八月十七日 午後二時 (1)
圭が消石灰を落とし、シャワーから出ると、ベッドの端に有紀が腰掛けていた。
遠い目を窓の外に向けている。バスタオルをくしゃくしゃとまとめ、隣に座った。
「気分悪くないですか?」
問いかけに対し、有紀が僅かに頷いた。
それきり何も言わない圭のほうに顔を向けた。
「水野さんこそ、大丈夫ですか?」
微笑むことで圭が答えた。
「たぶん、犯人を特定できたと思います」
有紀が目を見開いた。その表情が一瞬で曇る。圭の顔には笑みが浮かんでいたが、
その眉間にはわずかにしわが寄っていた。
「あまり嬉しそうじゃありませんね」
圭が視線を床に落とす。
「問題が二つ残っているんです」
横顔に僅かに首を傾げた有紀の視線を感じる。
「証拠がないんです。現段階では。これでは問い詰められない」
「もう一つは何ですか?」
圭は顔を上げ、有紀をまっすぐに見つめた。
「次に狙われるのは、最後に狙われるのは、おそらくあなたです」
言葉の意味が理解できず、有紀が静止した。一瞬の間を置いて、困惑したように
笑う。
「なんで私が。なんでそんなことになるんですか?」
「僕が犯人の立場だったら、絶対に用意しておくものが工藤信也の部屋には
ありませんでした」
有紀の視線が部屋の中を泳ぐ。
「遺書です。自分が犯した罪を誰かに着せ、自殺にみせかけるなら、それを
用意しないはずがない」
説明に納得したような表情を浮かべたが、すぐにそれは引っ込んだ。
「やっぱりよくわかりません。それでどうして私が殺されるんですか?」
「遺書を用意しなかったのか、なにか理由があってできなかったのかはわかり
ません。大の男を脅して遺書を書かせるのは容易じゃないでしょうしね。どちらに
してもそれがない以上、これから用意するのだと思われます。その相手があなた
なのは、中島健太、工藤信也の両方を殺す動機があり、かつ遺書を書かせるのが
比較的容易そう、この二つの条件を満たすからです」
言葉を失い、今度は有紀が視線を落とした。
「心配しないでください。それをわかっていて、みすみす殺させやしません。
それにもともと遺書を用意するつもりがない、という可能性もある」
圭が形ばかりの慰めを口にする。ついさっき「自分なら絶対用意する」と言った
ばかりだ。
「ただし、遠藤さんの安全のためにも、そうなるという仮定の元に対策を立てます」
思いついたように、有紀が視線を上げた。
「ところで彼って誰なんです?」
ああ、まだ言っていませんでしたね。
ほんの些細なことだ。
そんな雰囲気で圭が言った。
「柏木達也でほぼ決まりでしょう」
先ほどよりもさらに大きく、有紀の目が見開かれた。
「だって、あの人は警官ですよ?」
ゆっくりと首を横に振って、圭が答えた。
「そんなことは関係ありません。警官だろうが神父だろうが、人である以上犯罪を
犯します」
有紀が言葉を失う。
「いいですか。天気は回復傾向にあるようです。となれば彼はすぐにでも動くで
しょう。あなたが独りになるタイミングを狙ってくるはずです」
不安そうな顔の有紀の手をとった。
「そこでこちらから先手を打ちます」