八月十八日 午前十一時二十分 (4)
工藤信也に撃たれたことは有紀にとって不幸な出来事だったが、
あの日は柏木達也にとっても不幸な一日だった。柏木達也はマンション
前で捜査にあたっていた。細い路地は黄色いテープで封鎖され、
その外には野次馬が人だかりを作っていた。
中島兄弟もその中にいた。
二人は信也の部屋で会う約束があった。マンションに向かう道すがら、
人ごみが目に入った。まだ何か起きて間もないのか、人ごみに向かって
走っていく人もいる。
「何かあったんすか?」
早足でそちらへ向かうOL風の女性に声をかけると、銃撃事件があった
と教えてくれた。人と人との間を縫うように進み、テープの前まで来ると、
背広を着た男と紺色のジャンパーを着た捜査員が作業をしていた。地面
には散弾銃が転がっていて、それを独りの捜査員がカメラに収めていた。
「なあ、あれ」
健太の肩を軽く叩くと、勇太が顎で何かを促した。その方向には一人の
警官が立っていて、部下と思われる男に指示を与えていた。
「なんだよ」
と言いかけて健太もそれに気づいた。その男は自分たちから覚せい剤を
購入している客の一人だった。
「あいつ、警官だったのか」
驚きを隠せない様子の健太の脇腹を勇太が小突いた。
「声がでかいぞ」
健太が口をつぐんだ。
「前回あいつに売ったのっていつだったっけ?」
「メモを残してるわけじゃないから、はっきりとは。結構前だとは
思うけど」
それを聞いて勇太が小さく頷く。勇太もひと月以上前だと記憶して
いた。
「じゃあ近々買い足しにくるだろうな」
勇太の口角が緩んだ。その視線の先には柏木達也が立っていた。
奈緒子の手が力なく襟を放した。柏木達也はタンブラーを一つ取り、
ピッチャーから水を注ぐと、それを少しだけ飲んだ。
「これ以上は限界だった。だが中島勇太は殺してない!」
柏木達也はうなだれていた顔を上げ、必死で訴えた。
「それに健太のときも事故だったんだ。あいつを部屋に運んだら、
一緒にハイにならないか、って誘われて。兄貴の分の薬があるから、
それをくれるって。殺すつもりなんてなかった!あいつの代わりに袋を
開けて、あいつが指示する分を打ってやっただけなんだ」
「ということは、工藤信也さんについては殺人を認めるんですね?」
圭はいつの間にか、空いた椅子に座っていた。
「ああ、だけどあれだって正当防衛だ。やらなきゃ私が殺されてた」
「嘘よ!」
奈緒子は涙を流していた。
「信也はそんなことしないわ」
圭が小さく首を振った。自分に対する否定だと勘違いした柏木達也が、
さらに必死な声を上げる。
「嘘じゃない!あいつは私が二人を殺したと決め付けて、私を襲って
きたんだ」
「三人であなたを脅していたわけですからね。二人が死ねば、次は
自分だと思って焦ってもおかしくはない」
そこで古川正行が口を挟んだ。
「それなら遠藤さんを殺そうとしたのはどうしてです?そうなる原因を
作ったからですか?」
柏木達也はそれに答えず、また一口水を飲んだ。
「これはあくまでも推測ですが」
代わりに圭が話し出した。
「初めは自殺に見せかけて信也さんを殺すだけの予定だったのではない
ですか?ところが健太さんの事件について、僕が殺人の可能性を示唆したが
ために、誰か身代わりの犯人を用意する必要が生じた。脅して言うことを
聞かせるなら、女性の方が御しやすい。遠藤さんには動機もありましたし」
柏木達也が頷いた。再びタンブラーに口をつけてから、柏木達也が続けた。
「いつから私を疑っていたんですか?昨日の夜、遠藤さんの部屋で鉢合わせ
たとき?」
「初めに疑問を抱いたのは、あなたが健太さんを殺した夜です。あの日、
工藤信也が僕に言ったんです。島に来る前、あなたが僕らについて話していた
とね。おかしいじゃないですか。僕らが到着した日、あなたは僕らの名前も
覚えていない風だったのに。それに彼の口ぶりは、あなたと頻繁に会って
いるかのようでした。その上、信太郎さんが招待状を出したのは僕と遠藤さん
の二人だけで、あなたは工藤信也に招待されたという。なのに、あなた方は
顔見知りの素振りすら見せない。不自然でしょう?」