けられた。君のおかげで、俺はまた料理をつくることができた」
拳をぎゅっと握って、開いて――餅を持つその武骨な手をじっと見る徹。
「俺の料理で――喜んでくれる人が、まだいるんだって。俺は生きてても、いいんだって」
その手を、かまど神は餅ごとぎゅっと握った。
「おはんの料理に救われたんは、あてのほうだ」
握ったその手を、愛おしむように撫でる。
「よか手、よか手じゃっど。誰かに食べもんをあぐっことは、生きらすことだ。徹の手は、そいが出来る。あたを救ったみてに、こいからもいろんな人を救ってたもんせ」
最後にもう一度、かまど神は徹を見上げた。迷える人間。傷ついてうずくまっていた徹。そんな彼に、言いたい言葉はただ一つ。
「だから、こいからもずっと、幸せに生きていけるに決まっちょっ」
徹の目が見開かれる。そして、さきほどよりも顔がくちゃくちゃになる。泣き笑いだ。
「そいじゃあ、いただきます!」
かまど神は、両手で大事にお餅を受け取った。料理で鍛えられた徹のごつごつした手から、かまど神の小さな手にお餅が映うつる。蒸された月桃のつるりとした葉が、手に触れる。葉は食べれないから、剝かなくてはならない。かまど神はそう思って、葉を指でめくった。その時―。
(あ…れ…あては、なして知っちょっど?葉は、食べれんって)
つやりとした月桃の葉は、匂いもあいまって一見美味しそうなのだ。そしてかまど神は気がついた。
(そうだ―あては、こん餅を食べた事があっど…間違うて、葉ごと…!)
だから今、葉は剥くものと知っていたのだ。かまど神の手は震えた。
徹が心配そうに、その様子を見守っている。だからかまど神は勇気を出して―その餅を、口へ持っていった。
(徹が、作ってくれた餅じゃ。じゃっで、きっと大丈夫、何があってん―!)
その時、ひときわ激しい風が、神社をもぎとばすように吹きすさんだ。かまど神の体が宙へ舞い上がるのと、餅にかぶりついたのと―…それは同時の事だった。
「かまど神様―ッ!」
徹はあわてて、風にさらわれたかまど神に手を伸ばした。が―人間の速度が、自然の速度に勝てるはずもない。アッという間にかまど神の体は手の届かぬ場所まで吹き上げられ―そして、徹の視界から消えた。
「ま、まって、待ってくれ、いかな、連れていかないでください―っ!」
まだ、ちゃんと餅を食べていないのに。徹はパニックになって、ただただ空を見上げる事しかできなかった。




