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コンビニのメロンパン

晩夏のぬるい風が、体の上を通り抜けていく。フェリーの舳先、紺碧の水平線に、大小2つのお椀を伏せたような島影が見えた。そろそろ目的地の悪石島だ。たった1日で、思い切ってずいぶん遠くまで来たもんだ。

「三笠徹。お前は今日でクビだ」

 料理長にそう宣言されたのは、ちょうど昨日の今頃だった。もはやすべてがどうでもよくなっていた徹は、あの時麻痺したような気持ちでそれを受け入れた。

(―あそこで俺ができることなんて、もうない)

 青い島はどんどん近づいてくる。徹は尾を引くようなその思いを断ち切るように顔を上げた。

(もう、過去の事を考えるのはやめるんだ)

 年季の入った白いフェリーは、無事にコンクリートの桟橋の横に停泊した。フェリーを運転するおじさんは、あれこれ教えてから徹を下ろしてくれた。

「こん島はもう人が少なかで、兄さんはまずは長老ん家に向かいやんせ、いろいろ世話してくるっで」

 おじさんの親切に感謝し、徹はフェリーから降りた。フェリーは鹿児島から出発し、他の島も経由しているので、この島に来るまでにだいぶ時間がかかった。

(もうすぐ夕刻か…)

 徹はおじさんに教わった通りに、長老の家を目指して桟橋を歩き始めた。日は真上から少し傾きかけて、波打つ海面は深い碧色だ。その波が到達する島の浜は、綺麗な白い砂浜…ではなく、大小さまざまな石が寄せ集まった灰色の浜だった。

(裸足で歩いたら痛そうだ…海水浴は無理そうだな)

 この足場の悪さから、「悪石島」と呼ばれるようになった―という説があるくらいだ。

 桟橋を降りると、すぐ目の前に山を切り開いて作った道が続いていた。かろうじて舗装されているが、道の脇からせり出す山の緑が、おおいに存在を主張している。

(ええと、長老の家はこの道路を行った先の…)

 夏の終わり、山の緑たちはむせかえるような生命力に満ちている。緑いきれのただよう坂道をたどりながら、徹は昔ここに来た時の事を思い出そうと努めた。

(一度だけ会った、おばあちゃん…)

 徹の母は、この島の出身だった。東京に出て、女手一つで徹を育て、働き詰めで実家に里帰りする余裕などなかった。だけど一度だけ、夏休み母につれられてここに来た事がある。徹はまだ小学生だった。おぼろげな記憶だが、日にやけた皺だらけの顔をほころばせて、おばあちゃんが迎えてくれたことは覚えている。小さい島で、お店はひとつきり。そんな場所だったが、毎日山や海を思う存分遊び回り、異世界に来たようなひと夏を過ごした思い出だけが、残っている。

 この小さな島からはるかな海上を眺めると、水平線がかすかに湾曲しているのがわかる。地球が丸いのだという事が感じられて、子どもながらに感動したのを覚えている。その上に広がる空の青さ。落ちてくるかのように近くただよう入道雲。自分にとっては、天国のような場所に感じられたものだった。当時と同じように水平線を眺めて、徹は苦笑した。


(祖母も母も、いまはもういない。あっちが本当の天国なら、ここは仮の天国、なのかな…)

 そんな事を考えながら歩いていると、早くも太陽が沈みはじめた。海面が真っ赤に染まっている。ここから真っ暗になるまではあっという間だろう。徹は少し焦った。おじさんに教えられた通りに山を登っているはずなのに、長老の家はさっぱり見当たらない。

(まずい、もう長老でなくてもいいから、民家を探そう)

 しかし、あちこち見回しながら歩いていても、それらしき建物はいっこうに見つからない。そして徹がもたもたしているうちに―太陽が沈んであたりは真っ暗になった。

(やっば…)

 街灯なんてない。たよりになるのは星の光だけだが、それだと足もとすらおぼつかない。暗くなると、波の音がいっそう近く感じられた。ちょっと近すぎるくらいだ。

(というかこの場所、海にせり出した崖の上なのか)

 うっかり足をすべらせでもしたら、笑えない。ここで海に落ちたって、助けてくれる人など誰もいないだろう。ふいにゾッとした徹はリュックからスマホを取り出して行く手を照らした。すると…山の木々の間に、赤い鳥居があるのが見えた。

(神社、か?)

 しめた。社でもあれば、軒下を貸してもらおう。今日はここで野宿だ。

 鳥居をくぐってけもの道を行くと、素朴な形の灯籠が立っていた。その中にちびた蝋燭が残っているのを見て徹はリュックをがさごそ探った。お目当てのものを引っ張り出す。「日本料理・風雲」と書かれた小さな箱。昨日まで自分が働いていた店のマッチがリュックの底に残っていた。こんな場所で役にたつとは。

 灯籠に火が入ると、オレンジの光が御影石の窓からじわりと漏れ―ささやかな境内を見回す事ができた。神社には小さな祠が一つあるきりで、建物と呼べるようなものはない。ふうとため息をついて、徹は祠の前に腰かけた。

(腹がへったな…とりあえず、火でも焚くか)


リュックの中にあるのは、フェリーに乗る前にコンビニで買った菓子パンとおにぎりくらいだった。焚火の前でささやかな夕食にして―もう、寝てしまおう。

 徹は灯籠の灯りをたよりに燃えそうな枝や落ち葉を集めた。別に料理をするわけではないからちゃんとした焚火でなくともよい。山形になるように枝を組み、その中に燃えるマッチをそっと置く。少し時間はかかったが、無事枝に火が燃え移り、ささやかな焚火ができあがった。火をながめて少しほっとした徹は、おにぎりの封を切ってひとりつぶやいた。

「…いただきます」

 その時だった。

「火じゃ!火じゃ!」

 すぐ隣で声がして、徹は文字通り跳びあがった。

「だ、誰だ!?」

 ばっと左隣を見ると、ちょこんと腰かけて火に手をかざしている―小さい誰かがいた。

(こ、子どもか…?)

 跳びあがって尻もちをついた徹を、その子どもはけらけら指さして笑った。

「あっははは!わいは、やっせんぼうじゃねぇー!」

 なにがなんだかよくわからない徹は、聞き返した。

「やっせん…?」

「なさけなかちゅうこっじゃ!神様(かんさー)を見っせぇ、腰をぬかすかぁー」

 ますますわからない徹はあとずさった。

「か、神様…?」

 その子ども(?)は立ち上がり、徹を見てにーっと笑った。くりくりとした大きな目に、日に焼けた黒い肌。髪はくしゃくしゃながらも、後ろでまとめてお団子のようにし、貝がらの飾りがついている。ただのやんちゃそうな女の子に見えるが、服は時代劇でよく見るような、泥色の裾の短い着物を着ている。

「君、この島の子?よかったら家を教えてくれないか。長老の家を目指してたんだけど、迷っちゃって…」

「ここがあての家じゃが」

「えっ…」

 うろたえる徹に、少女は腰に手を当てて言い放った。

「信じちょらんのや、じゃあ教えっど!あては炉端の女神だ。ここらじゃ、ヒヌカンって拝まれちょっ。古くはかまど神とも呼ばれちょった」

 あっけらかんと言ったあと、少女はじっと徹を見下ろした。その大きな黒目は、自信たっぷりに見えた。見た目も声も子どもだが―彼女がそうして見下ろしていると、背後の焚火の効果もあいまって不思議と威厳のようなものが感じられた。

(こ、子どもの嘘にしては―いい慣れているというか、名乗りの場慣れしている感がすごいな…?)

「どげん?信ずっけ?」

 少女はにっこり笑って言った。もしかしたらこの子のいたずらかもしれないし―自分が夢を見ている可能性もある。しかし徹は首を振った。

こんな所まで来て、深く考えるのはもういいだろう。そう思った徹はうなずいた。

「わかった、信じるよ、ええと…かまど神さん?」

 座りなおした徹の横にその子はちょこんと座った。その目は、徹が持っているおにぎりに注がれている。徹はリュックからまだ封を切っていないおにぎりとパンを出した。

「食べるかい?コンビニのだけど…」

「こんた何か?おにぎりと…亀ん甲羅みてやなあ?」

「メロンパンだよ。」

「めろん…ぱん?」

 彼女の目が、おにぎりとメロンパンの間をいったりきたりしている。どちらを取るか、すごく迷っているようだ。

「メロンパンは、甘いお菓子みたいな味で…まぁよかったら、どっちも食べるといいよ」

「ほんのこて?よかと!?」

 丸い目を見開いて勢い込む彼女に、徹はわらってうなずいた。

「どうぞ。大したものじゃないけど」

「うれしかねー!」

 かまど神様(?)はメロンパンにかぶりついた。その目は子どもそのもので、輝いていた。あっという間に食べ終わった彼女は感想を言った。

「食べたこっがなか味や!甘うて、うんめか!」

 おにぎりもぺろっと食べてしまい、彼女は実感を込めて徹を見上げた。

「おまんさぁ、よか人やなあ。どっからきたと?名前は?」

「俺は三笠徹。東京からきた」

「東京…?」

「ええと、都会だよ。人がたくさんいる」

「そんたぁ、すげぇね。なんで、こけ来たと?」

 こんな小さな子に取り繕うのもかえってみじめだ。徹は頭をかいて素直に言った。

「働いていた料理屋で、やらかして首になっちゃって。それで暇ができたから、おばあちゃんの家に…」

 高校を出てから8年間、徹は給料を使う暇がないほどわき目もふらず仕事をしてきた。悠々自適というわけにはいかないが、数か月暮らせるほどの蓄えはある。どこでもいい、東京から遠くへ行きたかった。そこで、家賃のいらないこの島へ来たのだった。

 すると、再び彼女の目がくわっと見開かれた。

「料理屋!?あては料理人なんか?!」

「うーん…もう違うけど…そうだね」

「なんでん作るっとな?てんぷらとか…ごちそうとか!」

「まぁ、寿司も天ぷらも一通りは」

 徹は気のない様子で答えるが、彼女は食い気味に身を乗り出した。

「すんげぇね!あては…あては、おまんさぁみてな人が来っとを、待っちょった!!」

 徹は首をひねった。

「えーと…御馳走が食べたいとか?」

「じゃっど!じゃっどん理由があっど。あては、本当のこっ言うと…」

 彼女は徹の手をぎゅうとつかんだ。

「もっとおおきか、えろうてすげぇ神様なんじゃ。こげん場所じゃなくて、もっと立派な神社におっような…!」

 子どものくせに、手を握るその手は強い。ちょっと痛いくらいだ。彼女は悔しそうな顔をしていった。

「じゃっどん、自分の名前が思い出せんど!」

「かまどの神…とかなんとかさっき言ってなかったっけ?」

「そいじゃなかで、あてだけのちゃんとした名前があったんじゃ。じゃっどん、前ん()をぜんぶ忘れてしもた。たったひとつ覚えちょるんな、何かうんめかもんを食べちょったちゅう事!」

「そのうんめかもん…は、何だったの?」

 彼女は歯をいーっと食いしばり、実に悔しそうに言った。

「そいも、覚えちょらんとじゃ!わっぜうんまかっちゅう事だけ覚えちょっ…じゃっで…じゃっで…」

 彼女はばっと顔を上げて、徹を見上げた。まんまるの大きな黒目が、じっと射るように徹の目を見る。

「そいを作ってほしかど!そしたやきっと、本当の名前を思い出せっで…!」

 覚えていない料理を作って欲しいとは、なんとも難しい要求だ。普通に考えればわけがわからない。だけどあまりに彼女が真剣だったので、徹は蛇に睨まれたカエルのように、思わずうなずいていた。

「わ、わかった…上手くいくかは、わからないけど」

 すると少女は握った徹の手を、自分の額におしあてた。

「あいがと…あいがと…!」

 そして顔をあげて、にっと笑った。

「そしたや、徹にかまど女神の大きなご利益をあぐっでね。期待しちょってね!」



(昨日のあの子は、一体何だったんだろう―…)

 朝日を浴びながら、徹は大きくあくびをした。昨夜、目を離したすきに自称、かまど神はいなくなり、徹はそのまま寝入った。

地面に寝転んだので、ところどころ背中が痛い。だけど起きた瞬間に南国の景色が目に飛び込んでくるのは、いい心地だった。同じ夏のはずなのに、この島は海風と森のそよぎで爽やかなくらいだ。

(暑いっちゃ暑いけど、東京の暑さに比べれば―ぜんぜんましだ。さて)

 長老の家を、今日こそ探し当てなくては。



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